【8期1講・2講】永遠に女性的なるものが...ゲーテとヘルマプロディートス | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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*現在、開講中の8期受講生向けのブログ記事ですので、受講生以外の方におきましては、分かりにくい部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。


永遠に女性的なるものが、われらを引き、昇らせる。

というのは、あまりに有名なゲーテのファウストの最後のセリフです。


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Wikiquoteから引用します(改行など編集しています。リンクはWikiquote

メンバーから指摘を受けまして、こちらのほうが良いのではということで、Wikiquoteから差し替えました。こちらのHPからの引用です。ご指摘ありがとうございました。
http://www.korousa.com/2012germancult.2.lec.02.html

(引用開始)


亡びゆくものは すべて比喩にすぎない

及びがたきものが ここに成し遂げられ

言いがたきものが ここに事実となって成就した

永遠に女性的なるものが 高い空へとわれわれを導く


Alles Vergängliche

Ist nur ein Gleichnis;

Das Unzulängliche,

Hier wird’s Ereignis;

Das Unbeschreibliche,

Hier ist’s getan;

Das Ewig-Weibliche

Zieht uns hinan.




(引用終了)


いま8期の第2講「アニマ・アニムス、ヤヌス」が終了し、ブートキャンプに突入しました。

レクチャーモードから、気功師モードに一気に変わり、場の空気が分厚くなりました。
良い感じです。


非常に初日(1講・2講)の中身を受講生向けにざっくりと復習しますと、

廃墟の無人島である軍艦島から抜け出し(同時に、中途半端なリンボー・煉獄を抜け出し)、社会のリーダーになるためには、内なるアニマ・アニムスを意識しましょうということでした。


アニマとは男性の中にある無意識人格の女性的な側面とユングは規定しましたが、元々はラテン語で魂という意味だそうです。男性形がanimus。

(「だそうです」というのも無責任な言い方ですが、翻訳は不可能だと考えれば、ぼんやりと日本語を当てるしかないのでと言い訳をしておきます)

anima アニマ 魂、生命
animus アニムス 心、精神、意思

魂とか生命というと女性的な柔らかなイメージ、精神とか意思というと男性的な強いイメージがあります。

ここでは(「まといのば」では)アニマ・アニムスをユングの意味では使いません。ユングの用語をぼんやりと参考にして、人間の中にある女性的な性格をアニマと言い、人間の中にある男性的な性格をアニムスとします。


で、何がしたいかと言えば、この両方を発揮しましょう、ということです。


マスキュリンな人がいて、フェミニンな人がいるというのは普通のことですが、両方を発揮し、両方を共存させ、両方の性格がいつでも出せるという状態にします。


なぜそのような両方の性格を発揮しなくてはいけないのか?

それがヒーリングや抽象度とどう関係するのか?

これはシンプルです。
片方に長けた人はその性格をより強めます。
徹底的にその方向で突き進みます。
それは最初は良いのですが、限界に当たります。

アニムス的なアプローチは限界が来ますし、アニマ的なアプローチは結果が出にくい、両方を効果的に使うということです。


結論を急げば、対処療法的なアプローチではなく、同種療法的なアプローチで。アニマにはよりアニマにアプローチし、アニムスにはよりアニムスが最初は良いです。最後の反対の性格で仕上げる(アニマ的なクライアントにはアニムス的なアプローチで、アニムス的なクライアントにはアニマ的なアプローチで)。


いずれに、クライアントに「理解された」「寄り添ってくれている」と思ってもらえることが重要です。

「思ってもらえる」というと軟弱な言い方にアニムス的な人は思うでしょうが、臨場感を共有する努力はしても、結局は他者とは理解も共感も困難です。ですが、それを装うことはできますし、装ってくれるだけで、クライアントとしてはヒーリングが始まります。自己治癒です。
すべてのヒーリングは自己治癒でしかありません。それは投薬も手術も同様です。良い医師ならば誰もが知っていることです。投薬も手術もきっかけを与えるに過ぎません。


片方のアプローチは人類の半分にしかアプローチができないのです。

アニムス的に「分かるように話せ」とか「データを見せろ」では、アニマ的な半分の人にはうまくいきません。
アニマ的に「そのままでいいんだよ」「あなたのままで良い、それで完璧」では、アニムス的な人がどうしても変えたいと思っているホメオスタシスを強化するだけです。


両方が理解できて(アルゴリズムを動かせるようにして)、できれば両方に共感できるようにして、両方を使えるようにすることが重要です。


それが、Start With Whyをして、それが他者から発見された「強み」(ドラッカー)とつながったときに、価値を産むステージへ移動するための方法です。

いくら、Whyから始めて自らの内を深く掘り、何かを見つけたとしても、それだけでは社会に機能を果たしません。他者がその有様を見て、何か良さを見つけてくれたとして、それが「強み」となります。
ただそれだけでは価値(より正確には価格を)を生みません。

