「気功ってどこまでできるんですか?」〜ベーコン、クリプキ、マクスウェル、ウィトゲンシュタインと | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「気功ってどこまでできるんですか?」

と先日のスクールで受講生から質問がありました。


たしかに気功は驚くほど様々なことを叶えてくれます。
まさに「♬不思議なポッケで叶えてくれる〜」ものです。
あまりに多くのことが叶うし、際限が無いような気すらします。






じゃあ、その限界ってどこなんでしょう?
気功でどこまでできるのでしょうか?



その前に確認です(*^^*)


そもそも気功のパワーはどこから来るのでしょう。

僕らは最早、「北極星からです( ー`дー´)キリッ」とは言えないくらいに、スレてしまっています。
とは言え、「秘伝の気です!」ですという勇気もありません。

神様の恩寵と言うほどには、神様を信じていなくて、科学の力というほどには、科学を盲信できていません。

強いて言えば、、、

フランシス・ベーコンですね。


*シェイクスピアの正体かもなどと言われるフランシス・ベーコン


知は力なり、というあれです。

知ることが、そのままパワーになるということを我々は確信しています。

ですから、知が気の力の源泉ということです。

これを大前提として、次へ進みましょう。




僕らはクリプキの可能世界意味論をひとつの作業仮説として採用しています。

クリプキの可能世界意味論って何でしょう?
一応、様相論理学の完全性定理ということですが、ここではゴール設定の説明に使います。

我々はとりあえず現実世界という「いま、ここ」にいて、目の前には未来が膨大に広がっています。

イメージとしては、たくさんの風船がぶわっーーーと目の前を飛んでいるような感じです。未来は無限にあるのです。




そのたくさんのたくさんの風船の中に様々な未来の像が広がっています。

その中に奇跡のように理想的な未来がただひとつだけあり、それをつかむために飛翔するのが、ゴール設定です。

つかむために飛翔した瞬間に、その世界の向こう側にある輝かしい未来が垣間見えてしまい、その世界にまた一目惚れしてしまいます。それが、「現状の外」という無機質な言葉のリアルな感覚です。

我々はその一瞬の記憶を後生大事に抱えることで、脳が一足先にその世界に適応していきます。そのことで、ゴールの達成の仕方が見えてきます。これは本当に天啓のように見えてきます。

「いま、ここ」の現状の中でどれだけ足掻いても無理なことが、空から降ってくるかのようにアイデアとしてもたらされます。

そして、そのアイデアという蜘蛛の糸をつかむ勇気さえあれば、階段を一段上がれます。


膨大な風船のように目の前に広がる可能世界(未来世界)へと移動するためのチケットが知識です。
我々は知っているか、知らないかで、移動できるか否かが決まるのです。

知ることができれば、理想世界へ、ゴールの世界へ移動できるし、知らなければ、永遠に憧れだけで終わります。

ですから、風船に移動するためには知識というチケットが必要ということです。

ちなみにこの「知識」というのも厄介なもので、我々が考えている「知識」と少しずれます。
我々は知識を正しいものと無邪気に考えますが、実際は違います。
絶対的に正しい知識など絶対に無いのです。

ここで言う知識は「移動させてくれるもの」です。ですから、ウソでも間違いでも、明らかな詐欺でも何でもいいのです。移動させてくれれば、正しい知識なのです。


*だからこそ、ウィトゲンシュタインは階段を登りきったら、その階段を蹴落とせといいました。後生大事に階段を抱えていると、その階段を使って降りるハメに陥ります。


火事になったときに、寝室で寝ている子どもたちを脅かさないように、「さあ、夜のお散歩に行くよ」と言って、騙して家の外に出すのは、それはウソではなく、別な可能世界に行くための正しい知識なのです。
高い可能性で焼け死ぬ現状から、生き残るという理想世界への移動を担保してくれる「知識」が機能するのであれば、それは正しい知識ということになります。


我々は知識を用いて移動します。あたかも飛び石を伝って移動するように、可能世界から可能世界へと飛び移ります。

そしてどんどん抽象度を高め、理想世界へと近づきます。


端的に言えばこれが気功であり、知は力ということです。


ですから、「気功ってどこまでできるんですか?」という質問の回答はシンプルです。

知識がある限り、知っている限り、ということになります。


我々は知ることで、自分の世界を広げていきます。そのことで、やれることが指数関数的に増えていきます。
ただやりたいことも指数関数的に増えていき、できないと絶望することもまた指数関数的に増えていきます。

まあ、それが醍醐味ではあるのですが。


そう考えると、、、、、マクスウェルの言葉が頭に響きます。


*寺子屋「熱力学」でも重要な役割を果たすマクスウェルです。マクスウェルの魔は果たして、、、

(引用開始)これを踏まえると、エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだいということになる。取り出せるエネルギーとは、望ましい経路ならどんなものにでも導くことのできるエネルギーだ。散逸したエネルギーとは、手に入れることも、意のままに導くこともできないエネルギーで、たとえば、我々が熱と呼ぶ、分子の混沌とした運動状態がそれにあたる。ところで、この混沌とは、相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される。(引用終了)

知識次第で、エネルギーを取り出すこともできるし、そうでないこともあり得る。
これは事実です。

我々はマッチを擦って熱エネルギーを取り出すことができますが、その知識がない原始人には無理でしょう。
一方で原始人は木から火をおこすことができるでしょうが、我々には無理でしょう。

そして原始人にも我々のほとんどにも目の前にあるウラニウムからエネルギーを取り出すのは難しいでしょう。

これを踏まえると、エネルギーの散逸という概念は、我々の知識の程度しだいということになる。」のです。


そうすると面白いことにエネルギーやエントロピーの問題というのは、突如として情報理論に切り替わるのです。


だからこそ、「この混沌とは、相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される」のです。



マトリックスにおいて、覚醒する前のトーマス・アンダーソン君がエージェントたちに追い詰められ、ビルの窓枠にしがみつきながら"no way"と言うシーンがあります。




まさに彼にとっては道が無かったのです。

それは、「相関名辞と同様、物質自体の属性ではなく、それを認識する心との相関によって規定される」からです。彼の心にとっては、もう逃げ道は全部ふさがっていたのです。


僕はこのシーンがとても好きです。


当然ながら、このあと彼は捕まるのですが、我々もまたチャンスが膨大にあるところで"No way"と絶望的につぶやきます。
なぜならチャンスが目の前にあるのに目がふさがっているからです。


そのチャンスは知識のカタチで提示され、そしてその知識こそが理想世界へ移動するためのチケットとして機能します。



ですから、「気功ってどこまでできるのか?」という質問には、知識がある限り、知る限り、そしてゴールが設定できる限りと答えるのみです。


たしかに我々の前には無限の可能性がありますが、その可能性を見出す人はわずかです。




*壁を突破しましょう!!すべての鍵は自らの内にあります。



【書籍紹介】
懐かしい懐かしい懐かしい本ですね~
いま読み返すといろいろと新しい発見があるかもです。
科学、そして数学、哲学について一気に俯瞰したい人はオススメです!

上記のマクスウェルの手紙はこちらからの引用です!
ユーザーイリュージョン―意識という幻想/紀伊國屋書店

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