骨格模型の盲点、言霊というオカルト | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

骨格模型は触ると効果が倍増します。
骨格模型を触るだけでやせてくるのは事実です。
試しに、骨盤を触ってから、骨格模型の同じ場所を触ってみましょう。
何度か繰り返すと骨盤がはっきりしてきます。筋肉がゆるみ、骨盤が浮き出てきます。
鏡で見ると、部分やせをしていることに気付きます。

骨格を眺めるだけなら、解剖図で十分です。もっとコンパクトでもっと情報量が多い書籍はたくさんあります(家族の反発も少ないでしょう)。

骨格模型は触るためにあります。

僕もコレクターのように解剖図系の書籍は買い揃えました。しかし書籍は人体模型に敵(かな)わないのではと思います。試験を通るためには書籍で十分です。しかしヒーラーとしてヒーリングをするには骨格模型が最適です。畢竟(ひっきょう)、名称が分かっていなくても、臨場感があれば良いのです。実際に解剖学がない時代にもヒーラーは良い仕事をしています。そして現在から見れば間違った理論でも、クライアントは回復しています。ちなみにこれは現代医学も同じです。EBM(科学的根拠に基づいた医療)の試み以降、多くの通常療法がひっそりと姿を消しました。何の根拠もなく、むしろ有害でしかないことが統計的に示されたからです(ちなみに国際的な医学的コンセンサスを無視し続ける東洋の島国もあります)。

抽象度高く言えば、解剖学や理論など不要です。むしろそれらがなくてもヒーリングは可能です。逆に膨大な暗記がスコトーマとなって目の前のクライアントが見えなくなるのでは本末転倒です。

しかし気の力を高め、それを純粋に流せば、何でも治るとい無邪気に考えるのも、無知か傲慢でしかありません。初心者にそう教えることもありますが、それは初心者向けの情報です。
「気功なんか信じられない」という脳の本音に対して、「気を流せば何でも治る」という事実を流し込みます。実際にほとんどのことは叶います(本人が望む限り)。

しかし、せっせと「気の力」を高めても効果が現れないこともあります。それは気功のカラクリが分かっていないからです。
むろん、レイキを始め多くのエネルギーヒーリングや、整体、マッサージ、オステオパシーなどの「気功もどき」をしてきた方からすれば、本気の気功を学ぶことで、一気に「気の力」がつくことがあります。しかしそれは、それまで必死で学んできた「エネルギーヒーリング」や「気功もどき」の気の出力があまりに弱かったからです。
テクノロジーの差が大きいから感動するのです。

スピリチュアル系も武道系でもおもちゃのような「気功」で戯れて、何か「真理」に触れたように思い込んでいます。

「気功に技術は不要」と「まといのば」では力説します(その割にたくさんの気功技術を渡しますが)。同様に「気功」には気の出力(パワー)は本質的に不要なのです。
それが分かると超一流のヒーラーへの道が見えてきます。
今期のスクールの修了生の皆さんはそれが見えたと思います。すぐに開業し、十年ひたすらにやれば超一流です。

何が必要かと言えば臨場感です。

臨場感はあまりにないがしろにされています。なぜなら脳は「わかったつもり」が得意だからです。それを「ゲシュタルト化能力」とも言います。逆に「あ、それ知っている」と思うと、そこはスコトーマになります。

例えば、苫米地先生は同じ話を繰り返します。これは黒澤監督と同じ手法で実はアンカー・トリガーの技術です。しかし「あ、これ聞いたことある」と脳が思った瞬間、その後の話のすべてスコトーマに隠れます。本質的には「同じ話しの繰り返し」などないのです。状況が変われば意味は変わります。
繰り返し聞いた話しでも、はじめて聞くかのように聞くとスコトーマが外れます。「何度も聞いた話しなのに、いまはじめて分かった」という体験は多いのではないでしょうか?
そのとき「言(ことば)は肉体」(ヨハネ1-14)となるのです。すなわち知識が生き生きとした臨場感ある情報となるのです(厳密には聖書の解釈とは違いますが、ここでは比喩として聖書の引用を使っています)。

臨場感ある言葉はあたかも生きているかのように(肉体を持ち)振る舞います。しかしそれは単なる情報です。情報空間に浮かぶプログラミングでしかありません。ウイルスのようなもので、人に感染しない限りは何もできません。自己増殖すら他の生命のDNAを使うウイルスと同じです。

しかし感染すれば、猛威を振るいます。それを逆向きに見ると、ウイルス(言葉)はすごい力を持つと感じます。それが言霊(ことだま)信仰です。
しかし「言霊」と比喩や慣用表現で仕方なく言うならともかく、現代で本気で言霊を語る知識人は問題です。

「言(ことば)が肉体」を持つと言っても、本気で言葉が肉体を持つと思う人はいません。ただの比喩です。臨場感が高まり、機能を持つまでに「理解」が進むことを、そう文学的に表現しているだけです。比喩はまさに臨場感生成の技術です。しかし、比喩を実体だと思えば、それは本末転倒です。

知識は地図でしかありません。地図を歩いても、その土地にはいません。その土地とは自分の身体です。
徹底的に骨格模型に触れて下さい。そして同じくらい自分の骨にも触れて下さい。臨場感を高めることです。それだけでも身体に様々な変化が起こります。