古地図からのオニのおパンツ | 南町のレトロゲームにっき

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ちょうど1ヵ月前のことになります。。。
 
 
超一流の街、ザギンデシースーを歩いていると
 
 

 
通り沿いの書店(?)で【古地図】を売っていました。
 
よくわからなかったのですが、このお店の人ではなく古地図を取り扱っている業者さんが販売していたようです。
 
盗まれないように(?)ずっと係員が張り付いていたのでちょろっと見るのをためらう感じです(;^ω^)
 
9/30までというので最終日に突撃!
 
手に取って中身をみようとしたら案の定係員が声をかけてきました。
 
 
突撃した時点で1冊は買おうと決めていたのでいろいろ見せてもらったんですよ。
 
 
 
 
 
でっ。
 
買ったのはコレです。
 
 
古地図。
 
まんまやないかー。
 
古地図といっても様々で、大きな巻物みたいな地図(宿場町が載ってるやつ)とか江戸の屋敷が細かく載っているものとかあって値段もピンキリでした。
 
鳥瞰図(バードビュー)もありましたよ。
 
 
屋敷名が詳しく載っている地図が欲しかったのですがちょっと高かったので
 
 
 
江戸の街の全体像がわかるようなざっくりとした古地図にしました。
 
こう見ると江戸城を中心にらせん状に運河(川)があるのがわかりますよね!!
 
水運を使って荷運びを楽にしたという経済的な側面と、敵に攻められたときに守りやすいという防御的な側面がうかがえます。
 
またこの運河は現在、おもに首都高速が走っているんですよね。
 
 
 
江戸城(現在の皇居)が真ん中にあって、「御城」と縦に記載されてるのでこの置き方でいいと思うんですが、
 
上が北ではありません。
 
左が北、上は東なんですよね。
 
慣れている見方をしたい場合は90度回転させたほうがいいですね(;^ω^)
 
 
 
屋敷なども載っていますが、誰の屋敷だとかまでは分からないのが多いです。
 
空欄も多いですね。
 
 
 
この向きだと右側が南になりますが、そこには「西御丸」と書いてあるからややこしい(;^ω^)
 
誰が作った地図だかわかりませんけど、江戸城のなかは真っ白なので機密事項だったのがわかります。
 
 
 
方角は十二支ですね。
 
昔は時計も十二支だと聞いています。
 
正午
 
「正午」の【午】は、午(うま)の時刻、つまり午前11時~午後1時の間の真ん中という意味。
 
午の時刻より前が午前、後が午後。
 
 
 
「草木も眠る丑三つ時」
 
丑の時刻は午前1時~午前3時、それを30分ごと4分割して区切っていたので、
丑の時刻の3つ目(3番目)の時刻、つまり午前2時~2時30分を指しているんですよね。
丑の時刻の「真ん中」。
 
現代でも午前2時~3時が一番静かだと思うので昔も一緒。
 
しかしなぜ丑三つ時なのか?
 
それは古代中国の「陰陽五行説」が影響していて、現代でも影響してるんですよ。
 
鬼門
 
【鬼門】という言葉はきいたことありますか?
 
鬼門は東北の方角、裏鬼門はその反対。
 
江戸城護るために上野の寛永寺や日光東照宮をつくったのは有名です。
 
鬼門とはオニなどが出入りする良くない場所と考えられていました。
 
十二支で方角を考えた場合【鬼門】に当たるのは、東北となる「丑(うし)」と「寅(とら)」の真ん中の方角なんですよね。
 
オニや幽霊など恐ろしいものが出入りする方角、それを時間に置き換えた場合に「丑三つ時」だったわけです。
 
ちょうど1日のなかで一番静まり返っている時間帯でもあるので定着しやすかったんだと思いますー。
 
 
 
うしとら
 
「丑寅(うしとら)」を一文字で表すと「艮」、良いという字の上部分が欠けたものにしているのも所以がありそうですね。

 

 

 
 
オニのパンツ
 
赤オニ、青オニといったらこういうの想像するのではないでしょうか?
 
