1

 都会生活のストレスが心を蝕んでいる。もう沢山だと伊村は見知らぬ山村に救いを求めた。

 IT企業で10年働いてきたが、まともに休みも取れない割に貯金は貯まらない。出会いの機会もなく、何かの趣味に割く時間も体力もなかった。プログラマーとして何かを作り上げていく達成感、そんなものもクライアントの無理な納期の前では味わえたもんじゃない。ゲーム会社にでも転職できればと夢を描くことも自分のキャリアでは現実的ではなかった。

 

 無計画で衝動的にこの村に辿り着いた伊村は、民宿の畳でぼんやりと目を閉じていた。どこからともなく甲高い排気音が聞こえてくる。宿の女将さんに聞くと、山間のサーキットの音だという。伊村は興味を持った。遠い昔に感じる学生時代、友人たちとレンタカーで遠出することが何度かあったが、運転は決まって伊村だった。当時は車が好きで、雑誌を片っ端から立ち読みして、就職して収入を得たらどんな車を買おうかと夢想したものだ。だが都内の一人暮らしではそのハードルは高く、いつしか忘れ去るように心の奥に仕舞い込まれた。サーキットの排気音は若き日の伊村を呼び覚ますようだ。そこに行けば答えが見つかる気がして、伊村はタクシーに乗った。

 

 

2

 ノスタルジックサーキットは車好きの何人かが資金を出し合い、本格的とはいかないまでも舗装を施したテクニカルレイアウトの玄人好みの施設だった。車好きといっても素人レベルではなく、チューニングを仕事にする傍ら走りを楽しむスタイルだ。5軒のショップがサーキットに併設され、店の裏から自由にコースに出られるようになっているが、店を開いているのは2軒だけのようだ。

 伊村は「かる路」と看板を掲げたショップを覗いてみた。

 「いらっしゃい。見かけない顔だけど、観光客?」

 口髭を生やした店主らしき人物が声を掛けてきた。

 「どうして観光客だと?」

 「そりゃアンタ、タクシー乗って走りに来る奴もいないだろう?」

 そりゃそうだと伊村は笑った。笑うなんて何年ぶりだろう。

 「ここは車があれば好きに走れるんですか?」

 伊村は ショップの中を眺めながら聞いてみた。

 「ああ、別にライセンスなんていらないよ。平日なら時間7000円、土日は時間10000円で自由に使える。ただし他のお客さんの迷惑になるような行為はお断りだよ。会員になればもっと格安だ」

 コースには3台の車が走っていた。クラシックなミニクーパーとフィアット。このかる路はフィアットのショップで、並びにはミニのショップが見えた。

 「レンタルで体験走行もできるがどうするね?」

 伊村は店主の誘いをやんわりと断った。今はこの雰囲気に浸るだけで十分だ。

 「少しお店を見学させてもらってもいいですか?」

 「ああ、好きなだけ見てくれ。俺は桃田、アレッサンドロ桃田だ」

 「え?」

 「自称だよ、イタリア好きなものでな。呼びやすいように呼んでくれ」

 そういうと桃田はウインクした。

 

 

