1
「ダーリン、変わった車?が受付に来てるんだけど、通していいのかな?」
ある日の朝、開場直後にカヨがコータに連絡してきた。
「ああ、ちょっと待て、俺が行く」
サンドロが対応する。受付に行くと、確かに車のようなものが停まっている。
「おはようございます。電話した久留巳ですが・・・」
車内から礼儀正しく若い男が挨拶してきた。
「ああー、オート三輪の。ってこれはオート三輪と呼ぶのかな」
停まっている赤い乗り物は前から見る限りスタイリッシュなオープンスポーツカーだ。だが後ろに回ってみると後輪は一つしかない。
「いや、三輪という区分なんですけど、三輪車というと子供の乗り物を思い浮かべるじゃないですか。だからオート三輪と名乗ってるんです。オートバイのエンジンだからあながち間違いではないかなと思いまして」
久留巳は爽やかな笑いを浮かべた。
「まあいいや。これなら別に問題はない。今日はこれから軽自動車の専用時間帯だから丁度いいな」
「ええ、ホームページでスケジュール見て、この時間帯に来てみました」
久留巳は数台の360ccに混じってコースインした。パタパタと走る姿は何処と無くユーモラスだ。
「可愛い!」
カヨとマチルダが声を合わせて喜ぶ。2人の愛車、アバルト850スパイダーにフロントスタイルは似ている。
「しかし見た事ない車だよなあ」
サンドロと津野田が顔を見合わせる。
「バークレーT60、イギリスのバックヤードスペシャルだ」
後ろからマレンスキーが覗いていた。バークレーT60は1959年にバークレー・カーズが制作したスリーホイーラーで、3124mm×1270mm×1080mmの超コンパクトなサイズのグラスファイバー樹脂製モノコックボディーに、エクセルシオ社製の空冷直列2気筒2サイクル328ccエンジンを横置きに積むFF駆動車。18馬力と非力ながら、車重が僅か270kgしかないためにキビキビとした走りを楽しめる。
「もっと馬力のある日本製バイクのエンジンにでも載せ変えたら面白そうだな」
サンドロが微笑む。
「だけど、こういうのはオリジナルが大事ってこともあるでしょ。それに極端な軽量ボディーは剛性が馬力に耐えられない感じもするし、補強したら重くなって今度は足周りの見直しがしたくなる。何と言うか、イタチの追い掛けっこですかね」
津野田が笑った。笑いながらも目には真剣な光が宿る。津野田は国産車を専門にしている。それも日本独特のカテゴリーである軽自動車がメインだ。ノスタルジックに合うように初期の360ccを集めて36クラブにしている。このノスタルジックサーキットでは軽い車の方が特に最終コーナーで優位性があるから、ある意味軽自動車に向いている。しかしながら昔の軽ではいかんせんパワー不足で、走りは楽しいが勝負となると同じ土俵には立てない。目の前を走るバークレーを見ながら、津野田はある野望を抱きだした。「ひとつ軽で暴れて、みんなに一泡吹かせてみるか」
サンドロにはオリジナルが大事なんて言ったが、バークレーを手に入れてチューンしてみるのも面白そうだ。だが…
津野田は伝手を頼りにある車を手に入れた。スズキのカプチーノ、軽の規格で作られた本格的スポーツカーだ。FFが主流の昨今において、堂々FRのレイアウトで送り出され、前後ダブルウィッシュボーンのサスペンションを奢り、ボンネットやルーフはアルミ仕様ときている。怪物アルトワークスのF6Aターボエンジンを搭載し、公称自主規制枠の64馬力だが、マフラーを変えただけでも70馬力を超えてしまう。
「この際だから、ここで開催するレース全てを規定しておこうじゃないか。製造後四半世紀ってことで、25年以上経過した車に参加資格を与えるでどうだ?」
キリがいい妥当な線ということで、鷹応の提案にみんな同意した。
それでカプチーノもノスタルジックカーの権利を得た。津野田はエンジン本体に手を入れることなくブーストの調整で115馬力まで出力を上げてみた。ターボは楽なものだ。もっと上げることも可能だが、ブローの危険や最悪エンジンブロックを壊しかねないので止めた。
それでもかなりのじゃじゃ馬だ。ホイールベースが短く、ステアリングレスポンスがシビアなために、すぐにスピンモードに入る。オプションのLSDを装着していなかったらほとんどコントロール不能だ。
「こいつは楽しいけど、速く走らせるにはオレでは腕不足か。誰かいいドライバーでも居るといいが…アランかタケシでも乗せてみるかな」
軽専用の走行時間帯にバークレーの久留巳はまた顔を出していた。走行終了後にピット前に椅子を出して、みんなで語らうのも楽しみのひとつになっている。津野田は久留巳に興味を抱いていた。
