ゴールと目標の違いはその不可能性にある。No wayとつぶやきたくなるときにこそズルズルと粘る | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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目標はがんばれば達成可能なことを設定します。

しかし、ゴールはがんばっても、超人的に努力をしても、達成不可能なことを設定します。

 

 

それがゴールと目標の違いです。

 

目標は現状の中であり、ゴールは現状の外と定義しても良いのですが(というか、そうなのでしょうが)、手触りとしては「絶対無理」というもので、でもどうしても叶えたいというものがゴールです。

奇跡が幸運にも繰り返したら達成できるようなことをゴールにします。

 

そして理論的には絶対に叶えられないのは分かっているけれど、クリームの海にこぼれたネズミがあがいているうちに(撹拌することで)バターにして助かってしまうように、あがくことです(Catch me if you canからButter outta cream) 。

 

理性的に冷静な計算ができる一匹のネズミは諦めて死んでしまい、がむしゃらにあがいたネズミは奇跡を起こして助かります。

 

あがけば良いのです。あがけば助かるという可能性は少ないのですが(ゴールを達成できる保証はもちろんないのですが。むしろ達成できない保証ばかりですw)、でもあがくことです。

 

 

そうすると思いがけない幸運が舞い込んできます。

最初に設定したゴールが色あせてしまうくらいな幸運が舞い込み、もっと素晴らしいゴールがさらっと達成してしまうものです。

 

本音を言えば、いまの現状の自分が想像できるゴールなんてたかだかなのです。

子供に何になりたいと聞くと、あまりに凡庸な回答に驚かされます。

「君が大人になったころに、その職業があると思うの?」とツッコミたくなります。

子供の知性なんてそんなものです。

翻って大人も同じです。というか、人間ってそんなものです。

 

我々は想像力の貧困に悩まされるのです(10年前、20年前に「今」を想像できたでしょうか?)。

 

想像力が貧困なのは仕方ないので、ランダムネスを自分の頭蓋骨に守られた人工知能に放り込むのがゴール設定です。

 

その放り込む入力値を凡庸な値にしたら、ただでさえポンコツな人工知能はGIGO(Garbage In, Garbage Out ゴミを入れると、ゴミが出てくる)よろしく凡庸なアウトプットを無駄に長い時間をかけて出してくるだけです。

 

 

 

しかし厄介なランダム値を入れると稀に奇跡が起こります。

そのときの制約条件がWant toであること、そして現状の外であるということです(それはランダムなのか?w)

「どうしても叶えたい、でも無理」ということです。

 

僕らはそういう奇跡のような夢物語のような夢に破れ続けて、そのような夢を抱いても「すっぱいぶどう」(イソップ物語)だと考える癖がついています(負け犬根性というか)。

(キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去るWikipedia

 

でもそれは子供だったからです(いや、正確にはマインドの使い方を知らなかったからです)。

 

かわいそうな子供の象が杭に縛られると、さんざん抵抗したあげくに、諦めたら、大人(成獣)になっても、杭が簡単に抜けるにも関わらず、抜かないと言います(本当かどうかは知りません。むしろイソップ物語的な逸話のような気もしますが)。

 

子供のときに無謀な夢を見て、周りにいる善意のドリームキラーから夢を馬鹿にされて、心が折れて、マインドの使い方を覚えなかった子供は目の奥を暗くしたまま、「二度と夢など見ない」と誓ってしまうものです。意識的にであれ、無意識的にであれ。

 

そしてそういう夢のような夢を「すっぱいぶどう」だと考えるのです。

でも実際は極上のブドウなのです。

 

 

いやいや本当に幼かったころは無邪気に夢を信じていたのです。

 

筋肉が十分に無い状態で、ハイハイしたいと思い、立ち上がりたいと思い、現状の外のゴールを次々と達成し、言語を知らない状態から母国語をマスターします。

子供の成長を目の当たりにすると、自分も短期間でこれだけ成長できたら、、、、と大人は思います。でも、それは可能なのです。

 

キーワードは「幼子のごとく」です。

 

無邪気に夢を語り、夢を信じれば良いのです。

その夢が達成した世界を想像して喜べばいいのです(そして、現状を見て絶望することです)。

 

わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。(コリント13:11

*世の中を知った気になった子供ではなく、無邪気な幼子になりましょう。

(リスク計算に疎いバカのほうが、向こう見ずに突っ走ってなぜか成功してしまう確率が高いのは、理性では見えない世界のほうが圧倒的に大きいからです。未知の世界を前にリスク計算の根拠は無いのです)*寺田寅彦の「科学者とあたま」を思い出しますね。科学者はあたまが良くなければいけないが、一方で「科学者はあたまが悪くなければいけない」というあれです。

*コリント書13章と言えば、お馴染みですが「愛のむきだし」ですね。聖典は読むものではなく、語られているものを耳で聴くものであることがよくわかります。

 

 

ケインズはアニマルスピリットを説明するときにこう言います!