3

 「アンタ東京の人?」

 桃田が手を休めて麦茶をくれた。

 「いや、訛りがないからさ。週末でもないのにこんなとこ来るなんて、なんか事情がありそうだな」

 伊村は桃田の素朴さに気を緩めて、簡単に現状を話した。

 「まあ、この先どうしようってプランもないんですけどね」

 「ふうん、結構病んでんだな」

 桃田は立ち上がるとコースの方に行き、数十メートル離れたゲートに向けてこっちへ来いと手招きした。若い受付嬢が小走りでやって来る。

 「なんだよジジイ、まだ交代じゃないだろ?」

 受付嬢が軽く毒づく。

 「お前の同類だ、加世子」

 「同類って、いいオッサンじゃん!」

 加世子は思ったことを何でも口にするタイプのようだ。

 「とにかく、向こうに取られる前に確保だ。ええと、アンタ…」

 「伊村です、伊村光太郎」

 「おう、光太郎、今日からウチで働け。住まいは俺んちでいいな?」

 「はあ?」

 伊村は呆然とする。

 「何言ってんだよ、ジジイ。このオッサンに何が出来るのさ、それにいきなり同居なんて」

 加世子が抗議した。

 「まあまあ、そういきり立つな。ああ光太郎、加世子も同居人だからよろしくな。別に家族って訳じゃないけど」

 「急にそんなこと言われても…」

 伊村は半ばパニックだ。

 「なあに、やってみて気に入らなければいつでも辞めりゃいいさ。どうせこの先何の当てもないんだろ?」

 確かにその通りだが、さすがに何の経験もないことに戸惑う。ふとショップの隅に置かれた赤い車に目が行った。

 「ふうん、あいつが気になるかい?なかなか見る目があるじゃないか。フィアット850レーサーに俺がアバルトチューニングを施した希少物だ。店の物だから気に入ったなら社員割引きでいいぜ、それでも値は張るがな」

 桃田はいい餌を見つけたとほくそ笑んだ。伊村は車に歩み寄る。懐かしい情熱が湧き上がる。自分にまだこんな感情があるなんて。まるでこれに巡り会うためにここに引き寄せられた気さえしてきた。

 

 

 

4

 「コータ、朝だ、起きろよ!」

 加世子が障子を開ける。

 「朝飯はとっくに出来てる。ジジイもお待ちだ」

 コータこと伊村光太郎は飛び起きると手早く布団を畳み、顔を洗って食卓についた。

 「まったく、いつまでも都会気分でいるなよな。田舎は朝が早いんだから」

  御飯に味噌汁と漬物、シンプルだが以前 とは比べ物にならない健康的な食事だ。加世子は見かけによらず料理上手だ。男っぽい気っぷの良さだが、細身の美人。二十歳そこそこに見えて、来年は三十路のようだ。以前は都会の銀行に勤めていて、接客と上司のパワハラ気味の威圧に鬱のようになってしまい、気分転換に訪れたこの村でボウッとして駅前で桃田の車の前に飛び出したそうだ。

 「アタシがさ、ウジウジして、スミマセンって謝ったら、腹すかしてんだろうって蕎麦屋に引っ張り込んでさ、アタシが泣いて事情話したら、もういい子は止めろ、俺のことジジイって呼んでみろって。それ以来こんな感じさ。今じゃ気後れなんて他人事だね」

 「そうか、サンドロはホントいい人なんだね」

 コータはだいぶ打ち解けて、桃田をサンドロ、加世子はカヨと呼ぶようになった。サンドロは還暦が近いが、趣味を兼ねたフィアットのレストアと庭での畑仕事にこれ以上ないほど満足している。

 ノスタルジックサーキットは当初サンドロを含めた5人で始めたが、赤字経営が続いて次々と離れていき、今ではミニのレストアを手掛ける梅木と2人になってしまった。梅木の「クーパー倶楽部」は「かる路」よりは客を抱えているようだが、いつ閉めてもおかしくない状況だ。サンドロの幸せは薄氷の上にあるのだ。

 

 コータはサンドロから板金と塗装の手ほどきを受け、この 2ヶ月でだいぶ様になってきた。何より創造の喜びがある。カヨはエンジンを分解整備出来るほどになっていて、走行の客が来る時には「クーパー倶楽部」のアシスタント川井文佳と交代で対応している。

 日に2時間ほどはみんなでサーキットを自由に使っていた。コータはアバルト850レーサーをすっかり愛車にし、スポーツ走行もお手のものだ。生まれてこの方こんな幸せと充足感は味わったことがない。それだけに逆にコータの心には失うことへの恐怖が首をもたげていた。

 

 「やるかい?」

 クーパー倶楽部のジョージこと梅木が顔を出す。ちなみに彼は自称ジョージではなく、立派に梅木丈二だ。

 「ああいいぜ」

 サンドロが受ける。サーキットに携わる6人で毎週末に食事をかけたショートレースをする慣わしだ。6人目はクーパー倶楽部のメカニック柳田純、滅法速くてまともに勝負にならないから、10秒ハンデが課せられている。サンドロとジョージも5秒ハンデを背負っている。

 レースは3周。カヨと文佳とコータが並んでスタートし、5秒後にサンドロのアバルトot1000とジョージのモーリスミニクーパーSが、そして10秒後に純のランダーr6が追尾する。