オニは「ツノ」が生えていて、黄色と黒のしましまパンツを履いている。
 
ツノは牛に生えていること、しましまパンツは虎の模様です。
 
 
つまり「丑寅」=うしととら、それらの動物の特徴をオニに反映させたというわけです(たぶん)
 
 
それとこれは私の偏見ですが、オニというのは渡来してきたヨーロッパ人だったと考えてます。
 
ヨーロッパ人は肌は青白く、お酒を飲んだり怒ったりすると紅潮したりします。
髪の毛も天パが多いですし日本人より体格がよく力持ち。
 
きっとそうだったんじゃないかなー?
 
 
 
桃太郎のお供
 
桃太郎の「桃」は古代より霊力が宿る果物とされていたからでしょう。
 
 
一緒に鬼退治にいく桃太郎のお供は、イヌ、サル、キジ。
 
イヌとサルは種類なのになんでキジは「トリ」ではないのか?というツッコミは後日にしましょうww
 
 
レトロンが考えるには、オニの反対(裏鬼門)に当たる動物なんじゃないかな?と・・・・
 
 
 
 
裏鬼門は「未申(ひつじさる)」ですので違うじゃねーか、と言われると思うんですが、その通りだと思いますよ(;^ω^)
 
日本にヒツジがいたのか不明ですが、虎と同じようにいなかったので裏鬼門に近い動物をもってきたのかも?
 
サルの隣のトリとイヌで対抗しようとしたんでしょう。
 
疑問なのは「馬」を使わなかったこと。
 
その辺は謎です(;^ω^)
 
 
 
ずいぶんと脱糞していまいました。
 
古地図に戻ります。
 
 
 
古地図の面白いところは、
 
現在だとどこに当たるのだろう?
 
地名の由来は?
 
 
 
 
「品川」はこの頃からあったんですねー。
 
「増上寺(ぞうじょうじ)」というのも確認できます。
増上寺は徳川家の菩提寺で東京タワーの真下に位置する大きなお寺。
 
 
新興住宅地などにある「●●が丘」とか「●●が原」とか元の地名がわからなくなってしまうのは悲しいです。
 
「梅田」とか「梅が丘」など「梅」が使われているところは土砂崩れがあった場所と言われてます。
 
もとは「埋」という字を使って危険性を後世に伝えようとしたと思うんですけど、縁起が悪いということで「梅」にしちゃったんだろうなーと思っているレトロンです。

 

 

 
荏原郡、下目黒村。
 
目黒もこの頃からあった地名なんですねー。
 
荏原という地名はいまはないのかな?
 
東急線に「荏原町」という駅名があったり、荏原警察署とか荏原製作所という会社はあります。
 
もしかしたら荏原小とか荏原中とかもあったりするかも?
 
 
 
8月まで勤務地だった「溜池山王(ためいけさんのう)」、現在は首相官邸やアメリカ大使館があるなど永田町と隣接してるため政治色の強い街ですが、
 
当時はそのまんま「溜池」だったんですね!
都会(江戸)のど真ん中に溜池があるなんて!
 
たしかに溜池山王の交差点は窪地になってます。
 
 
溜池なのに山王?
 
山の上ではなく、「山王日枝神社」の山王だと思います。
 
すぐ近くに日枝神社があるんですよね。
 
 
 
また「増上寺」がありますね!
赤く囲ってあって寺院も描かれているから現在の増上寺と同じ場所だと思われます。
 
こんなに海に近かったのかー。
 
 
 
築地とか銀座はこのざっくりとした地図では特定できませんでした。
 
増上寺(東京タワーがあるところ)が海に近かったことからもわかるように埋め立てで領土を広げたんでしょうから海沿いの街は時代によっては地図に記載されなかったんでしょうね(;^ω^)
 
 
 
 
 
「浅草のり」というブランドがあるんですけど、浅草の近くまで海がせまっていたというのがわかります。
 
きっと浅草は沿岸にあったんでしょう。
 
 

( ゚∀゚ )?

 

 

この古地図についてはあまり語らず・・・

 

脱糞  脱線ばかりしちゃったなー。

 

 

 

 

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