「何故スリーホイーラーに乗ろうと思ったのかな?」
「ええ、最近まで仕事の関係でイギリスに居まして、たまたま週末のミニサーキットでバークレーT60を見て、スタイルに惚れてしまったんです。特に3輪が好きという訳ではないけど、乗ってみたら爽快で気に入りました」
久留巳は説明した。
「じゃあ4輪に乗ったこともあるの?」
「はい、イギリスに行く前はマツダのRX-7に乗ってましたし、向こうでも仕事の関係でサーキットで色々な車に乗りましたよ」
津野田は驚いて尋ねた。
「キミの仕事って?」
「タイヤメーカーの研究開発です。主にレース用やスポーツタイヤの」
これは思わぬ人物に出会えたものだ。
「ねえ、良かったら乗ってみてもらいたい車があるんだけど」
カプチーノを走らせる久留巳を見て、津野田は自分とのレベルの違いを実感した。プロレーサー並みの技量を身に付けている。何とかもっと親密な関係になりたいものだ。
36仲間のメンバーの一人、宮本が津野田の背後から話掛ける。
「彼、相当速いね。36仲間にも何人か強者は居るけど、それに匹敵するか、もっと抜きん出ている感じだな」
そう言う宮本自身が、GTイエロークラスでスバルR2を駆って制した強者の筆頭だ。
「カプチーノか、あの年代がノスタルジックに入れられるとなると、36でも結構車を替えるメンバーが出るんじゃないかな?それこそカプチーノとかビートとか」
「そうですね」と津野田は軽く返事をした。場合によってはクラブ名も考え直す必要があるかもしれない。
「ところでさ」
宮本が興味深い話を切り出す。
「カプチーノは当時ニッチ市場を狙って成功した画期的な車だけど、全く同じような企画をカプチーノの開発前後に提案していた人が居たらしいよ。それは結構な優れもので、ヤマハに持ち込まれたとか。当時のヤマハでは別の大掛かりなプロジェクトが進んでいたから採用にいたらなかったってさ。その企画書はその後スズキとホンダにも送られて、因果関係はないとされてるけどカプチーノとビートが出た。当時のヤマハの専務秘書を通じて企画書のイメージイラストを目にした人たちが居てさ、後に結構な金掛けてワンオフで実車を作り出したって噂があるよ」
そんな話をしているうちに、久留巳がピットに戻ってきた。
「どう?カプチーノの感想は」
津野田が聞いた。
「いや、これはもう軽自動車のレベルじゃないですね。1.6いや2リッタークラスの車と堂々渡り合えると思いますよ。ただ小さいのにやや腰高だから挙動がピーキーですね。もう少しリアタイヤのグリップが欲しいところだけど、タイヤサイズが特殊だから市販品が限られてる。残念なところです」
3
アンドリューは完膚なきまでに叩きのめされ、しばらくの間、誰とも会わずにひとり閉じこもった。自信は砕かれ、もう走るのを止めようとも思った。だが、愛車のロータス15を眺めていると何かを語り掛けられている気がした。「私はアナタと出会えて嬉しい、私はアナタともっともっと走りたい」
アンドリューは思わず目を見開いた。今まで車なんてただの機械で自分の裕福さを見せびらかすステータスだと思ってきた。だが、目の前のロータスは、まるで意識を持った友達のようではないか。いや、もっと唯一無二の存在か。口元に笑いを浮かべると、アンドリューは呟いた。
「フッ、そうだな相棒」
「ハイ、林崎、相談に乗ってくれないか」
「アンドリューさん!顔見せないので心配してましたよ」
サーキットのロータス専門ショップ「蓮花」の林崎は作業の手を休めてアンドリューに椅子を勧めた。
「それで?」
「うん、ロータス15に無理を言って幌を付けてもらい改めて礼を言うよ。オープンよりも集中力が高まる」
林崎は何だかアンドリューの雰囲気が変わったと感じた。
「だけど走行時に風と干渉する微妙な音が気になってしまうんだ。もっとしっかりしたハードトップに出来ないかな」
林崎は少し思案して答えた。
「分かりました。かなり手間は掛かりそうですが、やってみましょう」