  ミニベースのカスタムとしてはFFレイアウトにスポ ーティーなFRPボディーを被せたマーコスミニやミニジェム、さらにはレイアウトをミッドシップに変更したユニパワーGTなどが知られているが、ランダーr6はパイプフレームにファイバーボディというレーシングカーで、リアにミニのフロントサブフレームを逆向きに搭載し、1275Sエンジン/クラッチ/ミッションをそのまま積んでいるというユニークな構造を持つ。

 

 しかしながら同排気量クラスで1周3秒を詰めることは難しく、レースは先行する3台の勝負であった。コータは実際にはサンドロたちと変わらないタイムで走れるが、女子組に花を持たせていた。今日のトップはアバルト850スパイダーを駆るカヨが獲得した。スパイダーはホワイトが映える。

 
 
5
 駅近くの居酒屋、レースを終えた6人が盃を傾けて談笑する。優勝のカヨが立ち上がってスピーチ。
 「ま、そういう訳で次回はみんなアタシ目指して頑張るように。いいね、コータ」

 コータは決まり悪そうに頭を掻いた。

 「コータ、おまえ本気で踏んじゃいないよな?後ろから観てれば分かる。勝つ気ないなら次回からおまえも5秒ハンデな」

 「え!」コータはサンドロの指摘に反論しかけて止めた。走るのは楽しいが勝ち負けに興味がないのは確かだ。むしろこれだけ世話になっていて、勝つなんて悪い気がしていた。

 程良く酔いが回ると、文佳が話し掛けてきた。

 「伊村さんて東京から来たんでしょ?いいな、私も東京出てみたい」

 「憧れと現実は違うと思うよ。いや、何でもない、聞き流して」

 文佳の夢を壊しても何にもならない。文佳はここで生まれ育って、外の世界を知らない。経験するのも権利だ。

 「ところでさ、最近ちょっとお客増えたよね」

 カヨがみんなを見回して言った。それはコータの秘かな努力だ。ショップとサーキットのSNSを立ち上げ、サーキットの方にはカヨと文佳の写真を載せた。昔から美女と子供と動物は外れの少ない宣伝アイテムだ。その甲斐あってか、3割ほど来場者は増えている。今後はカート団体に声を掛けてみようかと思っいる。そういう仕事も楽しいと感じていた。

 サンドロのショップ「かる路」は、かるろと読む。由来は1950~60年代イタリア屈指のチューナー、カルロ・アバルトからきている。

 カルロ・アバルトは裕福な家庭に生まれた、元はバイクレーサーだが、1949年にイタリアでアバルトを立ち上げ、マフラーなどのチューニングパーツ販売の傍ら、フィアット車のチューニングを手掛け、ベース車両の軽く2倍近い馬力を叩き出して、アバルトマジックと言わしめた。1950年から1960年代にかけての20年の間に113の国際記録とレースに於いて7400以上もの勝利を獲得し、そのサソリのエンブレムはカリスマ的伝説である。

 サンドロは休眠したサソリたちを自らの手で甦らせることに無情の喜びを得、天職とさえ感じていた。ジョージは同じように古いミニクーパーに精力を注いでいるのだ。アバルトもクーパーも一時は消え去り、その後商業的な見地から新世代のフィアットやミニに名前が復活した。

 「あんなもの、カルロのアバルトじゃねえよ。昔は何て言うか、車にチューナーの情熱が注がれ、乗り手はそれを感じ取ってわくわくしたもんだ。最近の車には俺はそんなもの感じない」

 だからノスタルジックかとコータは共感した。

 

 

 宴会に満足してお開きになり、サンドロとジョージが会計に向かう。コータも財布を用意したが、サンドロにいいから先に出てろと弾かれる。いいのいいのと純に腕を取られ、女性たちと店の前で待った。

 「結局レースなんて、誰が勝っても一緒なのよね」

 とカヨが笑う。コータはこの幸せを守ることに全力を注ごうと思った。

 

 

