図説 神聖ローマ帝国 | 南町のレトロゲームにっき

南町のレトロゲームにっき

懐かしのゲーム中心にレトロなものから日常のことまで雑多なブログ
誤字脱字・誤変換が多いおバカブログです( ̄ー ̄)

こんばんは。
 
今日は図説神聖ローマ帝国という本について。
 

 
中学生のときに興味をもった神聖ローマ帝国。
 
中心は現在のドイツなんだけど、なんでローマ帝国?って思ったのが最初。
 
それからわざわざ「神聖」ってつけるのにも興味をもったんだよね。
 
日本じゃなく、「神国日本国」ってなるようなもんだし。
 
いつものように書きたいことを書いていくとすんげぇ長くなりそうなので神聖ローマ帝国について詳しく述べることはやめときます、たぶん。
 
 
 
うんこ漏れそう。。。
 
こういう家系図とか大好きで、高校生のときは主要ヨーロッパの歴代の王や皇帝のを全部覚えました!
 
名前(ルイ14世)や愛称(太陽王)だけでなく、在位(1643年-1715年)まで暗記しました。
 
ヨーロッパは他国との関わりが非常に多いため、例えばイギリス、フランス、ドイツの王の在位まで覚えていると、テストでわからない問題が出ても答えを引っ張りだすことができたりしたので実用的でもありました。
 
 
日本では神聖ローマ帝国の始まりを
 
962年のオットー1世の戴冠(ローマ教皇による皇帝承認)としていますが、
 
ドイツでは800年のカロリング朝のカール大帝(シャルル大帝)を神聖ローマ帝国の始まりとしているようです。
 
神聖ローマ帝国の終焉は1806年ですので、約1,000年もの間続いた帝国ということなんですよね。
 
 
 
神聖ローマ帝国の皇帝は選挙制で選出され、それをローマ教皇が戴冠により追認する形で位につきます。
 
神聖ローマ帝国領内には最大300もの国(領主)があったそうで、なかでも力をもっていた6家か7家の「選帝候」から「ローマ王」を選んでいました。
 
ドイツにありながらあくまで「ローマ王」なんですよね。
 
現在の国の位置からだと違和感があるのも当然ですよねー。
 
 
 
もとは「フランク王国」という国があって、それを3分割にしたことが始まりです。
 
西フランク王国は現在のフランス、東フランク王国が現在のドイツで前身が「神聖ローマ帝国」、中フランク王国は現在のイタリア。
 
そもそもフランク王国はゲルマン人の部族だからドイツ(ゲルマン人)はわかるんだけど、フランスとほぼ一緒の(呼び方である)西フランクもゲルマン人だったのか気になります。
 
フランスといったらラテン系というイメージですし。
 
 
 
これまたウンコ漏れそう。。。
 
こういう勢力図が大好きなんですよー。
 
帝国内の「国」といっても、日本でいう江戸時代の「藩」に近くてそれほど大きな領地を持たない国王もたくさんいました。
 
おとぎ話で王子が旅をしているのは、世継ぎのいない国に自身を売り込むか、姫しかいない国に取り入ろうとしているのが実情。
 
ゲームや小説などで多くの国や王が出てくるのは、おそらく神聖ローマ帝国を基にしているんじゃないかな?
(ローマ帝国はそういった制度じゃなかったし)
 
 
 
中世ヨーロッパは暗黒の時代とか言われますが、
 
それはアラブ世界のほうがさまざまな面で発展していたためで、奈良時代の日本では比べ物にならないほど華やかで栄えていたと思いますよ。
 
 
 
「ロードス島戦記」にザクセンという地名が出てきたり、ディードリットというエルフが登場しますが、恐らくドイツ、神聖ローマ帝国を参考にしているんじゃないかな?って思います。
 
 
 
地中海にロードスという島がありますが偶然でまったく関係ないと書かれてるんですけど、僕はそう思わないんですよね。
 
 
 
これは本当にあった話をもとに書かれています。
 
ヨーロッパ諸国から集まってロードス島を守る騎士団と、オスマン帝国との戦いを描いた歴史小説なのですが、
 
とっても面白いのでオススメです!
 
 
 
西フランク王国の愛称が・・・
 
「禿頭王」ですからね(笑)
 
見事なゲーハーだったんでしょう。
 
↑イギリス王ジョン。
 
イギリスの王に ジョン というのがいました。
プランタジネット朝イギリス王で在位は1199年~1216年。
愛称は「欠地(失地)王」。
 
あまりに無能で大きな領土を奪われたり教皇から破門されたりと失態続きで評判が悪いことから、
 
いまだジョン2世はいません。。。。
 
エリザベスだって2世なのに。。。
 
高校の先生は犬みたいな名前だとバカにしてました(;^ω^)
 
 
 
ちなみにロビンフッドに出てくる王様はこのジョンがモデルです。
 
 
 
また「マグナカルタ」(自由の大憲章)にも深く関わっていて、イギリスにおける法の支配の始まりとも言えます。
 
 
 
 
 