深夜の百瀬峠に快音が響き渡る。音の主はロータス15を駆るアンドリューだ。他のみんなには内緒で毎晩秘かに自分の走りを見直していた。下りをメインに、ブレーキポイントを変えたり走行ラインをずらしたりして車の挙動を確かめる。当たり前のことなのだが、ダウンヒルと平地では異なる走り方が要求される。ダウンヒルではワンテンポ早めに減速した方がコーナーでの自由度が増し、より脱出速度を高めることが出来ることをアンドリューは知った。今まではサーキットでの走り方をそのまま峠に持ち込んでいて、アランに勝てたのはロータスのポテンシャルのお陰だったのだ。タイヤの性能も限界までは引き出していなかった。コーナーの進入速度を心持ち落として、アクセルを踏める状況を作ってみると、タイヤグリップをギリギリ越えそうな領域を意図的に維持でき、そこではグリップ走方にもドリフト走方にもアクセル次第で切り替えられる。つまりは何通りものラインを走行可能になるのだ。それは逆にサーキット走行にも適応でき、タイムを詰めることに繋がるだろう。アンドリューは新たなる自信を得て、同時に高いレベルでロータス15との一体感を味わっていた。
「気持ちいい。この陶酔感は何だ?相棒よ、もうお前を決して手放しはしないぞ」
アンドリューは声に出して、ロータス15に語り掛けていた。
群馬の峠、北関東最速の呼び声を欲しいままにしてきた走り屋集団、銀狼の本拠地にアンドリューは乗り込んだ。アランがトヨタ2000GTで道案内として同行した。
「本当にやるのか?無謀だと思うんだがなあ」
アランが確認する。
「ああ、やる。この課題をこなせないようなら本番には挑めない」
アンドリューは派手なスター気取りのそぶりを脱ぎ捨て、内面から滲み出る凄味を帯びている。新たにハードトップを纏ったロータス15。コースを頭に刻み込むように70%程度のスピードで1時間ほど流していると、例の2人が現れた。銀狼のトップ2、ハコスカGT-Rに乗るダウンヒル担当の栗橋と、80スープラに乗るヒルクライムのタツ、銀狼を取り仕切るリーダーだ。800馬力のモンスターマシンは百瀬のダウンヒルとヒルクライムを往復でバトルする特殊ルールでコータに苦汁を舐めたものの、ヒルクライムでは無敗の王者だ。
「お前は百瀬のダウンヒラーじゃねえか。今度は俺たちのホームコースでやろうってか?」
タツは苛立ちを隠せない。
「ケッ、舐めんなよ、返り討ちにしてやるぜ」
百瀬の下りでアランに敗れた栗橋がいきり立つ。
「ジェミーロ・ロッソはどうした?主役は後から登場ってか?」
タツが辺りを見回して聞いた。
「いや、コータさんは今日は無関係だ。オレも単なる道案内で走る気はない」
アランが答えた。
「はあ?じゃあ何しに来た、観光ってわけでもあるまいし」
栗橋が怪訝な顔をする。
「ボクがアンタらに挑みたい」
アンドリューは静かに言った。
「また、ハーフのイケメン兄ちゃんが何言ってんだよ。しかも車はそのペタンコのクラシックか?俺の80に付いてこれるわけがねえだろ。冗談じゃねえ」
タツが帰れとばかりに手を払う。
「ボクをジェミーロ・ロッソの代理と見ていい。アンタが勝ったら堂々北関東最速を再宣言しなよ」
アンドリューの言葉にタツが真剣な表情に変わる。
「本当だろうな?オイ、2000GTの、お前が立会人になれよ」
「ああ」
アランは半ば諦め顔で頷く。
「オレに峠で勝った走りを頼みたいぜ」
栗橋とのダウンヒルバトルがスタートした。アンドリューはあえて加速を抑えて後ろに付く。先行逃げ切りでは意味がない、追い抜きが課題なのだ。
栗橋は先行には絶対的な自信を持っている。コーナー入り口からGT-Rをスライドさせて蟹走りになり、相手に抜く隙を与えないえげつないブロックを続ける。見るからにワルそうなGT-Rの外観も相まって、大抵の対戦相手はビビって手出しできない。唯一とも言える攻略法は、アランが見せたツインドリフトだ。だが栗橋は二度同じ過ちを犯す気はない。ツインドリフトに対してもドリフトをギリギリまで維持することで相手の立ち上がりラインを潰す練習をしていた。
「攻め方は2通りだな」
アンドリューはシミュレーションする。ひとつはコーナーをグリップ走行でピッタリ後ろに付いて回り、直線での加速で抜く。確率は高いが面白味はない。もうひとつは…。アンドリューは二つ目の方法でいくことにした。
蟹走りの栗橋に手も足も出ない、点在するギャラリーからはそう見えたことだろう。アンドリューは余裕を残した走りでコースの終盤に備える。長めの勾配のきつい直線の後のヘアピンコーナー、安全対策で道幅が広く取られている。蟹走りでも完全に塞ぐことは出来ないから栗橋はインを空けないように閉めたラインを取った。アンドリューは早めの減速でやや距離を置いてコーナーに入ると、アクセルを開けてタイヤグリップの限界を保持する。アンドリューの塞ぐイン側は無視し、外側に曲率の大きな狭いコーナーをイメージして、そこにロータス15を飛び込ませた。セオリーを完全に無視したアウトからの追い抜き、栗橋は予想もしなかった出来事に呆然とし、引き離されていくロータスのテールランプを見送るしかなかった。