6

  サーキットの立ち退き要求は貼り紙から始まった。最初は無視しようとしたが、村人たちとの軋轢は避けたいので村役場に確認したところ、住民から苦情が出ているという。サーキットを開場して15年経ち、今更苦情も妙な話だ。苦情は騒音に対してで、最近移住してきた家からだった。村の集落では騒音測定しても基準内だが、苦情は集落から離れたサーキット寄りの場所に建てられたプレハブ小屋からで、役場としてもとりあえず受理した形だった。

  村には特に観光資源と呼べるような物もなく過疎化が進んでいる。駅前の飲食店などはサーキットの来場者で潤っているようなものだ。だがプレハブ小屋の住人は丹念に村を回り、サーキット立ち退きへの署名を集めているようだった。

 「どうやら村長も立ち退きに賛成らしいんよ、表向き活動には参加できんみたいやけどね」

 居酒屋の奥さんの話だ。サンドロたちはしばらく成り行きを見守ることにした。

 

 コータの宣伝の効果で、サーキットでイベントが開かれることになった。ヒストリックカークラブの走行会だ。基本的に1970年代までの車でクラブは構成され、ノスタルジックサーキットと同じ空気が漂う。クラブの幹事たちが下見に来て気に入ったようで、来月開催の運びとなった。

 「空きガレージが借りられるようなら、興味持つメンバーがいるかもしれません」

 クラブ代表の日下部の言葉はコータを勇気づけた。

 

 ヒストリックカークラブの走行会はサーキットを終日貸切で行われた。30台近い懐かしの車で賑わう。4グループに分けて順番に自由走行し、車を労ってゆっくり走る者もいれば、ここぞとばかりにアクセルを踏み込む者もいた。 昼食は居酒屋に仕出しを頼み、ガソリンの携行サービスも特別に行った。最後に各グループの代表車で模擬レースを行うことになり、かる路とクーパー倶楽部からも1台ずつ参加することになった。

 

 クーパー倶楽部からは当然のごとくランダーr6の純が参加し、サンドロはコータに「お前が行け」と背中を押した。ヒストリックカークラブからは、フェアレディZ、ベレットGT、ナローのポルシェ911、ロータスエランが名乗りを上げた。いずれもクラスから言えばコータたちよりも上になる。くじ引きでグリッドが決められ、コータは5番手、純は2番手を引いた。ちなみに排気量はポルシェ911とフェアレディZが2400cc、ロータスエランとベレットGTが1600cc、ランダーr6が1300cc、コータのアバルト850レーサーは850ccで、元は49馬力であるが、アバルトのレコードモンツァ仕様のチューニングで64馬力を絞り出し、僅か570kgという車重と合わせて上位クラスをかもれる実力を持っている。

 スタートするとすぐに直角の右コーナーを迎え、続けて右に大きく回り込む第2コーナーが続く。ここは複合コーナーとして第2コーナーにクリッピングポイントを取るのがセオリーなので、各車ともアウトいっぱいから1コーナーに飛び込む。しかしコータはガラ空きのインに寄せ、4番手のエランを抜いた。そのままでは回り切れずにコースアウトするところだが、コータはリアエンジンの特性を生かしてアクセルオフでリアのスライドを誘い、綺麗にインベタで回っていく。第2コーナーの立ち上がりでは3番手のフェアレディZの真後ろに付けたが、排気量の差で離される。第3コーナーは左に緩く回り、ヘアピンに向けて下っていく。第4コーナーの右ヘアピンは急旋回になるため、下りながらのブレーキが難しい。そこから今度は壁のような坂を上って左急旋回の第5ヘアピンコーナーを回り、再び下りの高速6コーナーで右に軽く曲がっていく。第6コーナーはアクセル全開で加速していくバックストレートのようなものだ。その後コース最難関の第7、第8複合右コーナーを迎える。ここは下った後の急切り込みに加え、地形の影響でアウト側に傾斜した逆バンクになっているのだ。ホームストレートに向けて加速してスピードを乗せて行きたいが、欲張れば逆バンクでアウトに膨らみコースアウトしてしまう。純のランダーr6はここでポルシェの内側に飛び込み、先頭に立った。コータも苦労するフェアレディZを尻目にし、軽く上っていくホームストレートを3番手で駆け抜けた。ホームストレートは馬力勝負だが、コータは最終コーナー立ち上がりのスピードを生かしてフェアレディZを寄せ付けなかった。

