脳の使い方をマスターしたら人類は次はどこへ行くのか? | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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気功のような「共感覚による内部表現書き換え」は未来においては「普通」のことになっているでしょう。
普通の脳の使い方です。当たり前の現象となると考えます。

似た例を過去に探せば、直近で言えばIT革命がそれに類します。
計算機は唐突に発見され、飛躍的に成長しました。
そしてそれが無い世界はもはや考えられません。
2才児はiPadを使いこなします。*参考記事「System2をSystem1に落とし込む」

教育における良くある間違いといては、個体発生は系統発生を繰り返すかのごとく積み上げて教えていくというものがあります。ユークリッド幾何学から教えて、数論に至るようなものです。

しかし、まずiPadから使わせても良いのではと思います。
公理系を教えるのに、まずユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学を並べて教えても良いのではと思います。
積み上げなくても良いのではと。

余談はさておき、IT革命は1つの大きな革命でした。
似たものに、言語の革命があると思います。多くの人が言語を駆使するようになったという革命です。文字が普通に読めて、普通に書けて、本を多く読み(読書人口はいまだに少ないですが、文章を読む量はインターネットの飛躍的な発展によって、増えています)、コミュニケーションを取るというのは最近の現象です。
柳田国男ではないですが、ほとんど話すこともなく、文字もない民衆というのがつい最近まで普通だったのです。

文盲率が劇的に下がり、IT革命にさらされ、我々は否応なくIQが上がっています。
東南アジアでもアフリカでもまずインフラとして増えるのは携帯電話というのは面白い現象です。
これは何を示すのでしょうか?

カラクリはシンプルです。

ITも言語も携帯電話も共通点があります。

スタンドアローンでは役に立たないのです。
今風に言えば「つながる」ことではじめて起動します。

言語も携帯電話もそうですが、相手との関係の中に生じるものです。ITもそうです。相手との関係、もしくは相互の情報交換の中で意味が生じます。

ゲームがコンピューター相手のものから、オンラインゲームで人を相手にするというのも同じことを象徴しています。ゲームのような一見閉じたものすら(実際に閉じて可能です)、関係性の中で生じる方が楽しいのです。楽しいというと曖昧ですが、人と人が結びつくオンラインゲームのほうが抽象度が高いのです。

そうしてみるとグレゴリー・ベイトソンの木こりの魂はどこにある?という命題がふとよぎります。
木こりの魂は木こりそのものでも、斧にでも、木にあるわけでもなく、その関係制の中に生まれるものだということです。

翻って「言葉」もそうです。言葉もスタンドアローンにあるわけではなく、関係性の中にぼんやりと生まれてきます。それをウィトゲンシュタインは(ヒトラーと同窓でした)言語ゲームという言い方をしました。
現代言語学では「状況意味論」と言います。意味は言葉に内在するものではなく、かと言って発話者に内在するものでもなく、その状況に意味は生まれるということです。だからこそ機械翻訳は失敗しました。なぜなら文法と単語の意味というアルゴリズムだけでは、意味が分からないからです。状況というパラメータが不可欠であり、そのパラメータ無しでは機能しないことが分かりました(ちなみにGoogle翻訳はこの結論を踏まえて、機械翻訳を作っています。すなわち文法と単語の意味からの演繹的なアプローチではなく、膨大な使用例からの帰納的なアプローチを取っています)。

言葉も携帯電話もITもすべてそれ自体(スタンドアローン)では役に立たず、関係が生じてブート(起動)します。友達がいないフェイスブック(フィード購読だけというのも方法ですが)、友だちがいないLine、知り合いがいないスカイプ、登録された番号が0件の携帯電話を想像すれば分かります。

そして人間も同じです。
「人の間」と書いて人間とはきわめて巧妙な気がしますが、人は存在せず(自我は存在せず)「間」、関係性が生じてはじめて人間はブート(起動)されます。
「いやいや物理的には1人でもブートされるでしょう」というのは早計です。
たとえば、身体のスペアを作りたいという真っ当な欲求のために自分のクローンを作ったとします。移植の際に免疫抗体反応も起きないし便利だと考えるのは普通のことです。
しかし、そのクローンをずっと試験官の中に入れておくと成長しないことが知られています。環境に置かないとブートしないのです。意思を持ち、自己判断をして人間として暮らさないと臓器も身体も成長しないのです。
クローンではなく、普通のこどもでも同様です。
ネグレクトされた子供は同じ食事を与えられていても、成長しないことが知られています。体が大きくなりません。文学的に言えば、我々は「パンのみに生きるに非ず」なのです(マタイ4:4)。愛によって生かされます。愛情が無ければ、成長しないのです。成長どころか生きることもできず、孤独死します。

言語現象を考えると脳というのは接続されてはじめてブートすると僕は考えます。
脳はお互いに接続されていて、それが自覚的になるときにはじめて脳は起動します。
接続を媒介しているのはまずは5感でしょうし、言語でしょう。
ホメオスタシス同調(それが匂い物質によるものであれ、視覚情報であれ)も脳の一種の接続です。

脳が接続するというイメージははからずしもWorld Wide Webによって逆に判明したことです。
サイモンとガーファンクルは「I am a rock, I am an island. 」と唄いますが、「私は孤島」だとしても、海水がなければすべてのバラバラの島はつながっているように(海水があっても同じですが)、我々も一人ではないのです。一人ではないというとスピリチュアルっぽいですが、浅薄な理解ではなく、脳科学や現代哲学を経て似て非なる結論にたどり着いているだけです。

脳の新しい使い方というのもすぐに爆発的に広まり、普通のことになるでしょう。
特に若い世代への浸透は劇的でしょう。
なぜなら若い世代は古い脳の使い方からの脱洗脳が不要というそれだけの理由によります。

脳の使い方が更新されたら、人類は次はどこへ行くのでしょう。
これはシンプルです。
肉体へ回帰すると思います。そしてその兆候はすでに「いまある未来」としてここかしこに見えていると思います。

脳を完全に使いこなすことが未来において簡単ということではありません。ただ我々が行なっている気功という名の脳の使い方程度は次世代においては簡単に克服されるだろうということです。その先の道のりは果てしないのですが、とりあえずの結果は出ます。その後にどこへ向かうかと言った時に、ますます脳の開発に勤しむ人もいるでしょうが、多くは肉体へ回帰し(回帰というより、再会するという感じです)肉体の別な方向への鍛え上げに関心が行くと考えます。筋肉を鍛えるとか、単純な機能を鍛えるとかではなくです(当たり前ですが)。

その辺りを含め明後日からの美肌プロ養成スクールや10月の7期養成スクールではガンガンやりたいと思います。お楽しみに。


*というわけでサイモンとガーファンクルの I am a rock.です。名曲です。
幼い頃、狂ったように何度も聞いていました。良い曲です。

(リンク切れのため切り替えました。2022/03/27)