その両者の間にある関係性(点と点をつなぐ線)を今度は未来に引っ張ることです。ゴールの方向は引張ると考えても良いですし、抽象度を上げると考えても構いません。

自分の内を深く掘ること、他者から自分の「強み」を発見してもらうこと(指摘してくれる顧客はいないので、発見してもらった「強み」を自分で気付くことが必要です。俺はこれで社会に役に立ちそうだと気付くイメージです)以外に、抽象度方向が必要です。

従来の「まといのば」の言い方で言えば、「ゴールをずらす」と定式化していたものです。

「ソクラテスはさておき、プラトンは」と言っていたものです。


ずらすというのは、アニムス的(マスキュリン的)ではありません。
アニムスは、問題は解決したいのです。
健康のためには死んでもいいのです。
ハリウッド映画的です。二人が生き残るためには世界が滅びても良いのです。

アニマから見ると、そのようなアニムスはキ◯ガイに見えますし、アニムスから見ると、アニマは優柔不断で、不合理に見えます。お互いに理解できません。

それを上手に描いたのが(とは言え、女性と男性の違いに定式化したのが失敗だったと僕は思いますが)、 「男は火星から、女は金星からやってきた」と言うジョン・グレイです。やってきた星が違うという感覚は非常に便利です。それは男性、女性ではなく、人間の内なる男性的なものと、女性的なものと読みかえれば良い気がします。


両者が、理解し合えないのは当然です。全く異なる星から来て、全く異なる言葉を話し、全く異なる常識を持つからです。ただ同じ地球に住んでいるので、つい分かり合えると妄想します。


その理解し合えない内なる男性と内なる女性を、自分の内側で和解させるのではなく(和解させると角を矯めて牛を殺すことになりかねません)、両者を極端に先鋭化させることで、どちらも見れる位置に自分を起くことができます。
そのイメージがまさに両性具有のヘルマプロディートスです。

Wikipediaから引用します。

(引用開始)

ヘルマプロディートスとは、古代ギリシャ神話の神のひとり。ヘルメスを父に、アプロディテを母に生まれた頗るつきの美少年であったが、水浴びのさなかにニンフのサルマキスに強姦され、文字通りに一つに合体して両性具有者となった[1]。従って、ヘルマプロディートスの名は、両親にちなんでいるだけでなく、美しい女体をもった美少年(ヘルメスにしてなおかつアプロディテ)という意味ももつ。また、「両性具有」「雌雄同体」を意味する "hermaphrodite" という語の語源でもある。

(引用終了)


父親がヘルメスで、母親がアフロディーテ。
その名前を両方から受け継いでヘルマプロディートス。

そればかりか、ニンフから強姦され、ニンフの希望(一心同体になりたい)がなぜか叶えられ、かわいそうな美少年は両性具有になったという悲劇です。

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女性の美しい身体に見えますが、両性具有です。

反対側から見ると、豊かな胸以外に陰茎が見えます。

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下はかわいそうな美少年がニンフにレイプされている絵です。

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「アルジャーノンに花束を」のかわいそうなネズミの名前のもとになったアルジャーノンは以下のような詩を残しています(これは2講のレジュメで紹介したものです)。

Wikipediaからの引用です。

(引用開始)

Shall make thee man and ease a woman's sighs,

Or make thee woman for a man's delight.

To what strange end hath some strange god made fair

The double blossom of two fruitless flowers?


男の姿をよそおって 女の嘆きを癒すがいい

女の姿をとるもよし 男を喜ばせるために

いかに奇妙な目的ゆえに 奇妙な神は善しとしたのか

実を結ぶことなき二輪の花が 重なり合うて咲き誇るのを?

Algernon Charles Swinburne “Hermaphroditus”


(引用終了)

アニムスを装って、アニマの嘆きを癒し、アニマをとって、アニムスを喜ばせても良いかと思います。
奇妙な目的ではなく、抽象度を上げるため、次の世界は行くために、内なるアニマとアニムスを育て、活性化させ、喧嘩する2人をうまくずらすイメージです。

すると、

永遠に女性的なるものが、われらを引き、昇らせる。

ということになるのかと思います。

アニマ(女性的なるもの)を理解し、体感し、強めることで、アニマが我々を引っ張り、抽象度の高い空間へ昇らせると考えるのも面白いと思います。


【書籍紹介】
本文中に言及した書籍たちです。

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)/新潮社

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WHYから始めよ!―インスパイア型リーダーはここが違う/日本経済新聞出版社

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アルジャーノンに花束を (ダニエル・キイス文庫)/早川書房

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