気を感じることがなぜこれほどまでに普通なことでありうるのか? | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

「はじめての気功」受講生のメーリングリスト(というかメールマガジンに近いリスト)から面白いものを紹介します。
はじめての気功のメーリングリストでは、「今さら聞けない気功の質問」を取り上げて(寄せて頂いて)それに回答しています。

今回は質問への回答ではなく、気功という考え方に対するパラダイムシフトについてです。
気を感じることや、気功は特殊なことと考えられがちですが、その考え方自体が巨大なボトルネックであったということが最近分かって来ました。
気感は特殊な感覚ではなく、五感の延長でしかなく、五感でしかありません。これは従来も主張していることです。で、それを敷衍すると、空気を感じ、体温を感じればそれは「気」であると認識して良いのです。なぜなら、意識に上げることがRゆらぎの本質であり、Rゆらぎとは気功の定義そのものだからです。
(というか、これをより敷衍すれば、気功をする際に「気功」という概念そのものが邪魔であり、ボトルネックだということが分かります。じゃあ、どうすればいいのか?それが5期のヒーラー養成スクールの課題です)

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気感という言うと、きわめて不思議な五感を超えた知覚というイメージがあります。
しかし、気感は五感を超えません。
ある種の情報を五感にマッピングし直すというのが、気感のカラクリです。
ですから、気感とは五感です。
でも、通常の五感はそれに対応する物理的な存在があります。
光の周波数であったり、音の振動数であったり、物理的な抵抗(電磁気力)です。
しかし、気感はそれに対応する物理的な存在はありません。
平たく言えば、幻視や幻聴に幻想に近い(というかそのもの)です。
しかし、我々が記憶を再現しているときや、想像で痛みを感じるときはまさに幻想です。

で、情報を五感にマッピングして操作するというのが気功のカラクリですが、
気功を使う中ではそこまで難しく考えなくて良いです。

今年から「はじめての気功」での気感の定義を変えています。
「気ではなく、空気を感じる」「気の熱感ではなく、体温を感じる(温度を感じる)」で良いと言っています。
これは譲歩ではなく、気功本来のあり方から演繹されます。

気功とは別な定義では、Rゆらぎです。
Rゆらぎとは、リアリティをゆらがすことです。
リアリティをゆらがすというのは、きわめて単純な手法で言えば、「よく見る(感じる)」ということです。
「刮目する」ということです。

Rをゆらがせれば、内部表現が書き換えることが可能になります。
内部表現とはホメオスタシスであり、ホメオスタシスを書き換えれば、身体が変わります。
これらのプロセスの総体が気功です。

ということは、我々は気功を使おうと思ったときは、シンプルに1つのことを気にすれば良いことになります。
すなわち、よく観察するということです。

分かりやすく行動に落としこむならば、空気を感じるということです。
熱を感じるということです。
見えているものをよく見るということ、聞こえているものに対して耳をひらき、耳をすますということです。
匂いも味も同じです。

だから、気功をしようと思ったら、手の中の空気を感じることで十分です。
意識に上げることがRゆらぎです。
感じた空気はすでに情報です。ということは「気」ということです。
体温も同様です。
気感の熱と体温の熱の区別をつけず、体温を感じることで、気を感じ、操作できます。

気功の練習をしようと思ったら、構えすぎずに、草原で風を感じるように、空気の存在を感じ、
ぬくもりを感じるように、体温を意識にあげてください。