 

 2周目、じわじわポルシェとの距離を詰めてコータは第7コーナー飛び込みでインからブレーキを遅らせてポルシェを刺す。純は既にホームストレートを抜けて第1コーナーへ消えようとしていた。速い!最終ラップ、コータは純を追う。だが差はさらに開き、2位でチェッカーを受けた。

 

 「いや、さすがにお二人は速いですね!正直車の性能で分がある我々の楽勝だと思ってました」

 ポルシェから降りた代表の日下部は脱帽という感じだ。

 「ここは慣れないと難しいんですよ。だから飽きないのですけどね」

 純は余裕しゃくしゃくだ。

 

 ヒストリックカークラブの面々はすっかりサーキットを気に入り、毎月走行会を企画したいと盛り上がった。

 

 

7

 ノスタルジックサーキットに買収の話が持ち掛けられたのは盛り上がった走行会の直後だった。遊トピアランドという会社で娯楽宿泊施設の建設を計画しており、ゴルフ場も作りたいことから山を周辺ごと買い取りたいのだという。

 「だったらお互いに連携して集客効果を上げられるのではないですか?」

 同席したコータがそう提案すると、

 「いや、我が社はシニア層をターゲットにしているので、サーキットなんて騒音の種に過ぎない」

 と突っぱねられた。コータは納得出来ない違和感を覚え、サンドロと共に話を断った。

 「ま、どう足掻いても手放すことになるでしょうよ」

 遊トピアランドの担当者はそう言い放って帰って行った。

 

 ヒストリックカークラブの走行会で買収話が出ていることを話題にすると、日下部は力になるからサーキットを守りましょうと、メンバーからフェアレディZに乗る弁護士の尾形を紹介してくれた。

 「私自身は企業コンサルタントをしているので、それなりに情報を得られると思います」

 

 居酒屋の協力で村人たちからの話を集めてみると、サーキットの騒音苦情で署名運動をしているプレハブ小屋の所有者は、遊トピアランドだということが分かった。買収に入念な根回しをしているようだ。

 

 「どうも変ですね」

 打ち合わせに来た日下部が切り出す。

 「山ごと買い取るほどの大きな事業計画なら採算性の見込みや資金調達の準備などで慎重に調査し、コンサルタントなどにも相談するのが普通です。しかしどうも遊トピアランドという企業から相談を受けたという気配が感じられません。もちろん守秘義務がありますから確かなところは分かりませんが。それとゴルフ場を作るにしても山そのものは邪魔になる訳で、買い取る規模が大き過ぎるし、ずれている。何だか別の目的があるような気がしますよ」 

 「別の目的ねえ」

 サンドロが考え込むが、全く分からない。

 「山を切り崩したいのだとすると、土砂や岩石の採掘、あるいは鉱物資源の可能性なども考えられます」

 「何かの鉱物があるかどうかはどうやって知るのですかね?」

 「通常は地質調査、特殊な鉱物は衛星写真などで分かることもあります」

 「特殊な鉱物?」

 「ええ、ウランなどの放射性鉱物ですかね」

 山に地質調査が入ったという話は聞かない。コータは何となくきな臭いものを感じた。

 「でも日本でウランとか取れるものなのでしょうか?」

 「いくつか鉱山は見つかっていますし、過去には採掘も行われていたようです。ただ採算が合わないのと、放射線による健康被害などが問題になって採掘は諦めたと聞いています」

 「再び採掘なんてことは?」

 「まあないでしょうね。核を欲しがる非同盟国やテロリストグループへの横流しでもあれば別でしょうが」

 日下部の言葉にコータは何か嫌な予感がした。

 「衛星写真なんて入手できるのでしょうか?」

 「うーん、どうでしょうね。私は扱ったことないもので。でも今や衛星は民間のものも山ほど飛んでますから意外と簡単かもしれません」

 

 

8

 コータは恥を忍んで以前の会社の同僚に相談してみた。すると2週間ほどで放射線の衛星データが入手できた。福島のエリアが依然高く、日本全土に微量ながら放射線は広がっている。汚染土が拡散されているのかもしれない。その中でも村の近辺にピンポイントで高めのエリアがあった。山の辺りだ。コータは直感で、核心に触れた気がした。

