獅子はその爪痕(つめあと)でわかる(ヨハン・ベルヌーイ)〜2017年寺子屋リブート!!〜 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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ヨハン・ベルヌーイはオイラーを見い出した数学者です。
(オイラーとわずかに生きた時代が重なるのがガウスです。数学の世界ではこの2人の天才は欠かせません)


*「数学のサイクロプス(単眼の巨人)」とフリードリヒ二世に讃えられた天才数学者です。


そのヨハン・ベルヌーイが数学の懸賞問題として出したのが、二点間の最短距離です。
いや、二点間の最短距離と言えば直線なのですが、、、、

こんな問題です。

ある滑り台を考えます。滑り台のスタートからゴールまでが決まっていたとして、どんな形状の滑り台だったら、最も素早く滑り降りれるだろうかという問題です。

直感的には一直線が良さそうです。一直線の普通の滑り台です。
実際に二点間の最短距離は直線ですし、斜めであれば、普通に滑り落ちることができます。



たとえばこの問題をガリレオは円弧と考えたようです。
しかし実際は違いました。

最適解は直線でも円弧でもなかったのです。


「まといのば」の以前のブログでは新聞での懸賞問題と書いたのですが、Wikipediaによると著作で問題を提示しているようです。ニュートンが知ったのは期限ギリギリ。
造幣局の仕事が終わってから、取り組み明け方までで仕上げたようです。

(引用開始)
ヨハン・ベルヌーイは(以前に解析した当時曲線を参照して)この問題を解いた後、1696年6月に著書"Acta Eruditorum"で読者に対して問題を提示した。4人の数学者がこれに応じて解答した。アイザック・ニュートン、ヤコブ・ベルヌーイ(ヨハンの兄)、ゴットフリート・ライプニッツ、ギヨーム・ド・ロピタルである。ロピタルを除く3人の解答は1697年の同じ版で出版された。(引用終了)

ただ本人は自分が解いたと知られるのが嫌で匿名で出しました。

しかし、ヨハン・ベルヌーイはその回答をひと目見て「獅子はその爪痕で分かる」とニュートンの手によると喝破したそうです。

かっこいい話です。

まあ、とは言え、これが解けたのはヨハン・ベルヌーイの兄のヤコブ・ベルヌーイ、そしてライプニッツとロピテルです。解ける人自身が少ないので、さすがにニュートンだと分かるかとは思います(そもそもライプニッツがヨハン・ベルヌーイをそそのかして、ニュートンへの挑戦状として懸賞問題にしたという話しもあります)。

そして、その滑り台の回答がこちらです。



楕円の円弧のような不思議な曲線ですが、サイクロイドと呼ばれます。

このサイクロイドはいろいろと不思議な性質を持つのですが、二点間の最速降下曲線という性質も持ちます(ちなみにこの滑り台は面白いもので、どの高さから滑り落ちても同時に滑り降ります。ガリレオの斜面の実験を間違ってサイクロイドの滑り台でやったら、それも高さをなぜか変えてボールをとしたら、さぞ面食らうでしょうねw)

サイクロイドの書き方はシンプルです。

タイヤのどこかに小さなライトをつけて転がします。そのライトの軌跡がサイクロイドです。
こうやって描けたサイクロイドをひっくり返せば、その曲線が滑り台になります。



CC 表示-継承 3.0, Link



なぜこの話からスタートしたのかと言えば、シンプルな話しです。

二点間の最短距離は直線であるというエウクレイデスの洗脳から逃れたいためです。
(いやエウクレイデスことユークリッドは別にそのようなことを企図したのではなく、要請しただけですが)

まあ、正確には最速降下曲線ですが、、、最短距離を移動する時間が最小であると定義すれば(そう定義しても問題はないので)、直線が最短とは限らないのが分かります。


地図でも同じような現象が見られます。
あまり良い例とはいえないかもしれませんが、似たようなケースというのはなかなか無いので、頭の体操だと思ってください。

いわゆる大圏コースというやつです。
ロサンゼルスから東京に飛ぶときに、地図上では大回りするように見えるというあれです。
もちろんその地図はメルカトル図法であり、メルカトル図法自体が正確な縮尺ではありません。



赤い航路が大圏コースになります(東京から行く場合はジェット気流に乗るために大圏コースではありません)。
ロサンゼルスから東京に行くコースが大圏コースです。

大圏コースというのは、数学で言う大円(だいえん)を通るコースです。大円(だいえん)というのは、球体上の最短距離のことです。
地球を手にすることができて、大円にナイフの刃を当てると、中心に届きます。



これは直感的には遠回りに見えます。
二点を結ぶ最短距離、最短航路は直線に感じるからです。

もちろん我々の使っている地図が現実とあっていない、という反論もあるかもしれません。実際は直線なんだけど、表記が曲線になる、と。

しかし現実にも直線ではなく、曲線です。上昇したあとは地球の湾曲に合わせます(高度を一定に保つということは、地球に沿うということです)。


まあ、いずれにしてもあまり良い例ではありませんね。


我々は二点間の最短距離を直線と反射的に考えがちですが、それはユークリッド幾何学の世界だけだということです。他の世界であれば、また別です(たとえば地球という球体であれば、すべての平行な経線は無数に交わります)。

