すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった〜愚かなのは神 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

「まといのば」ではあまり使わないですが「ヒーリング」のことを「癒(い)やし」と言ったりします。その「癒やし」という言葉を用いて、こじつけ的に「再生癒療(さいせいいりょう)」と造語したりしています。正直、美容系は伏魔殿だと思っているので、なるべく素早く成果を出したら、素早く撤退したいと思っています。高いレベルを普通にしたいと思っています(とは言え、しらゆきさんの美肌はすごかったです)(そしてあの水準を「まといのば」の普通にしたいと強く思いました)

 

BootCampのような形式で継続的に学び続けられるのは、こちらも非常にありがたく、セミナーのように毎回構成員が変わるのは誰が何を知っているのか(そしてそれは代価で贖われた知識なので)を毎回連立方程式を解くように考えなくてはいけないのがハードでした。

ブログには全て書いてあるようで、セミナーやBootCamp受講生はご承知のように、ある意味で何も書いていません。それは受講生の予習・復習用にデザインされていて、それ以外の人は読み飛ばすように書かれています(まあ、そんなデザインをしなくても、自分がピンときた整体師が書いた無料ブログというものを聖典のように扱って、繰り返し熟読し、音読し、身体に落とし込む人は稀です。逆にそういう人は何をやっても成功します、多分)

 

しかし、2023年から観た「シン・まといのば」としては(現在の「まといのば」)、できるだけシンプルにしたいし、ノアの箱舟は1艘にしたいのです(実際は、オイルBootCampとBodyDesignBootCampの二輪体制です。そこにRayはじめての気功があるので、三輪車か)

いずれにせよ、どれも半年間のコースです。

そして忘れてはいけないのはドーシャスクールですね。これは通年コースです。

 

そして圧倒的に成果を出すのは通年コース(10ヶ月)のヒーラー/メンター養成BootCampですね。これはマンツーマンプライベートスクールの集積のようなもの。

 

そしてリアルに来るのが難しい海外の方向けがOnLine MenTorシリーズです。

 

 

この形式(半年間や一年のコースを継続していく)でしばらくはやっていこうと思っています。
たとえば、尋常ではない物量の遠隔企画などは、別なコースを立ち上げてやるとしたら、分散してしまいますが、BodyDesignの中でやるのであれば、かなり実験的な遠隔企画も可能です。

 

 

最近、敬愛する師匠から「あなたは二枚ほど服を脱いだみたい」とお言葉をいただきました。「薄着だね」ってことではありません。

着ぐるみを2つ脱いだみたいということです。軽やかになってきた、と。良い状態になってきたのではないかと、お言葉をいただきました。前がひどすぎでした。その御方は僕が本気でぶっ倒れたときに薬草を素早く煎じて出してくれた魔法使いのような方。

 

その師匠は本当に何でも見通す方で、こちらの状態を何も話していないにも関わらず、完璧なタイミングで完璧なアドバイスをそれも具体的にくださります。鳥肌が立つほどです。

「あなたは二枚ほど服を脱いだみたい」とのお言葉を受けて、「実際に自分にとっては絶対に切り離せないと思っていた大きな仕事(というか役割)をまさに2つ、相次いで手放すことになりました」と伝えたら、師匠からは3つ目の役割のことをアドバイスされました。

 

何が言いたいかと言えば、この十年以上精力を注いできた仕事を辞めることにしました(「まといのば」のことではないですよw旧来の「まといのば」は2023年で終わり)(皆様と同様、僕もいろいろな顔があり、いろいろな仕事に携わらせていただいています)

 

「師匠からのお言葉は絶対」(←王様の命令みたいに言うな)というか、それは聞くとか聞かないとか、考えるとかそういう次元ではなく、物理法則みたいなものです。それに従えば、普通にうまくいき、従わなければ、宇宙の摂理に反するから、何をやってもうまくいかないものです。

 

オラクルというものを人間関係の枠内で考えているから、アウグスティヌスの奇跡が見えてこないのです。

 

 

すると、どうであろう、隣の家から、男の子か女の子かは知らないが、子供の声が聞こえた。そして歌うように、「取って読め、取って読め」と何度も繰り返していた。わたしはすぐに顔色をかえて、子供が何かの遊戯に、このようなことを歌うのだろうかと一生懸命に考えてみた。しかしそのような歌はどこでも聞いた覚えはなかった。それでわたしは溢れ出る涙を抑えて立ち上がり、わたしの聖書を開いて最初に目にとまった章を読めという神の命令に他ならないと解釈した。

 

 

人生は引き算です。

どんどん引いていき、ようやく自分に還る旅のようなもの(そうなの?)。

「裸で生まれたから、裸で還ろう」(聖書)は少なくともその通りと思います。

 

そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。(ヨブ1:21−22)

 

ありがたいことに、自分の生涯を賭けた仕事と思っていたことを切り離すことを、辛く思ったり、寂しがったり、虚脱感を覚えたり、絶望することを避けるために、宇宙は素晴らしいフィナーレを用意してくださりました(感謝)。僕は激しいピッタの炎で温かく最後を迎えられます(焦げないようにだけ気をつけます)(おかげでツンモが分かったかも、違うか)

 

人生は短く、やりたいこと以外やっている暇はありません(Dr.T)。

しかし、やりたいことをやっている限りは、人生は潤沢に時間を用意してくれます(セネカ)。