笛に魅せられ、取り憑かれた人は多い。
私もその一人。
フルートについては語り尽くされている事と思うけれど、自分自信の体験を振り返りながらもう一度その事を考えるてみたいと思う。
私は単なるアマチュアでしかないが、もし笛が吹けなくなったら自分の生きる意味を半分削がれたようか気持ちになると思う。
何故にそこまで…とも思うけれど、音の根源、原理さえまだはっきりとは解明されていない楽器であるが故なのか、これが一言では言い表せないところがある。
勿論、そのしなやかで煌びやかな音色だとか、優しく包み込む様な響きだとか、インスタントな答えは幾つかあるし、今まで同様の質問をされたらその様に答えて来たと思うけれど、本当はもっと何か言いたい事があったのにどう言葉で言い表したら良いか分からない、と言うのが本音だと思う。
私の場合、何故この楽器を選んだのか考えたときに、真っ先に頭に思い浮かぶのが古いTV番組の「まんが日本昔話」だ。
あの番組で挿入される音楽の殆どがフルート、オーボエ、クラリネット、バスーンなどから成る木管アンサンブルの様な形態だったと記憶しているが、その中でフルートの音色が特に自分には印象深かった様で、小学生でフルートを始めた時、母親に何故その楽器にしたのかを尋ねられた際にも、日本昔話の記憶からだと即答した。
訳あって5〜8歳くらいまでを父方の祖父母の所で過ごしたのだけど、祖父が床に付くとき毎日の様に日本昔話のカセットテープを聞かせてくれた。
今考えると絵本の読み聞かせの代わりだったのだろうと思う。
そして、当然そこでも例の挿入曲がふんだんに使われている訳で、睡眠学習的に毎日頭と耳に刷り込まれたに違いない(笑)
北国のど田舎の過疎著しい炭鉱町でクラシック音楽を聴くなんて高尚な趣味を持ち合わせてる人は、当時の私の周りにはいなかった事だろうから、笛の原体験としては昔話でほぼ間違いないだろう。
その体験からか、その後の経験からか分からないが、フルートに対する関心ごとの殆どはどう言う音を吹くか…どうすれば自分の気持ちを音にして表現できるのか…に絞られていた。
それは当たり前のことなのだけれど、ほぼそれに固執していた、と言う事で、テクニックがどうとか、音程がどうとかは殆ど頭に無く、自分の気に入った曲でさえあれば、誰の作ったなんて言う曲かさえどうでも良いほどだった。
結果的に、理由は分からないが、自分でも不思議なくらい音程の事で執こく注意された経験は殆どない。
話を戻して、笛の魅力については、とあるプロ奏者のブログを拝見した際に、楽器を演奏するという事は、太古の昔、自然の抗いようのない脅威に対して、その存在を神とする事で妥協しながらも、そこへ幾らかでも近づこう、その脅威を克服しようと言う行為が原点と言われているらしい事を読んだ。
風が吹き、草木や岩を切る音。
それを身近にあるもので再現したり、偶々発見したりして、その存在の正体が分かる事で安心してきた、と言うことなのか。
すると、風の音や自然に発せられる音の中に笛の音と言うのは内在されているのだろうから、ごく自然に自分達の生活のにも溶け込んでいるものであり、特別なものでは無いのかも知れないし、だからこその安心感なのだとも思う。
疑問は尽きないし、これだけコンピュータが進化した現代では、いくらでも人間の奏でる音なんかより完璧で正確な音楽を再現できるはずなのに、人間は音楽を奏でる事を、聴くことを止めないのはもっと疑問に思えるけれど、そこには何か普遍的なものが存在するのだろう。
もしかすると解明してしまったらそれでお終いだから、皆んなで答を出すのを先延ばしにしてるのかも知れない?(勝手な想像)
いくら考えてもフルートに取り憑かれる理由はやっぱり分からないなぁ…
っと思いつつも、今日もiPhoneから流れてくるフルートの音色を聴きながら通勤する毎日である。