昨日の寺子屋は「デカルト平面(座標系)、ガウス平面」でした。
デカルト平面とはxy座標であり、小学校でもおなじみのグラフです。方眼紙に書くグラフ。
そして、ガウス平面とは見た目はデカルト平面とそっくりながら、y軸が複素数の虚部になっているグラフです。
このデカルト平面(座標)やガウス平面(複素平面)が座標というのが地図であるという感触を持ってもらうことが昨日の寺子屋シリーズのGOALでした。
デカルト座標系というのは、小学校からおなじみのxy座標です。X軸とY軸があって、原点Oで交わっているような直行座標です。
たしか小学生ではxとyが正であるような第一象限(右上のボックス)しかなかったと思います(まあ、負の数が導入されていないので当たり前でしょう)。
中学に入ると負の数が入るので、4つのボックスとなります。第一象限をfirst quadrantと言いますが、quadrantと言うと金持ち父さんを思い出しますね。
上の図にはx,yと書いていませんので、Wikipediaの図も張ります。
最初は馴染みやすく、方眼紙にグラフを書いたイメージでxy座標を思い出して、それを一気に抽象化させるのがコツです。
で、そのY座標の目盛りを1,2,3...という実数の集合ではなく、i,2i,3i,4iと目盛りを打てば、ガウス平面になります。
x軸に実数を取り、y軸に虚数を取ります。
時間も余白もないので、サクッと本稿を終わらせますが、昨日の寺子屋シリーズのテーマは「数字をを再定義しよう!」ということでした。
*携帯電話を再定義したJobs
1とか2とか3を数字だと直感してしまう癖をやめて、a+biを数字だと思いましょうということです。
再定義でも何でもなく、常識的な数の概念を自分の概念としましょうということです。
すなわち、数といえば複素数ということです。
複素数とは a+bi と書けるような数です。ここで a とb は実数であり、iは虚数です。√-1です。
数と言えば、複素数というアイデアをいつも直感するということです。
これは天動説から地動説のようなもので、パラダイム・シフトしている人からすれば当たり前すぎる話です。ですので、天動説側からもピンと来ないでしょうし、複素数が当たり前に数だと思っている地動説側からすれば、「何をいまさら」でしょう。
数というのは、複素数そのものですが、複素数の中に小さなグループがあり、その中に小さなグループがあり、またその中に小さなグループがあります。
マトリューシカのような構造です。
一番外側は複素数です。a+biという形です。
その内側に実数があります。Real numberですね。
その内側に有理数があります。いわゆる分数です。
その内側に整数があります。馴染み深い数たちが出てきます。
その内側に自然数があります。
その内側に...素数があります。
マトリューシカですね。集合(部分集合)と思っても良いと思います(というかそのものです)。
具体的に数を考えてみようと思ったら、内側から外へ向かうほうがイメージしやすいでしょう。
まずは自然数。Natural Numberです。
1,2,3,4,5,6,7....
というのが自然数です。0を含める含めないの議論はありますが、とりあえず1以上の整数です。
で、その外側に整数があります。
整数は自然数に0と負の数を加えます。負の数というのはマイナスの数ですね。
...-5,ー4,ー3,ー2,ー1,0,1,2,3,4,5...
整数と言えばクロネッカーです。
昨日も紹介しましたが、彼の「整数は神の作ったものだが、他は人間の作ったものである」(Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk.)という言葉は有名です。
次が有理数。有理数の理は比の意味です。比は分数で表せますので、有理数とは分数のことと考えると良いです。
ですので、有理数は整数+有理数(分数)の集合です。
有理数と言えば、無理数です。無理数というのは分数で表せない数です。たとえば√2などは無理数です。πやらeなども分数では表せないので無理数です。
ですので、次は実数です。実数は有理数+無理数です。
昨日の寺子屋シリーズでのオープニングは「数直線を描いてみよう!」でした。
上記のことを意識しながら書くと、実数まではすべて数直線上に書けます。
数直線上に並べることができます。
一本の線の上に、自然数も整数も有理数(分数)も無理数(√2、√5もπもe)もすべて書けるというのを味わってください。
その上でデカルト平面を考えます。xy座標です。
数を考えると、x軸上にすべての実数は乗ります。
ですが実数は数のほんの一部です。数とはa+biで定義されるようなものです。
ですので、xy直行座標を考え、y軸を虚数部とします。
たとえば、a+biを、x+iyと表現するとよりわかりやすいかもしれません。
それが先ほどの図の意味です。
すべての実数はたかだか一直線上に書けますが、複素数は平面でしか書けないということです。
数が馴染みやすい1次元の世界から、平面という2次元にジャンプする感じです。
