「世の中、バカが多くて疲れません?」、、、って、ハンマーしか持ってないと、全てが釘に見えるかも | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束」の主人公チャーリー・ブラウンゴードンのように、急激に頭が良くなると、周りの人々に対して幻滅することがあります。

 

平たく言えば、周りがバカばっかりに見えて、イライラしてしまうのです。

そして「なんで突然、こんな風になってしまったんだろう」といぶかしく思います。

 

通常の生活ではなかなかIQが乱高下するということはありませんので、チャーリーの話は単なるお話しで終わりがちです。しかし、実際にある種の方法論によって、飛躍的にIQを上げると、世界が一変します。

 

周りがアホに見えてしまうのです。

 

これはなかなか衝撃的です。

 

 

*後ろに幼稚園児たちが歩いているのが、非常に示唆的ですねー。

 

 

最初は自分の感覚を疑うのですが、そのうちに周りを疑い始めます。

 

自分だけが、何か異世界に迷い込んだような不思議な感覚に襲われ始めます。

 

 

 

そのうち怒り出します。

 

「なんでバカばっかりなんだ!!」と。

 

最初に否認があり、怒りが続きます。

 

そして取引の段階が続きます。

神と取引をするのです。

「神よ、彼らにわずかでも知性を与えたまえ」とw

 

しかし残念ながら、その神との取引がまったく功を奏さないことを知ると、怒り出します(まあ、いないから仕方ないのですが)。そして取引の段階が続きます(以下、エンドレスリピート)。

 

その後、抑鬱状態に陥り、最後にバカを受容するようになります(これをキューブラー・ロス博士はバカの受容の5段階と、、、、、、言っていません。すみません。悪い冗談でした)。

 

 

 

まあ、でも似たような感じです。

 

 

衝撃を受け、否認し、逃げ出し、否認も逃げることもできないと怒りだします。

 

 

*僕らはYogaについても、バレエの視点であまりにバッサリと切りすぎていたかもと最近ちょっと反省しています(まあ「ちょっと」だけですけど)。

 

 

メンターの受講生や「まといのば」メンバーはこの状態に陥っている人が多いように感じます。

 

IQの向上により起こる副作用によって、周りに対する怒りが収まらないのです。

 

「なぜ、こんなことが分からないのでしょうか」

「どうして、職場の同僚は何度言ってもわからないのでしょう」

「彼らと話しても意味がない」

「悪意があるのではないかと思うほどに、頭が悪すぎる」

 

 

などなどのフィードバックをいただきます。

 

 

これは明らかにアルジャーノン効果です(そんな名称はありませんが、いま勝手につけました)。

 

自分のIQが上がっても、それを認められず、相対的に下がった周りを攻撃しだす症状です。

 

一様に口にするのは「突然、周りがアホになった(見えるようになった)」ということです。

 

処方箋はシンプルで、自分のIQが上がったことを自覚せよということにつきます。

 

 

 

 

ただ周りをアホ扱いするのはちょっと早計です。

 

 

古い格言を思い出します。

 

if all you have is a hammer, everything looks like a nail.

 

「ハンマーしか持っていないと、すべてが釘に見える」のです。

 

 

これは強く心に刻んでおかないと、我々は闇に落ちていきます。

 

ある視点においては、誰よりも自分は優秀かもしれませんが(そう思えるのは幸せなことですが)、ただそれはそのことについてのみです。

 

しかし、それ(そのジャンル)だけを見つめていると、それが分からない人は愚かに見えてしまうのです。

 

でも、自分が知っているのはほんのわずかであり、自分が興味を持ち、自分が好きなところについて詳しく知っているだけであるという視点が必要です。

 

 

わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。(コリント書13章

 

 

 

もっと幼子のごとくあれば良いように思います。

 

 

余談ながら、ご承知のとおりホーキング博士は「宇宙がある法則によって支配されているという確信を持っている」と言います。そして「現在、私たちはこれを部分的にしか理解していませんが、そう遠くない将来に、完全に理解できるであろうと思っています」(『ホーキングの最新宇宙論』)と言います。部分的にしか理解していないが、そのときに完全に理解できるであろうというホーキング博士の確信の裏に聖書の一節を感じます。

 

わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。」(コリント書13章

 

ますます余談ながら、、、、チャイティンに言わせれば、宗教も科学も魔術も同じ確信を抱いている(「宇宙がある法則によって支配されている」)と言うでしょうし、ゲーデルの帰結から考えれば「完全に理解」などあり得ないでしょう。

 

ただ、「人間の知性に絶望するよりも、完全な理解を求めて努力するほうがずっとよいでしょう」というホーキング博士の意見には大賛成です。終わりがないからこそ、最期まで楽しめるのです。

 

 

 

まあ、それはさておき、我々はもっと幼子のごとくで良いのです。

 

 

たとえば、ある子どもが電車が大好きで、全国の列車と駅を次々と覚えたとします。

 

 

By 東京特許許可局 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Link

 

 

その子が大人に向かってこんな風に言うでしょうか?

 

 

「え?幸福って名前がつく駅のこと知らないの?

 

いや、いまはもう全国で一つしかないんだけど、、え?知らない??まじ?

 

いや、たしかにかつては北海道にもあったけど、いまは廃線になったんだよね。

 

唯一の駅は熊本にあるんだけどね、おかどめ幸福駅ってやつ、え?知らない?え?」

 

 

とか言わないでしょう。

 

 

ましてやそれを知らないことで、「こいつ、人間失格だなー」とか思わないでしょう(たぶん)。

 

「真剣に幸福について考えたことがあったら、幸福駅についても必ず思い至るはずだ」とかカントみたいなことを言わないでしょう(カントも言わないか)。

 

 

「こいつマジで話が通じないな」とか、「今まで生きてきて、鉄道の恩恵をたくさん受けているはずなのに、全然感謝が足りないな」とか子どもは思わないでしょう。

 

「すべての鉄道はローマに通じるって、分かってないのかな」とかも言わないでしょう(そもそも通じてないし)。

 

 

 

重要なのは我々の視野は猛烈に狭いという事実です。

 

そしてハンマーしか持っていないので、すべてが釘に見えるだけだということです。

 

 

水泳のターンをひたすら練習している人は、水泳のターンが下手な人をアホだと思うし、ダンスでアイソレーションをひたすらに練習していると、アイソレーションができない人を不思議に思いがちです。

 

 

でも、相手も同じように考えている可能性があります。

 

 

ルネッサンスの万能人みたいな幻想はどこにも無いのです。

 

我々は細切りの知識と細切りの技術をかき集めながら、ほそぼそと、しかし楽しく生きていくしかないのです。

(メンバーの皆さんはよく知っているように、僕は野菜や食べ物の名称が全く覚えられず、九九と漢字がかなり苦手です。一般常識の9割近くは欠損しています。本を読みながら数行で爆睡することはよく有ります。社会的にはなかなか生きづらさを抱えています)

 

 

聖書を引いて「人をさばくな。自分がさばかれないためである」(マタイ7:1)と考えてもいいのですが、それよりは自分の持っているハンマーは何だろうかと考えるのも良いかもしれません。

 

自分にとって有益な技術や情報や知性が、残念なことに一方で巨大なスコトーマを生じさせているのです。

 

自分の愚かさと限界が見えていれば、人には優しくなれますし、間違っても傲慢に陥ることはなくなります(いや、少なくなります)(まあ、「お前が言うな」なのですがw)