最短距離を測地線と呼びます。

そして、最短距離を通るように物理法則はデザインされています。

それが第一に幾何光学のフェルマーの原理であり、第二に惑星の運行でした。
すなわち、幾何光学の3つの性質である直進、反射、屈折は最短距離を通るための経路であり、その原理から演繹されるのが、入射角と反射角が等しいということであったり、入射角と屈折角の関係であったりするということです。

屈折は曲がっているのではなく、古い言い方であれば直進しているのです。もしくは測地線を通っている、もしくは最短距離を通っているのです。最小作用の原理に従っているのです。

同じく天体の運行もそうです。

月は地球の周りを回っているのではなく、月は直進しているのです。
どこを直進しているかと言えば、曲がった空間に対して、その測地線を"直進”しているということです。




この考え方の何が良いかと言えば、重さを持たない光がなぜ曲がるのかが明確に説明できるといことです。

重力を質量の関数として考えると(いや、質量の関数であるのですが)、質量を持たない光子がなぜ重力によって曲げられるのかの意味がわかりません。

ブラックホールになぜ光が吸い込まれ、そして光ですら脱出できないのか分かりません。重さが無いのであれば、引力は生じないはずです(ここらへんの議論は寺子屋「ブラックホールの熱力学」などを参照してください。ブラックホールは歴史的に3段階あります。第一の説を唱えたのはラプラスです。ニュートン力学の帰結としてのブラックホールです。最も明るいが、最も暗い星と言ったラプラスです!)

地球と同じ密度をもち、そしてその直径が太陽の直径よりも250倍大きいはずの明るい星は、引力の結果、その光線の何ものもわれわれに到達することを許さないだろう。したがって宇宙におけるもっとも大きい明るい物体は、この原因によってみえないことも可能である。 P.S.Laplace(1798)


*ラプラスというと、こちらしか思い出せませんが、、、、(・_・;)


*こちらがピエール=シモン・ラプラスです。ラプラスの魔のラプラスです。



話を戻しましょう。

なぜ重さを持たない光が、重力の影響を受けるのでしょう。

我々は重力についての理解を修正しなくてはいけません。

光はいつも直進します。正確には測地線に沿うのです。
重力は空間そのものを歪めます。というか、空間の歪みを重力と表現しています。
その歪んだ空間の最短距離を光は移動するので、月が地球の周りを回るように、光も重力の影響を受けたかのごとく(受けているのですが)、曲がります(ちなみにこの曲がった光をイギリスのエディントンが観測したことで、一般相対性理論の実証となりました)。


*曲がった光をどう観測するかと言えば、蜃気楼などをイメージすると良いと思います。光が屈曲することによって、蜃気楼と同じくありえない位置に星が見えるのです。もちろん太陽が明るくて、その近くの星は通常は見えませんが、太陽のライトがオフされる瞬間、すなわちEclipse(日蝕)を狙って撮影されました。


*蜃気楼のおかげで、ラピュタのように浮島現象として見えます。



いきなり経済学の話しに戻りますが、経済学はこの物理学の特にニュートン以来の天文学の手法を劣化コピーさせます。

天文学で重要なのは最小作用の原理です。

天体はきわめて合理的に動くのです。

コストがかからず(ゼロ)、無駄のない動きをします(厳密に言えば外力が加わらない物体はそもそも慣性運動しかしません)。

最小作用の原理です。


そして、なぜか人間も合理的な個人が完全情報を元に行動すると考えたので、天体現象と同じく決定論的に記述できると考えました(ちょっと雑な言い方ですね)。

寺子屋「はじめての数理経済学」の最後にやったReal Bussiness Modelにおいては、最小化ならぬ最大化する量をL(ラグランジアン)として、求めました(最小化と最大化はコインの裏表です。0にならないとすれば、逆数を取れば、最小化になります)。

RBMでは「消費と余暇が最大になる」ための条件を求めました。
消費をConsumeのc,余暇をLaborを1から引いて、(1−L)で表します。

これは天体の運行と同じように、微分が使えるのです。

物理学に比べれば、経済学の数学自体に難しいところはありません。

いや、もし授業でやるのであれば、とても難しいのかもしれません(物理学も数学も)。それはそのものの難しさというよりは、教え方の不備であり、デザインの失敗です。足し算ですら、教え方を失敗すれば、超難解になります(たとえば厳密性を厳格に適用しようとして、ラッセルとホワイトヘッドの「プリンキピアマテマティカ」を教材にするとかw)