 「どうやらアンタたちのサーキット立ち退き議案が近いうちに村長から出されるみたいだよ。アタシらは反対だが、署名も結構集まってるみたいさ」

 居酒屋の奥さんがそう教えてくれた。のんびりしている暇はなさそうだ。コータは対策に集まってもらった。

 

 「村の議会で承認されたら、逆らうのは難しいでしょうね。その前に何とか手を打たないとアウトです」

 弁護士の尾形が説明する。

 「どんな手がありますか?」

 「うーん、まず住民を集めて事態を説明し、村長の罷免を要求出来ればいいですね。もっと手っ取り早くは、こちらに付いてくれそうな議員さんを探して、村長の不信任決議案を出す。ただいずれにしても過半数を味方に付ける必要がありますから、厳しいと思います」

 「アタシらが出来ることはやるよ」

 居酒屋の奥さんスミヨはすっかり心強い仲間だ。

 「馴染みの議員さんが何人かいるし、村の衆も集めてみるよ」

 

 スミヨが繋いでくれた2人の村会議員に事態を説明してみたが、反応は今ひとつだった 。

 「証拠はあるのかい?憶測だけで動く訳にはいかないねえ」

 確かにその通りかもしれない。コータは暗い気持ちになった。

 「まったく!これだからジジイどもは」

 カヨが憤慨した。

 「議員にメリットはないからなあ。仮に事実だとしても彼らに実害はないだろうし。確かにジジイは腰が重いよ」

 サンドロが苦笑いする。 

 「別にジジイのことは言ってないさ。あれ?ややこしいね」

 カヨがサンドロをとりなす。

 「実害ってのがあるとすれば何かね?」

 スミヨが聞いた。

 「まずは周辺住民の健康被害、それから農作物はやられますね」

 「何だよ、そりゃ大変じゃないか!」

 日下部の説明にスミヨは驚いて大声を上げた。

 

 数日後、10人ほどの村人たちが説明会に集まってくれた。コータが代表して主旨を話す。

 「そのような訳で、放射線による被害を未然に防ぐために、早急に先導している村長の罷免を要求したいのです」

 会場がざわつく。これまで自分たちには実害はないと思っていたのだから混乱するだろう。

 「ちょっと待てよ、その話が本当なら証拠とやらを見せてみろや。あんたら追い出されたくないだけだろ?」

 「そうだ、そうだ、村長がわしらに悪さするわけねえ。もう長い間、村のためにやってくれてるだ」

 村人たちは一斉に声を上げ出した。コータは思わずたじろぐ。

 「みなさん落ち着いて。今日のところは話を持ち帰って、御家族にもお伝え願えれば幸いです。ご静聴ありがとうございました」

 日下部がとりなして、場を治めた。

 

 「どうやら八方ふさがりだな」

 サンドロが肩を落とす。

 「そろそろ潮時ってやつかもな」

 「もう一度話を整理してみましょう」

 弁護士の尾形がメモを取り出しながら言った。

 「そもそも疑惑の発端は日下部さんと伊村さんの想像から始まり、たまたま山からやや高めの放射線が出ていることが重なっただけで、確かに架空の話なわけです。遊トピアランドが本当に何かを企んでいるとすれば、失礼だがこんな山村で議論するような問題じゃない。もっと国家レベルの話になります。私はサーキットの存続について相談されたが、それについては申し訳ないが流れを変えるのは難しそうです。後は悔いを残さないように、期日などを話し合っていくことですね。それと村長さんとも話し合った方がいいと思います。その上で、ウラン鉱山疑惑については警察に話をしておいた方がいいでしょう」

 「警察ですか?」

 「ええ、日本はテロについて未然防止を徹底してますから、常にあらゆる情報を集めています。ウランなどは核兵器にも繋がる話ですから知っていて放っておくと、何かあった際に情報隠蔽に問われる可能性さえあります」

 

 

