難しいのは、新しいアイデアを開発することより、古いアイデアから逃れることである | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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難しいのは、新しいアイディアを開発することより、古いアイディアから逃れることである」というのはケインズの言葉として人口に膾炙しています。
僕らはついアイデアを出すことに専心してしまいますが、まず古いフレームを壊さないと新しいアイデアは見えないということでしょう。

ちなみに、手元にある「雇用・利子および貨幣の一般理論(以下、「一般理論」)」からの引用だと、
困難は、新しい思想にあるのではなく、大部分のわれわれと同じように教育されてきた人々の心の隅々にまで広がっている古い思想からの脱却にある。」(J.M.ケインズ 雇用・利子および貨幣の一般理論 塩野谷祐一訳 序文より)

これはケインズの「一般理論」の序文の最後に書かれています。


ちなみに驚くべきことにこの序文に続いて、日本語版への序文がケインズ自身によって書かれています。
ケインズが没したのは第二次世界大戦の終戦直後の1946年。

それなのに日本語版への序文がケインズ自身の手で書かれているのを、奇妙に思うかもしれません(いや、ご存知の方も多いでしょうが)。実は邦訳は1936年になされています。
整理しますとオリジナルの英語版が1935年の12月、そして日本語訳が1936年12月、ちなみにドイツ語訳1936年9月、そしてフランス語訳1939年2月です。
すなわち、英語で出版された翌年にはドイツと日本で出版されたということです。その3年後(奇しくもフランス語版の出版の年)に第二次世界大戦が始まることを考えると不思議な気がします。
いかにケインズの影響力が大きかったかが伺えると思います。またグローバル化というか思想が国境を超えることがこのときすでに十分起きていたことを感じます。

ちなみにケインズは1919年のパリ講和会議(いわゆるヴェルサイユ会議)に参加しています。それも官僚として。そしてドイツを袋叩きにする大国のエゴにキレて、ケインズは会議途中で退席するばかりか、辞職します。ケインズが痛快なのは、自身の信念に対して忠実であるばかりか、「平和の経済的帰結」と題して反論キャンペーンを張ります。まさにアニマル・スピリッツです(用語の使い方が違うでしょうが)。彼はまさにJobsの言うCrazy oneだと僕は思います。
それを考えると「一般理論」をイギリスで出版した翌年に日独(後の敵国)で出版し、英仏という歴史的経緯があっても(奇しくも第二次世界大戦の始まる年に)出版するというのは、Coolだと思います。
ちなみに序文にはこまやかに各国の読者にむけて書いてあります。ちょっと冗長(このブログが)になりますが、引用します。
まず、日本語版への序から
「(イギリスでの論争を紹介した上で)しかし、日本の読書はおそらく、イギリスの伝統に対する私の攻撃を要求もしなければ反対もしないであろう。われわれは、イギリスの経済学の著作が日本においてきわめて広く読まれていることをよく知っている。しかし、それらに関する日本の意見がどのようなものであるかについては、あまりよく分からない。最近東京の国際経済学研究会が、東京稀観経済書翻刻業書の第一巻として、マルサスの「経済学原理」を翻刻した賞賛すべき企てを考えると、私はリカードウではなくマルサスの系統に属するこの書物が、少なくとも一部の人々からは共感をもって受け入れられるのではないかと考えている
ケインズの細やかな配慮と思慮が伝わります。

一方、例えばフランス語版への序では
「本書はモンテスキューの学説への復帰であると言えば、本書における私の主張をフランスの読者におそらく最もよく表現することができるであろう。」とあります。モンテスキューは言うまでもなくフランスの啓蒙思想家であり、政治思想家。教科書的な理解では「法の精神」が有名です。ドイツ語版への序は割愛しますが、同じくドイツ国民の目線と配慮がなされています。
それぞれの(各国の)友人に向けて書いているような空気が醸しだされています。