 

 

将来便益の厳密な計算などに基づいていない点では、南極探検より多少ましでしかありません。

 

きちんとリスク計算をすることは大事ですが、でもそれはほとんど不完全情報でのゲームであることを前提とすべきなのです。

 

 

ちなみに、前述しましたが、無邪気に夢を語り(自分だけに)、夢を信じ、その夢が達成した世界を想像して喜べばいいのですが、、、翻って、現状を見て絶望することは必要です。落ち込むことはありません。ただ知ることが重要です。

 

夢が達成した臨場感を味わうことと、現実の絶望感というのは、これはセットです。

現状への絶望が無いと、脳は想像とリアルの区別がつかないので、なぜかすでにゴールを達成済みと脳が思ってしまいます。脳と言ってピンと来なければ、無意識がそう判断します(意識はもちろんそう思わないのに)。無意識が我々のボスなので、無意識が勝手に「ゴール達成した!!」と思った瞬間に魔法が解けて、ゴールへ移動する力が失われるのです(←これ、かなり怖いです)。

 

現状と妄想のギャップが激しいから、その認知不協和がエネルギーになります。「こんなはずじゃない」という感覚がエネルギーになるのです。

 

情報空間をゴールの方向へ移動するエネルギーです(ちなみに「移動」って連続的なニュアンスがありますが、思いっきり離散的だと考えましょう。ワープです。これは考え方の問題ではなく、Factなのだと僕は思っています)。

 

暑い夏の日に喫茶店に駆け込むのは、喫茶店が目に入ったときに、喫茶店がもたらす涼しさと快適さを一瞬想像し、その刹那後に今の絶望的な暑さに嫌になるからこそです。それが「努力はいらない」のポイントです。でも傍(はた)から見ると必死で努力して行動しているように見えるのです。暑いさなかに、猛ダッシュしているのですから、すごい「努力」ですよね。

でもやっている本人からすると、一歩一歩が快適な喫茶店の喜びへ近づいてので、炎天下に汗だくで走ることすら喜びなのです。

 

 

たとえば「きちんとゴールを達成した世界の臨場感が上がっているのに、なぜかゴールに近づかない」という人は、厳しい言い方をすれば「現実が見えていない」のです。

現実が見えていないというのは、なんだかドリームキラーのような物言いですが、ちょっと違うのです。輪ゴムを引っ張るときは上方にも下方にも引かないと、弾性力は溜まらないのです。

上だけに引っ張っても現実を変える力にはなりません。

 

現実が冷静に見えていて、自分が望むゴールなど到底達成できないであろうことは重々承知で、なおそのゴールをどうしても達成したい、という何とも悲恋のような感覚こそがゴール設定です。

 

絶望に裏打ちされた希望であり、ワクワクであり、焦燥感であるべきなのです(僕は恐怖と表現することもあります)。

 

映画マトリックスの第一作目でキアヌ・リーブス演じるアンダーソンくんがエージェントたちに追い詰められて「No way」とつぶやくシーンが僕は好きです。

まさにNo wayで彼は捕まるのですが、そのNo wayのときにでも活路を見出したいと考えて、クリームをバターにするのがゴール設定の力とあがきなのです。

 

 

 

チャイティンはこんな風に言います。

 

理論的には問題が解けないことを理論家が証明できることはよくあるが、それをソフトウェアエンジニアは華麗に裏切っていく、と。

「永遠に無理」と思っても、「適当な時間内に良い近似を与える巧妙なアルゴリズムを見つけ出す」と。

そして人間の知的能力はそれに近く、「うまくまねができるようにわずかでも、少しずつ這い上がっていく」と言います。

 

グレゴリー・チャイティン

 

AIについてもこう言います。

AIというのは定理の結果ではない、地道な作業の結果だと。一個ずつ積み重ねられていく巨大なエンジニアリングであり、それこそが自然が行っていることだ、と。

 

人間の知的能力とAIとNatural selection(自然淘汰)が綺麗に重なり合います。

 

アルファゼロはチェスと将棋と碁の汎用AIとして生まれて、数時間で暫定チャンピオンを破っていきました(残念ながらそれは人間ではなく、AIですが)。

 

古いフレーム問題を持ち出してAIはその枠を出ないという論文も出てきますが、、、「その科学がなんの役に立つのですか?」と聞かれた科学者が「生まれたての赤ん坊がなんの役に立ちますか?」と聞き返した逸話を思い出します。

AIはまだまだ赤ん坊です。でも恐るべき赤ん坊です。

 

そして我々にそっくりの赤ん坊なのです。

 

イ・セドルを破ったAlphaGoは棋界を引退したそうです。彗星のごとくデビューし、彗星のごとく去っていきました。永遠に。

その子供であるAlphaGo Zeroは教師なし学習でAlphaGoを完膚無きまでに破り、そのAlphaGo Zeroを生まれて8時間でAlphaZeroで破りました。

 

イ・セドル < AlphaGo ≪ AlphaGo Zero ≪ AlphaZero

 

そりゃ、AlphaGoも引退しますね(^o^)

 

ビッグデータが無ければ、、、、などと言っていた時代が「今は昔」です。たしかにAlphaGoはインターネット上の膨大な記譜を食べて成長しました。でもGo Zeroからはデータは自己生成するようになりました。

 

一周回って、僕らと似ていることをしているのです。再帰です。

我々もAIを見習っていきましょう!