ただ我々が大人の教養としてやる分には、ざっくりと読めれば良いのです。出された数式を理解して、その展開をきちんと追うことができれば十分です。

そう割り切るのであれば、数学は容易です。

誰もがフェルマーの最終定理を解いたり、ポアンカレ予想を解くわけではありません。いや、解こうとしている天才プレイヤーたちであっても、ほかの証明は読むだけです。自分でゼロから解こうとかしません(そんな天才はラマヌジャンだけです)。


*ワイルズが最初にフェルマーの最終定理の証明を公開した瞬間です(もちろんこの半年後に撤回され、そして再び証明しますが)。


数学者自身も自分の専門分野以外は素人です(素人ながら、学習するスピードが早いのです)(大事なポイントはこの学習の早さです)。


ファインマンがかつてこう言う意味のことを言いました。

「なるほど、そんなことを覚えているから、私が君達に即座に追いつけたのだ」と。

彼は我々に他分野での秀才に「即座に追いつく」ための方法をこっそり教えてくれています。

ファインマンが学生時代に、生物学を学びに行き、ゼミか何かで猫の解剖学で説明を開始しようとしたときのことです。
猫の解剖学の具体的な名称(筋肉とか腱とか視神経とかでしょうか)を黒板に丁寧に書いていたら、生物学の学生から、「そんなことは覚えているから、書かなくて良い」と言われたそうです。

それに対して、上記のように答えました。

(引用開始)このテーマ(引用者注:ネコの神経の電圧測定の実験を通して、神経インパルスの論文)で僕が話をする番がやってきた。僕はまず黒板にネコの輪郭を描き、諸筋肉の名をあげることからはじめた。全部まで言わないうちに、クラスの連中が、「そんなもの皆わかっているよ」と言いだした。
「ええ? ほんとうか?」と僕は言い返した。「道理で四年間も生物学をやってきた君たちに僕がさっさと追いつけるはずだよ。」それこそネコの地図を一五分もみればわかることを、いちいち暗記なんかしているから時間がいくらあっても足りないのだ。
(引用終了)(R.P.ファインマン p.111『ご冗談でしょう! ファインマンさん』岩波現代文庫)

そのとおりだと思います。

調べれば分かることを、いちいち覚える必要は無いのです。

数学にせよ、物理学にせよ、我々は学び方が古いのです。
自分の頭をグーグル先生なり、辞典や辞書にすることはないのです。
グーグルや辞書は別にいるのですが、それを使役しましょう。外部メモリとしてフル活用しましょう。

人間がやることと、やらなくてい良いことは厳然と分けるべきです。
かつては辞書は貴重で、検索には時間がかかったので、WalkingDictionariesが必要だったのです。


昨日も導入した数学の指数関数にせよ、対数にせよ、行列にせよ、三角関数にせよ、我々が学校時代に無駄なことを教えられすぎたのです(具体的に何が無駄かを列挙せよと言われたら、何時間でも話せそうですw)(でもその時間が無駄なので、我々は数学が分かる大人をどんどん育てたいと思っています。分かってしまえば、簡単です。数学の難しさ奥深さはもっと先にあります)。

実際に現実世界で一番使っていることだけを絞って教え、何となく分かるようにすればいいのです。分かるというか、数学という言語が読めるようになればいいのです。

数式や証明を順を追ってその意味が分かればいいのです。




それなのに学校では、ともかく大量に解かせたりします。我々が見ても首をひねるような問題を次々と解かせたりします。

僕らは人工知能ではないのです。解けなくて良いから、読めればいいのです。


絵を学ぶときに、描けるようにするでしょうか、音楽を学ぶときに、作曲もやり、指揮もやり、演奏もできるようにするでしょうか。画家になったり、音楽家になるというのなら別です。そうではなく、教養として学ぶときは、鑑賞の仕方を学び、技法を学びます。
歴史を学ぶ時に、発掘調査の方法から、刷毛の使い方から学ぶ人はいません。もしくは自分ですべての遺跡を見て、自分で歴史を調査せよ、とかありえません。

しかし、物理学や数学ではそれをやらせようとします。歴史的に重要だからという理由で、全く役に立たない議論を延々と強制されます。

我々はもっと近道があるのです。

アルキメデスは「幾何学に王道無し」(学問に王道なし)と言いましたが、無駄な道はあります。そして迷路もたくさんあります。
アルキメデスが言ったように原論を丁寧に学ぶのが王道です。それ以上の王道が無いだけです。




その意味で、むしろまっすぐに測地線をたどる方法はあります。ほかの脇道に逸れる勉強法に比べたら、最短距離ということです。
その道はアリアドネの糸をたどるように、曲がりくねった道に見えるかもしれませんが、それが実は最短なのです。最短で出口にたどり着ける方法です。


傲慢で我田引水な物言いであることは百も承知ですが、「まといのば」が提供する寺子屋シリーズはそのアリアドネの糸の一つでありたいと思って継続しています(そして2017年からは寺子屋新章のスタートです。ゼロからの寺子屋講座をやっていきます!!乞うご期待!!)。



*我々の能力はもっともっと開発できるのです。そしてその能力を遺憾なく発揮できる場は十分にあります!!
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