たくさんの優しさ溢れるコメントをありがとうございます…
健康に注意しつつ…バチバチに生き抜いてやります…死ぬまでは魂に火をいれたまま…まだ満たされぬ自分の夢に向かいます… 

さてさて…数日前…オスカーの授賞式の会場…ウィル・スミスが壇上で…コメディアンの司会者をビンタして…大ニュースになってたね…席に戻ると汚い言葉を連呼して…その後のスピーチではスミスは反省を口にしながら涙を流していた…
ビンタした事で大論争になった…ウィル・スミス…大好きな役者…彼の映画を観ていると引き込まれる…かと言え、好きな役者だから暴力を認めるとは言わん…暴力は絶対にいかんて事を大前提で書く…
彼は病気の妻を司会者に侮辱された事でビンタしたんだよね…じゃあ、司会者が言った言葉の暴力はいいのかな?彼の奥さんが物凄くその病気を気にしていて…ますます塞ぎこんで…大きな心の病を発症しちゃったら…どうやって司会者は責任を取るのかな…
それと同時にSNSの中に溢れる文字の暴力はいいのかな? そんな事をボンヤリと考えた…
話をすり替える訳じゃないけど…言葉や文字でも人を傷つけたり…最悪の場合は命を奪う凶器にも充分なりえるだろ?それは既にたくさんの悲しい事実が証明してる…
「暴力は何があってもダメだ!」言うのは簡単だが…男とか女とか関係無くさ…自分の愛する人に対して…侮辱する言葉や…病気を揶揄する様な言葉をぶつけられたら…スミスの様な行動を反射的にとってしまう人間も一定数いるんじゃない?
確かに暴力はダメだ…重々分かってる…でもさ…愛する人をバカにされたりしたら…どう?
俺は英語が分からんから…司会者がサラッと誰もが聞き流せる様なニュアンスで言ったのか…聞く人が聞いたらブチッとくるニュアンスで言ったのか…全く分からん…
ビンタした事を肯定する気はないけど…ビンタした行動原理は完全に理解出来る…同時に… スミスが謝罪したんなら…「司会者もスミスの奥さんに謝罪してシャンシャンじゃないのか?」と…俺は思う…
「大人なんだから自分の立場や場面を理解し…言葉で司会者に反論すればいい。暴力はいかん!」正論だ…
でも…やっぱりあんな場面でビンタしたってのは…反射なんだよ…
それだけ普段から「愛する者を守る。」って、意識が高かったんじゃないかなあ…
彼は色んな物を失う事になるかもしれん…侮辱した司会者は何も失わん…少し違和感…暴力も…言葉の暴力も…文字の暴力も…全て同じ位いかんと思うが… 皆さん、どう思います?   

追伸・
久しぶりに「池の水」に参戦してきました…いや…最高に楽しかった…おおはしゃぎ…やっぱり「池の水…」はビタッとハマるなぁ…



で、このポーズどう?何だか分かる?
社長とメイクのシホから教わった…懐かしの「eggポーズ」と言うらしい…どないやねん…