 

 

No way(もうだめだ)とつぶやきたくなるときにこそ、ズルズルと粘るのです。

 

 

 

【参考資料】

グーグルの最新AI「AlphaZero」は、3つのゲームで人間を超えた──その実力と「次のステップ」

 

このディープマインドの新しい論文によると、白紙状態のAlphaZeroを3つ使い、それぞれに異なるゲームを学ばせたという。もはや人間はチェス・囲碁・将棋において最高のプレーヤーではなくなったので、AlphaZeroは現時点で利用できる専門の人工プレーヤーのなかでも最強のものを相手にテストされた。

そしてこの新プログラムは、3つすべてを破ったのである──それもすぐに。4時間でチェスの世界一になり、将棋では2時間で同様のレベルに達し、そして8時間でディープマインドのそれまでの最強の碁プレーヤーであるAlphaGo Zeroを打ち負かすまでになった。

(ちなみに「現時点で利用できる専門の人工プレーヤーのなかでも最強のもの」とは、Stockfish、Elmo、AlphaGo Zero(3日間学習)です)

C.f. 「AlphaGo」から進化 将棋とチェスでも世界最強「AlphaZero」

 

囲碁AI「AlphaGO」の次世代版は、自己対局で「最強」を超えた──その進化の本質と、グーグルの野望

 

 

世界最強となったDeepMindの「AlphaGo」が棋界引退宣言 AI同士の棋譜を公開

 
 

 

蛇足ながら、、、その人間を凌駕したAIを教師として学ぶ人間が猛烈な強さを誇っています。藤井五段は3段リーグから使い始めたと言われます。

 

藤井聡太は自宅の将棋ソフトとほぼ互角!ではPonanzaと比較するとどちらが強いのか、調べてみた!

 

(私事ですが、僕は幸いにも、五段昇段とC級1組への昇給の瞬間をAmebaTVのおかげでライブで見れました。帰宅が遅れたので、もう感想戦かなーと思ったら、バタバタと指して、投了の瞬間でした)(史上初の中学生5段です)

 

 昇段・昇級を決めたその将棋もすさまじく、叩きの歩で守りの金銀を手抜きではがさせながら、肉を切らせて骨を断ちに行き、下がった玉を一手損で戻り、まあ、見事でした(羽生さんが指した歩を成り捨てたシーンを思い出します。「違うな〜」と思ったら固執せず、撤退する勇気ですね)。

藤井五段の昇段一局目の南九段との大熱戦というか必敗型をひっくり返した怪しい指し回しは驚愕でした(この解説が秀逸かと思います)

もう古びた戦法と思われた雁木がコンピューター将棋のおかげで復活しているのも面白すぎます。

AIは明らかに将棋の世界も碁の世界も豊かにしています。

 

我々は天才から学び続けてきましたが、その天才の列にAIも並べれば良いのです。

 

 

 

実際、理論的には問題が解けないということを理論家が証明できるというのはよくあることですが、ソフトウェアエンジニアは、普通はうまくいく、つまり適当な時間内に良い近似を与える巧妙なアルゴリズムを見つけ出すものなんです。私は、人間の知的能力というのはそれに近いものだろうと考えています。うまくまねができるようにわずかでも、少しずつ這い上がっていくのです。

 そして、私は、ほとんど半分ぐらいまで来ているのではないかと思っています。それに気づいていないだけなんです。今から五〇年もすれば本当のAIにかなり近づいていて、どうしてAIを作るのが難しいと考えていたのだろうと不思議に思うようになるでしょう。AIというのは、定理の結果じゃありません。地道な作業の結果なんです。一個ずつ積み重ねられていく巨大なエンジニアリングプロジェクトなんです。それこそ自然が行っていることなのです。生物学者の言い方では、神は鋳掛け屋のようなものです。いろんなものを組み合わせ、つぎはぎをして、新しい形態の生命を創造するのです。一回ずつわずかな変更を行って実験していくのです。これに当てはまるスペイン語がありましたね。

 

ーーウン・リメンドンですか・

 

そうです。ウン・リメンドン。修理が好きな人、捨ててしまうのではなく、直してしまうのです。〈笑い〉人間は、芸術的な傑作ではありません。つぎ合わせだらけ、少しずつ手直しされ、緊急事態が発生して、設計を変更しなければならなくなるたびに手を入れられたのです。奇妙な不格好な生き物ですが、ともかくちゃんと動くのです。AIもそうなると私は思うのです。

(pp.20-21)

 

 

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