9

 村長の話を聞くと、遊トピアランドだけのために動いている訳ではなさそうだった。コータの努力によりノスタルジックサーキットが活気づいてきたが、それによりサーキットへの交通量が増え、それなりの車が多いことから村人たちの間で騒音が問題になっているそうなのだ。そういう配慮は足りなかった。サーキット立ち退き議案を提出する前に関係者を集めて対策会議を開くことになり、暗闇に光明を見た感じがした。事態が急展開を迎えたのも流れが変わり出したせいかもしれない。

 

 サーキットにおよそノスタルジックとはほど遠い車が訪れた。ランボルギーニ・ガヤルド、5リッター V10DOHC、570馬力のスーパースポーツカー。その助手席に座る男を見て、カヨは入場を止めた。以前買収にやってきた遊トピアランドの担当者ではないか!

 「何しに来やがった、この唐変木が」

 「おやおやこれはまた勇ましい。美しいお嬢さんには似つかわしくない言葉ですね」

 運転していた身なりの良い若い男性が顔を出す。騒ぎを聞きつけたサンドロたちが集まってきた。

 「立ち退きはまだ決まった訳じゃない。買収話は無駄だぜ」

 「はて?話が見えませんね。私はサーキットがあると聞いたので走ってみようと思ったのですが」

 ガヤルドを停めてもらい、若い男の話を聞いた。

 「私は一条満、遊トピアランドの総務部長で取締役を兼任しています。この度こちらに新たな施設建設企画が提案されたため、視察に来たところです。たまたま車には目がないので、サーキットと聞いて走ってみたくなったのですよ」

 「ちょっと待てよ、買収話は知らないってのかい?」

 サンドロが確認すると「ええ」と頷いた。そして担当者に問い詰める。

 「開発企画はゴルフ場ということで、ここは場所も離れているし、関係ないはずだが?」

 「ええ、それがその、山から2km以内のものは排除と言われてまして」

 「ふん、新規事業部の先走りか。見たところゴルフ場を作っても集客は難しそうだし、山がどうのこうのという話は聞いていない。事業部に余計な口出しは出来ないが、住民とのトラブルがあれば私の担当だ」

 コータはサンドロと顔を見合わせた。ここにきて、救いの船という感じだ。

 

 走ってみてもいいですかという一条の要望に、サンドロはどうぞどうぞと答えた。30分ほど走行して、一条は戻ってきた。

 「どうでした?」

 「短いし、踏める場所も少ないし、私にはつまらないコースですね。何より簡単だ」

 一条は期待外れの様子だった。

 「とりあえず本社に戻って関係部署と調整してみますが、方針が変わることはないと思いますよ。ま、無くなる前に走れたことは良かった。ありがとうございました」

 「ちょっと待ちなよ」

 引き上げようとする一条を純が止める。

 「簡単でつまらないコースというのは聞き捨てならないな。なんなら俺たちとレースしてみるかい?」

 俺たちというのはコータも入っているようだ。

 「純、何馬鹿なこと言ってるんだよ、100馬力も出ないクラシックカーが570馬力のランボルギーニに敵うわけないじゃないか!」

 コータは慌てて純を止める。

 「無謀にもほどがあるが、別にお相手するのは構わないよ。ハンデは付けないけどいいかね?」

 「ハンデなんて結構。その代わり明日にしてもらえないかな」

 

 

 「おい純、何考えてるんだ」

 「いえ、俺たちのホームコースが馬鹿にされるのは我慢出来なくて。ジョージ、スリックタイヤ1セット使ってもいいですよね?足回りの調整は自分でやりますから」 

 「ああ、それは構わないが…」

 「そうか!俺たちもそれでいこう」

 サンドロがニヤリと笑った。

 

 「どういうこと?」

 コータが尋ねる。

 「車が速く走るには何が肝心だと思う?」

 「そりゃ加速性能でしょう」

 「ああ、もちろん加速は大事だが、お前が純に追い付けないのは何故だ?加速に大差はないはずだ」

 「…」

 「分からないか、減速だよ。彼のランダーはブレーキがいい。それとコーナリングスピードな。タイヤのグリップが良ければこの二つが飛躍的に向上する。お前の850レーサーもインチアップのスリックにして、一回り大きなブレーキにしてやる」

 

 