緑色の中フランク王国はじわじわと領土を奪われ現在のイタリアまで縮小。
ローマ教皇がいるのに一番弱かった国です。
 




東フランク王国のルートヴィッヒ、ルートヴィッヒといえばネズミーランドのシンデレラ城のモデルとなったノイシュバンシュタイン城の城主ルートヴィッヒ2世を連想します。
 

フランク王国は兄弟3人に領土を分割したので元は同じ血を引いているのに。
 
ヨーロッパは複雑です(;´Д`)
 
 
 
叙勲とか戴冠とかってなんかカッコイイって思ってしまうのは私だけではないと思う。
 
ヨーロッパへの憧れが強い日本人は多いと思うんだよね。
 
 
 
1077年に起った事件、それが
 
カノッサの屈辱。
 
聖職者叙任権をめぐる神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の争いです。
 
破門をちらつかせられて結局ごめんなさいと教皇に謝りにいくんですが、それが雪の降るなか裸足で断食と祈りを捧げてようやく許してもらったという・・・
 
神聖ローマ皇帝としてこれほどの屈辱はなかったでしょう。
 
それほどローマ教皇の力は強く、1国の王など足元にも及ばなかったことを示しています。
 
 
 
かなり昔ですが、フジテレビでカノッサの屈辱という番組があったのを思い出しました(;^ω^)
 
 
 
面白い神聖ローマ皇帝もいます。
 
十字軍に参加していた神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世(赤髭王/在位:1155年~1190年)は1189年第3回十字軍の総大将として戦地で戦っていたんですけど、
 
なぜか【溺死】してしまい退却。
 
どうして溺れ死んだのかは記録がなく謎です。
 
面白いのは、遺体を持ち帰るのに国まで遠いことから切り刻んでシチューにして持って帰ったという逸話があるんです。
 
ほんまかいな?と思ってしまうエピソードです。
 
 
 
ケルトの歴史でも書きましたが、こういう華美な装飾がほどこされた書物を観るのが大好きです。
 
どれだけの時間をかけてまとめたのかとても興味があるんですよね。
 
 
 
ついにウンコ漏れましたww
 
聞いたことのある名前が多くなりましたねー。
 
大きな領国のなかに小さな国があるというのも面白いです。
 
公領、伯領、大司教領など呼び方が違うのも調べ甲斐がありますね!
 
 
 
オレンジ色はハプスブルク家の領土です。
 
オーストリア、ハンガリー近辺から南イタリア、スペイン、オランダや地中海の島々まで領土です。
 
1つの国ではなく、ハプスブルク家の領土、というのがポイントですよね。
 
 
会社組織でいえば「ホールディングス」みたいなもんで、子会社がスペインだったりナポリ王国であったりする感じかな?
 
 
 
マルティン・ルターといえば宗教改革。
 
これは聖書をドイツ語訳したものだそうです。
 
本当に美しい書物に仕上がってますよねー。
 
内容より美術品として価値がありそうです。
 
 
 
プロイセン公国が出てきましたねー。
 
ということは、神聖ローマ皇帝も終盤です。
 
勢力図の移り変わりと各国の歴史を学んでいくといつもウンコ漏れちゃうんですよね、ボク。
 
 
 
ヨーロッパの人って身体がでかくて力が強いイメージです。
 
こんな鉄のかたまりを着て戦ったかと思うと脱帽ですわ。
 
日本人なら絶対に動くことはできないでしょうね。
 
 
 
映画のロード・オブ・ザ・リング1の最後で、王が城から討ってでて突撃するシーンがあります。
 
ヨーロッパの王は先頭に立って戦うらしいんですよね。
 
 
 
日本の総大将や王って後ろにドカっと座って指示を出すだけ、負けが決まったら切腹って感じなんですけど、
 
どっちが勇敢なのか(;^ω^)
 
 
 
ヨーロッパの王は戦死することもあったし、フランス王アンリ2世は馬上槍試合(トーナメント)に参加して対戦相手の槍が目に突き刺さり死亡とかしています。
 
 
 
これはヴェルサイユ宮殿。
 
ドラクエの世界というより、ファイナルファンタジーの世界ですね!
 
 
 
平地に建てられる宮殿やお城は平和になりつつあったからなんでしょうが、
 
中世ヨーロッパのお城って小高い山の上にあっておどろおどろしいイメージです(;^ω^)
 
 
 
飛び地になっている東プロイセンには元々プルーセン人が住んでいたのでプロイセンと呼ばれています。
 
飛び地部分はもともと「ドイツ騎士団領」なんですよね。
 
国ではなく、騎士団の領地というのも面白いところだと思いますね!
 
 
 
 
ちなみに西プロイセンには「ポメラニア」という土地があって、あのポメの原産地なんですよ♪
 
 
 
ナポレオンの登場により神聖ローマ帝国は消滅(1806年)しました。
 
最後の皇帝はフランツ2世。
 
とはいっても、その後もハプスブルク家はオーストリア・ハンガリー帝国として存続し第一次世界大戦の敗北(1918年)まで影響力を持っていたんですよね。
 
 
まだまだ書きたいことが山ほどありますがこの辺にしておきます。
 
ゆっくり読んでいこうかな♪