語学には語学の身体があり、数学には数学の身体がある | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
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先日の寺子屋でしたか、Yogaスクールでしたか(いや、両方かな)、「次はハタヨガを用いて語学学習をします!」と受講生に言ったら、きょとんとした顔をされました。
たしかにYogaと語学習得はずいぶんと離れた点に感じます。ただ「まといのば」ではYogaもフレームの転換でしかないと言っているので、同じものです。

というかそれ以前に、語学って体育じゃなかったっけ?と僕は思うのですが...。

語学は身体で覚えるものです。というか、すべての学問は頭ではなく、身体で獲得するものです。まあ頭も含めて身体ですね。

それを間違って、考える人は詩人ではなく、考えている人なんだ、あれは「考えている」姿なんだ、と思ってしまって、頭だけで考える癖が我々はついてしまいました(いや、まあロダンはさておき)



考えるというのは、頭ではなく身体で考えます。

小学校などで、落ち着きなくいつも歩きまわって、意味不明なことを思いつきでよくしゃべるのに、なぜか勉強はできる子とかいなかったでしょうか。今でしたら多動とかADHDなどと言われて薬でも投与されるのかもしれませんが。

子ども(幼児)などもそうですが、何も見てないように騒いでいてきっちりすべて見ていたりします。それがよく分かるのは、バレエの子どものクラスなどで、教師が振り付けを渡しているときに、キャハキャハと遊んでいるので、音楽がかかると完璧に踊れる子どもたち。いわゆるちらっと見て完璧に覚えてしまうのです。彼らのタイムシェアリングされた超並列コンピュータからすると、じっとアンシェヌマンを追っているなんて、退屈なのかもしれません。

ちなみに、速読講座でもやりましたが、早く理解したほうが深く理解できることが多いです。時間がかかるのは仕方ありませんが、早くできることをゆっくりやるメリットはありません。単に流れる体感の時間が遅くなるだけです。成長がゆっくりになり止まるだけです。制限された時間の中を生きているのは物理的な肉体を持つ以上、仕方のないことなので、そうであれば同じ時間をより稠密にしたほうが、体感として長く生きられるのにと僕は思います(まあ、我々は本能的に長く生きたい、できれば不死でありたいと思うという前提がありますが)。



書籍で言えば、5分で読んでしまえば、冒頭の箇所は5分前なのでまだ記憶に新しいのですが、5年かけて読めば、5年前の記憶なので、再読しないと思い出しません。ですから、速く読んだほうが、全体の内容を圧縮し、全体像を俯瞰するのが大変ではないので深く理解できるのです。それから速読というのは誤解されがちですが、多くの本を大量に読むためではなく(そういうこともありますが)、むしろ1冊の本を繰り返し読むために使います。あまりに重要な本で、自分にとって価値ある本で、頭の中にインストールしてしまいたく、また身体に刻みこみたい本というのがあります。そしてそれをするために、再読する中で速読をします。

また「多くの本を大量に読む」ときは、巷間で思われているように、「たくさんの本を読むと賢くなるから」とかではなく(たくさんの本を読んでいるバカによく出会いませんか?読んでいないバカよりマシかなとも思いますが)、きちんと読むべき本かの味見のために速読をするのです。それから、自分の見方が偏っていないか、自分の直観なり手触りがどれほどまで妥当かをチェックするために多読して速読します。ですから、これは読書にはカウントしません。単なるチェックです。ただそれでも内容のほとんどは頭に入ります。というのも「日の下に新しいものはなし」だからです。「先にあったことは、また後にもある」のです(もちろんiPadが以前にあったとは思いませんが、そういうことではありません)。

基本的には情報の99%くらいは共有されたものであり、そこにフレーバーのように新味が追加されるのが書籍です。ですから、書籍は少なくとも100分の1には圧縮可能です(この数字は書籍と読者の知識に依存します)。逆にそこ(差分)だけ見つければ良いのです。

それはさておき、はしゃぐ子どもたちがアンシェヌマンを覚えるときは、全部を逐一見ていなくても、要所要所でちらっと見ることで、全体のゲシュタルトができるということです。情報の伝達にはいつも冗長性があり、ほとんどの情報が失われても、正確に復元できることがあります。

というよりは、以下の文章がすんなり僕らは読めてしまうほど、僕らは断片的な情報から正確な情報を復元することに長けています。シャノンを持ち出すまでもなく、情報伝達にはいつも冗長性があるのです(冗長性が無いと伝達が失敗ばかりします)
いやいや、「こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。」のように、きちんと読むと意味不明でも、ざっくり読むと読めるものがあります。

だんだん本題からずれてきたので、ざっくりと結論です。

ハタヨガで身体を作る感覚ができてくると、脳がどのフレームを選択するかで身体の状態が全く異なることが分かります。たとえば身体が固いフレームを選ぶことも、柔らかいフレームを選ぶこともできます。そのことに長けてくると、次は気功技術の効きが変わります。ハタヨガの身体で、気功技術を1つ1つ召喚すると効きが異なります。良い土地に種を撒けば大量の収穫が期待できます。(天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる)。
それが分かれば、語学習得も数学や科学、哲学も同じ要領で加速学習が可能になります。

すべては身体からです。
ハタヨガにはハタヨガの身体があり、語学には語学の身体があり、数学には数学の身体があります。瞬時に自在に選べるようにしたいものです。


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