さておき、序文の最後の「困難は、新しい思想にあるのではなく、(中略)古い思想からの脱却にある。」というのはパンチの効いたとても刺さる言葉です。
「古い思想からの脱却」というのは、「常識を疑え」とか「フレームを更新せよ」などと言い換えても良いと思います。「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」とはアインシュタイン博士の有名な言葉ですが、偏見のコレクションによってできたフレームを壊すことが重要だと思います。
ケインズの難解さは自身も指摘しているように、古い思想からの脱却の困難さです。
困難は、新しい思想にあるのではなく、」の直前にはこう語られています。
本書を作り上げることは著者にとっては長期にわたる脱却の闘いーー思考と表現の慣習的方式から脱却しようとする闘いーーであったが」とあります。
そして、「私がいま攻撃している理論は、私自身が長年にわたって確信をもって主張していたものであって、わたしはその長所に無知ではないと思っている」(序文 page.xxii)。
ケインズ自身が長い年月確信を持っていた理論を、自身の手で批判し、再構築することが主眼になるために、その攻撃はいわば自分殺し、もしくは親殺しに近い凄惨さになります。
その格闘(ケインズの言う「闘い」「攻撃」)こそが、リアリティを生むと思います。
ケインズいわく「ここで述べられている思想は、こみ入った形で表現されているけれども、きわめて単純なものであり、明白なもの」です。なぜ「単純で明白なもの」を解説するのが難解なのかと言えば、我々がコードもしくは暗黙知(もしくはフレーム、パラダイム)と呼ぶものが、無意識化にあるからです。
無意識に所与の前提としている概念を引きずりだし、それを批判的に考察しない限りは、新しいパラダイムに移行できません。
勘違いされがちですが、パラダイム転換もしくはフレームの書き換え(内部表現の書き換え)は知識の習得では実現されません。知の格闘が必要であり、行動に落とし込めて初めて意味をなします。
思想を身体に落し込むことです。これは現代哲学(少し前になりますが、身体論などがブームになったとき、もしくは実在論)の主要な課題でした。
だからこそ、内部表現の書き換えは無意識レベルなのです。
「気功は思い込みとどう違うんですか?」「病は気からということですね」という質問に僕ら気功師が困惑するのは、意識は意識が主張するような力を持たないということを我々は脳科学や行動科学で知っているからです。意識は自分が裸の王様と薄々感じていながらも、自分がすべてを決断していると偽装するのが得意なのです。詐欺師が自分のウソを信じこむように、意識も自分のウソを信じ込みます。それが我々の姿です。ですから、回答してはYesでありNoです。質問者の気功のレベルや理解のレベルによって回答が変わるのです。
意識や意図に力は無いことを認めた上で、ではどうやって自身のフレームを変えるかと言えば、ケインズがしたように、格闘するしかないのです。
旧約聖書の中でも自身と対決する自分の姿があります。ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」の中でもたしか2番目の門は自分自身を写す鏡でした。「私自身が長年にわたって確信をもって主張していたもの」を攻撃するという格闘が重要です。
その格闘の見苦しい様こそが心を打ち、そのパラダイム転換の様が他人のパラダイムを変える契機となりうると考えます。
そう考えると思い出されるのがアウグスティヌスです。アウグスティヌスは私生児はもうけるは、カルトにはまるはやんちゃぶりを若い頃に発揮しています。「私は肉欲に支配され荒れ狂い、まったくその欲望のままになっていた」とはアウグスティヌスの「告白」からの一節です。それにもかかわらずというかだからこそ、アウグスティヌスの思想は西洋世界に圧倒的な影響を持ちました。占星術に興味を持ち、同棲生活と私生児とマニ教という深い闇からの格闘と脱出、そしてそれを赤裸々に「告白」したからこそ、影響力を持つのだと思います(暴露趣味が良いということではありません。誰も経験談には興味がありません。経験談から抽出された抽象度の高いロジックに興味があります。そこに経験に根ざしたリアリティがあると深く納得するということです)。

それにしてもウィトゲンシュタインの「語るべきでないことには沈黙しなければならない」という論理哲学論考の最後にせよ、ケインズの序文の最後にせよ、かっこいい文章が最後に来ますね。


【書籍紹介】
おなじみの一般理論です。
雇用、利子、お金の一般理論 (講談社学術文庫)/ジョン.メイナード・ケインズ

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ルソーの「告白」もこちらの「告白」も赤裸々で強烈で面白いです。
告白 上 (岩波文庫 青 805-1)/アウグスティヌス

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告白 (下) (岩波文庫)/アウグスティヌス

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おなじみ論理哲学論考です。パンフレットみたいなもので、すぐ読めます。すぐ読めますが…。
論理哲学論考 (岩波文庫)/ウィトゲンシュタイン

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こちらの本の紹介を忘れていました。
はてしない物語は文庫ではなく、ぜひ単行本で。豪華な装丁で読む方が良いと思います。
読書という体験は文字を追うことでは無いので。
はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)/ミヒャエル・エンデ

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はてしない物語を読んだら、こちらも是非。
はてしない物語のほうが有名ですが、こちらも傑作です。
ちなみに両方共映画化されています。
モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の.../ミヒャエル・エンデ

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はてしない物語の映画です。これを見て原作者のエンデは怒ったそうです。
映画化されれば、原作者の意図からは離れるので当然かもしれませんが(怒ることではなく、意図が変わるのが)
しかし、映画では物語の前半しか描かれていないのがエンデには不満なのかもしれないと今は思います。
後半こそが真骨頂なのに。その意味でJobsは物語の前半でこの映画のようにピークで人生を終わったのかもしれないと思います(良いか悪いかは別として)。