ただデカルト座標系(xy直行座標)を拡張したようなガウス平面(複素平面)で考えれば、すべての数を一望できるということです。
逆に言えば実数という数直線だけしか知らない人は、数を知らないと言えます。広大な複素数の世界(数「平面」)を眼前にしていて見ていないということです。
誤解しがちですが、すべての数字は複素数です。
複素数に見えないものも複素数です。
目の前にある3本のペンの3という数字は複素数に見えませんが、a+biの形で書くとするれば、3+0i(本)ということです。また√1という数も複素数です。0+1iです。これを省略してiと書きます。
ガウス平面上では、実数はすべてx軸上にあります。x軸という数直線上に乗っています。
1,2,3も2分の1も、17分の5も数直線上です。πも(自然対数の底の)eも√2も√7もx軸上にあります。それぞれ、1+0i、2+0i、3+0i、2分の1+0iであり、π+0i、e+0i,√2+0i、√7+0iです。
すなわち、実部だけの虚部の係数が0の複素数が実数ということです。
逆に言えば、i、2i、3i、4iというのは、y軸上にあります。実部が0です。
0+i、0+2i、0+3i、0+4iということです。
ガウス平面で√-1はどこかと聞かれると一瞬、わからなくなりますが、Y軸(Im:虚軸)の1の部分です。ー√-1は虚軸の-1です。
数という概念を拡張し(というかそもそもそうなのですが)複素数であると考え、その数は複素平面上に広がっていると考えることです。
とすると、すべての数(複素数)をa+biと書けるということは、
すべての数は
z = a + bi = r(cos θ + i sin θ)
と書けます。
aとbをx,yで置き換えれば、
z = x + yi = r(cos θ + i sin θ)
です。
ここで、rとは原点から(a,b)までの距離です(この距離の出し方の根拠はピタゴラスの定理です)。
もしくは、rとは原点から(x,y)までの距離です。
*距離の出し方はピタゴラスの定理であることが興味深く、そしてピタゴラスの定理からフェルマーの最終定理(大定理)まではわずか一歩です。その一歩に2500年ほど(いやそれ以上ですね)かかりましたが。
ここで、
e^iθ = cos θ + i sin θ
というオイラーの公式を使えば、
なんと複素数は
z = re^iθ
とシンプルに書けるということです。
自然数の1,2,3からするとz = re^iθ はずいぶんと変わった形ですが、これがシンプルな数のかたちなのだと思うといろいろと見えてきます。
z = x + yi = r(cos θ + i sin θ)=re^iθ
オイラーの公式と言えば、πを代入したオイラーの等式が思い出されます。
ステッカーにしても良い素敵な等式です。
e,i,π、1,0,+、=...とオールスター出演の等式です
。
自然対数の底と虚数と円周率と、1と0(単位元)と加法と同値が揃っているシンプルな形です。
しかしそれ以上に、オイラーの公式のほうが指数関数と三角関数を劇的につなぐ(Kissさせる)ものであり、複素数を指数関数で表示するのは、すべての数を指数関数であらわせるという意味でより感動的です。オイラーの等式はオイラーの公式にπを代入したものです。ですので、オイラーの等式はオイラーの公式に包摂されます。
オイラーの公式によって、複素数と三角関数と指数関数という別々の領域の存在がつながります。
別々に進化した領域をつなぐというのが、数学に限らず進歩の道です。
LUBと表現しても良いでしょうし、アウフヘーベンでも、「階段を一歩上がる」でも「抽象度が上がる」と表現しても良いでしょう(いずれにせよ、上がるときにはごっそりと情報が落ちます。そのあたりの感覚は寺子屋シリーズの「シャノンの情報理論」でやりましょう!)。
二つの異なる分野をつなげる作業をしたのが、まさにデカルトであり、それがデカルト平面に結実しています(とは言え、歴史的にxy直行座標をデカルトの偉業にするのは早計なようです。それについては稿をあらためます)。
このガウス平面を点の集合として眺めると、寺子屋シリーズの「算数」で扱ったリーマンゼータ関数の零点の実部が2分の1上にあるというのも、目に浮かぶと思います。
目に浮かぶというか、実際に並べていけば、y軸に平行に零点が並んでいる様がわかります。
現在のところ虚部の小さい順に10兆個がきちんと一直線に並んでいるそうです。これがすべての零点でそうであろうというのがリーマン予想(RH)です。
と、考えると、とっつきにくかったリーマン予想がヴィジュアル的になり、より一層親しみやすくなるのではないでしょうか?
いずれにせよ、ガウス平面は数学の地図の1つであり、地図は現実(数学的現実世界)の写像でしかありません。アリストテレスは「人間が心にイメージを描かずに思考することはない」と言いましたが、代数でも幾何でも解析でも群論や集合論でもイメージはきわめて重要です。
ガウス平面やデカルト平面(座標系)という地図は数学的世界の写像であり、思考する際のイメージの1つとして活用出来ます。
いろいろな学問を横断しながら、抽象度の高い世界の感覚(写像)をつかんで、自分のものにしていきましょう!