10

 翌日、サーキットのスターティンググリッドに3台が並ぶ。通常は2台が横並びのところ、特別に3台並べた。コータと純はサーキット専用のスリックタイヤ、一条のガヤルドは街乗り仕様だ。合図と共に3台はスタートした。いつものように3周のレースだ。

 ガヤルドが容赦ない加速でコータたちを引き離す。一条、純、コータの順で1、2コーナーを回り、3コーナーから下りの短い直線に入る。純はガヤルドの真後ろにピタリとつけ、コータがその後ろにつける。スリップストリームが効いて単独走行よりも伸びがいい。4コーナーヘアピンでは無理な飛び込みは避け、一条のライン取りを観察した。言うだけあって隙の無い走りだ。相当慣れているのだろう。急坂の加速はガヤルドのもの。2台を引き離し、第5ヘアピンをクリアしていく。下りの第6高速コーナーから難関の第7、第8の逆バンク複合コーナーへ。ガヤルドは膨らみを恐れてスピードを落とす。ランダーr6とアバルト850レーサーはインベタの最短ラインから早めの加速に入る。ホームストレートでは順位は変わらないが、ガヤルドに引き離されることなく2周目を迎えた。

 純は1周目以上にガヤルドに張り付く。ガヤルドの後方乱流にステアリングを取られそうになるが、力で捻じ伏せた。第6高速までスリップストリームを使うと、最終複合コーナーで今度はガヤルドのインに飛び込んだ。コータもそれに続く。純がトップに立ち、コータと一条がホームストレートを譲らずに併走する。イン側につけたコータはそのまま第1コーナーに飛び込み、例のアクセルオフによるリアスライドを利用してガヤルドの前に出た。スリックタイヤであまりスライドはさせたくないが仕方がない。バックミラーを見ながら巧みにガヤルドをブロックする。第4ヘアピンも軽いリアスライドで抜けて、ややガヤルドを引き離した。これなら急な上りも抑えられる。しっかりとインを抑えて高速コーナーを回ると、思いのほか純が目の前だった。純の言葉を思い出す。

 「最終複合はさ、インのギリギリ20センチくらいが平坦なのを知ってるかい?かなり難しいがそこにタイヤを引っ掛けられれば一段と速く回れる。少しでもミスったらコースアウトだけどね」

 コータは限界と思うよりもさらにインにステアリングを微調整した。グリップ感が増す。純とは完全にテールツーノーズ、そして僅かに早くコータはアクセルを開けた。アウト側から純の横に出てジリジリ差を詰め、並んでチェッカーを受けた。1台分遅れてガヤルドが続く。僅差の勝負だった。

 

 「いや参りました、完敗だ。簡単だのつまらないだの、生意気なことを言ってしまいました」

 一条は素直に負けを認めた。

 「またここにチャレンジして腕を磨きたくなりましたよ。無くしてしまうのは勿体ない、是非存続を提案しましょう」

 熱い握手を交わして、一条は帰っていった。

 「コータやってくれたな。ラストラップ 、お前のタイムはコースレコードだ」

 サンドロがそう言って背中を叩いた。

 

 

11

 「警視庁は安全保障に関係する特定項目品の輸出規制違反の疑いで、遊トピアランドの事業部長らを書類送検しました。同部長らは核燃料密輸に関して計画していた疑いもあり、さらに詳しく捜査を進める模様です。なお責任を取って同社社長の一条徹氏は辞任し、後任には長男である満氏が就任する模様です」

 ニュースを聞いて、サンドロたちは歓声を上げた。サーキット来場者にコース外での安全運転を徹底してもらうことで村人たちとの話し合いも解決し、村長は議案を取り止めた。

 「こんなに何もかも上手くいくなんて、みんな俺に感謝しろよ」

 「調子に乗るなよジジイ、今夜はアンタのおごりだからね」

 サンドロのおふざけにカヨが返した。コータは見えない支援を受けたように感じて、神様に感謝した。

 

 快音と共にランボルギーニ・ガヤルドがやってきて、中から一条満が降り立った。

 「多忙になる前にご挨拶に来ました。我が社では今後ノスタルジックサーキットのサポートもしくは共同経営を検討していきますので、よろしくお願いします」

 みんなは満面の笑みで拍手を送った。

 

 

 

終わり