しかし、真父母任の摂理的展開を正しく理解できひん教会は、アイデンティティーと伝統、そして基盤が喪失されてまうんちゃうかと要らぬ心配し、要らぬ言動をぬかしやがる。
そんで、真父任をもって、仕える主人を称える反教会的な奴ら(ニッポン人)は、独善、独自性の考えをあたかも「解釈」とぬかし、ちょんまげ根性丸出しに排他的になりくさりよる。オラが村で、信心をもって主人を称えれば、イワシの頭も信仰対象になり得る勢いを出すからおもろい。
双方共に、One Family under God の世界を築く全体的なビジョンと目標から逸脱してんねん。蕩減時代に築き上げた基盤、土台を真父母任の遺産やと思い込み、それを守ることが究極的な目標やと認識する教会と、自己正当化と予想を預言だの神(神々)のお告げだのと新たな主人を掲げようと反教会になって対立する。
真父母任に捧げる精誠を既存の制度と伝統、新たな制度などに仕えることに限定させよった。それで、One Family under God の夢に焦点を置くことができひんから悟ることができひんねん。
主体性が失われ、従属、従人根性で、悪性の世の中の足場を更に拡大しよる。そして、天の父(ハナ任)と真父母任が描かれた目標に向かうよりは、過去を懐かしみ、既存の基盤を維持させることに焦点を合わせるもんと新たなもんとでは、表面的に違うても、原型、原点は同じなんがニッポン人や。
ハナ任の夢であり、真父任の夢である One Family under God の世界を築くことを中心に歩んでらっしゃる顕進任に置かれては、特に二世と若いリーダーらが、ハナ任の摂理を常にアラインするよう、一貫した原則と観点で指導されてらっしゃる。せやけど、ニッポンにはそないなもんないから、まっ、せいぜい、自己正当化、自己保身の為の誇りとニッポンの底力を信じて、神(自分らの神々)を呼び寄せてよる。無理やけど、、、
統一教を飛び出され、銭をもって行かれただけにしか見えへんようでは、曇った目と心に光は届かへん。せやけど、顕進任の基台を立てられへんくせにあの嫌韓の勢いとニッポン(自己)自慢はどこ行きよったんか?
普遍的共通な心の衝動となる、悪性の原点を見つめたってや。

にほんブログ村