「終末のイゼッタ」 第2話感想 | アニ郎

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 今のところはまだ年末進行はやってきてませんけど、週明けあたりから訪れるんじゃないかっていう非常に妖しい雰囲気が漂っていますのよ…。更新が途切れそうなときはストックを放出しますけど、それも尽きたら無音になりますんでご了承くださいねんorz

 さて、今期最も期待できるアニメとの呼び声も高い「終末のイゼッタ」ですが、第3話の爽快感は半端なかったですねぇ(^-^)。思わず今日の記事も2話と3話をまとめて書こうかと思ってしまったくらいでして。
 んでももったいないのでやっぱり2話のみで(^-^;。

 あ、順番でいくと「ろんぐらいだぁす!」の2話のはずでしたけど、これは3話が1週間延びてしまったので後回しにします(__;。

 ではイゼッタ2話の感想を。

 3話でもそんな描写があったように、敵国の空軍と陸軍はあまり仲がよろしくないみたいです。2話でコテンパンにされたのは空軍、3話は両方でした。
 文明の利器である戦闘機や戦車が、もはや存在すら忘れられているであろう魔女の力によってやっつけられる爽快感。これがこのアニメで最も燃える部分であり、フィーネの萌えと併せて素晴らしい完成度になっているんでしょう。

 ケガをしたフィーネを乗せ、エイルシュタットの砦に向かやうとしたイゼッタでしたが、目の前にゲイルの戦闘機が現れます。イゼッタの回想シーンではゲイル兵に無惨に殺される国民の姿が…。そしてイゼッタはおばあちゃんの言いつけを破って魔女の力を使い、戦闘機を撃破するのでありました。

 自らの血を武器に変え、戦闘機に突き刺す場面は背筋が震えましたね。時速400キロで生身の人間が空を飛んで無事なわけがない!とかのツッコミはもう要らないなと思いました。ただひたすらに感情移入して楽しむだけ、そんな作品ではないでしょうか。

 理由は分かりませんが、あと1機というところで力が弱まってしまったイゼッタ。それを助けたのは満身創痍のフィーネでした。
 引き金を引く直前の「そなただけの手は汚させない」というセリフは、国民の総意を代弁したものでもあり、またイゼッタの友人として共に戦う決意を示したものでもあったと思います。だから2話のラストシーンおよび3話でイゼッタが「戦いたい」と言うに至ったのだとも捉えられますね。

 気絶したフィーネを連れて砦を目指したイゼッタが遭遇したのはハンス少佐が率いる敗残兵たちでした。このハンス少佐が3話でもキーマンになっていましたね。いいキャラでした。
 軍医によって処置を受けた際に、フィーネの脇腹の傷を見てまたもやイゼッタの回想。魔女狩りからイゼッタを守ろうとしたフィーネの姿がそこにあったみたいです。
 さらに子どもの頃の2人を描いた回想が。これがバックボーンですよね。おそらく最終回近くまで引っ張られるであろうはずの。

 己の意志とは無関係に、我が国と国民のために皇女であり続けようとするフィーネ。
 そして、自分が魔女であることもその力も忌み嫌っていたイゼッタは、フィーネの存在によって自身を肯定することができたんですね。
 でも、イゼッタはフィーネを友達ではなく命の恩人として見ているようです。これはもしかするとこの先訪れるかもしれない亀裂の伏線かもしれないですなぁ…。

 フィーネに逃げろと告げられたイゼッタでしたが、恩義に報いるためにも戦うことを宣言します。
 「姫様の国は私が守ります!!」と。
 …「自分の」国ではないんですね。流れ者だという後ろめたさがあるんでしょう。だからフィーネは3話でそれを拒んだのではないでしょうか。
 最終的にはエイルシュタットはイゼッタの力によって守られ、国の英雄として迎え入れられるという終幕を希望しますよ、ホントに…(T_T)。なんか今の時点で死亡フラグが立ちまくりなもので。

 前回書けなかった2話の主なキャストもここで触れておきましょうか。
 ハンス役にKENNさん、バスラー役に細谷佳正さん、ルドルフ役に森川智之さん、シュナイダー役に塩屋浩三さん等、相変わらず脇役が豪華ですね。そうそう、イゼッタのおばあさんは平野文さんだっちゃでした。

 こんな感じで、最近一つ一つの記事があまりにも長くなりすぎたせいか、閲覧数が半分以下に落ち込んでますorz
 書きたいことをただ思うままに書いてるだけなので、たぶん気楽には読めないブログなんだろうなぁと反省もしているのですよ。長文もきっとエネルギーが割と残っている今のうちだけでしょうから、来週には経済的な文量の記事に終止するようになると思いますよ(__;。

 あー、まぁ関係あると言えばあるのかもしれないので、おまけで小ネタなんぞを書いてみます(^-^;。

 このアニメは史実に基づいており、第2次大戦の年号に即しているんですね。ただ、西暦表記ではなく「AD」とされています。

 紀元前が「BC」で、これは「Before Christ」の略だというのはご存じの方も多いでしょう。
 んじゃあ「AD」って何なんだろうと誰もが考えますよね。もちろんアシスタントディレクターでもアートディレクターでもありません(^-^;。「アノ・ドミニ(Anno Domini)」というラテン語で、直訳すると「主の年」になり、つまりはキリストの生誕という意味らしいです。正確にはキリストは紀元前4年に産まれたことになっているので、なんじゃそりゃ的な話なんですけどね…。

 ちなみに私、無神教でありながらミッション系の大学に入り、みっちりキリスト教について勉強した人間なんです(^-^;。おかげで変な宗教の勧誘員は確実に論破できるほどになりましたw
 その講義の中でとある教授が、「『アノ・ドミニ』は『主の年』なんてまどろっこしい訳はしません。『この世の終わり』を示しているのです」と言ってました。
 今も無神教な私ですけど、それはまだ心に深く刻まれていて、確実に終末に向かっているんだなぁと改めて思うわけですよ。ハッ!∑(゚Д゚) 「終末」繋がりでオチが付いたわw

 イゼッタの第3話は、もしかするとここ1年でもっとも心が踊ったかもしれないというほどに震えました。すぐにでも感想をまとめたいくらいなんですが(^-^;、はやる気持ちを抑えて明日は別のアニメで書きますね。