一息のインターバルを挟んでタツとのヒルクライムに移る。かなり抑えた走りだったのでロータス15のタイヤやブレーキに消耗はなく、むしろ軽く暖気したような状態だ。そして何と言ってもヒルクライムはエンジンパワーの勝負だ。タツの80スープラは800馬力のモンスター、重い車体を苦もなく異次元のスピードに乗せていく。
昔、羊の皮を被った狼という表現が流行った。チューニングの基本は車重を軽く、出力を大きくだが、ファミリーカーにワンクラス上のエンジンを載せることで手軽に若者受けの車を作る。日本でトヨタが1200ccクラスのカローラに1600ccのツインカムエンジンを載せたレビンが代表的だ。その速さに2000ccクラスの車も舌を巻いた。だがロータス15はそれに輪を掛けた怪物だ。僅か1000ccクラスの超軽量ボディーに2000ccのエンジンを載せているのだ。
「最初から最後まで全開でいく。頼んだぞ、相棒」
アンドリューはスタートラインに停止させたロータス15に静かに話し掛けた。
爆発的な加速で80スープラはロータス15を引き離しにかかる。アンドリューは素早くロータス15をスリップストリームに滑り込ませる。地を這うような低いシルエットは空気抵抗のない領域の恩恵を満喫するが如く80スープラに引っ張られる。最初のコーナーでアンドリューは素早くタツのイン側にロータス15のノーズを突っ込むと、そのまま先頭に出た。コーナーリングスピードはロータス15の軽さが絶対的に上回る。いきり立つタツの80スープラはターボで鞭打つが、ノーマルアスピレーションのロータス15のレスポンスには敵わない。直線で差を詰められないまま次のコーナーでさらに差は広がり、3つ目のコーナーを抜けたところで勝負は決した。
「アンタ、ジェミーロ・ロッソの比じゃないくらい速いぜ。全く何だってんだ」
タツは素直に敗北を認め、銀狼伝説は幕を降ろした。
4
「やれやれ、勝手な決め事は困るな」
ノスタルジックカーを製造後の年数で規定すると耳にしたマレンスキーは、苦情を申し付ける。
「ヴィンテージカーの価値はそう単純なものではない。コレクターの市場があり、そこで情報交換がなされ、性能やデザイン、ブランド、希少性、そして芸術性といった観点から人気が決まる。もちろん古さも重要な指標だが、それは希少価値に付随するとも言えるのだ」
マレンスキーはサーキットの最高顧問やら相談役やら言われているが、実際のところ今は運営には直接関わっておらず、週3日サーキットを借りきる一番の顧客として多額の金を流していた。それだけに彼の言葉は無視出来ない。
「日本では車は工業製品で、利益を出すことが宿命であり、大量生産による生産効率、部品をギリギリの品質まで落とした上の共用化、下請けへの飽くなき値引き要求などでコストダウンにしのぎを削る毎日だ。そんな物に我々からしたら魅力の欠片もない。かろうじてオイルショック前に登場したトヨタ2000GTあたりはヴィンテージとしての価値を持つがね」
相変わらずマレンスキーの話には聞き手を引き込む力がある。
「別の例を出せばウォッチだ。世界の注目はスイスの機械式だが、日本のセイコーやシチズンはそのスイスを目指して職人を育て上げ、1970年頃に遂に機械式腕時計として世界一の称号を得た。だが驚くべきことに彼らはその技術に磨きを掛けるどころかあっさりと捨て去り、より安価に正確な性能を得られるクォーツ式に一斉に切り替えた。そこには利益はあるかもしれないが、名誉はない。すべからくそうではないのかね?ウォッチの世界が機械式からクォーツに切り替わったのと同様に、車の世界でも革新が起きた。機械式キャブレターから電子制御のインジェクションへの移行だ。それにより車は職人の微調整からコンピューターで動く乗り物と化し、ITのブラックボックスに支配されるようになった。さらにはターボチャージャーの普及で、エンジンパワーは本体をいじることなく、過給圧と燃料噴射マッピングの調整がチューニングと呼ばれる。それは悪いことではないが、私は芸術的な美を感じることは出来ない」
「おう、それよそれ!まさにその通りだ」
サンドロが拍手を送った。
「まあ電子制御への移行が1980年前後だから、あなた方が前回採用した1970年代までという縛りは妥当な線だと言えよう。だが厳密な線引きなどは難しい。古い車は維持も大変なのだから、サーキットを活気付けたいのなら車好きがそれぞれ気に入っている愛車を尊重すればいいのではないかな?ノスタルジックやヴィンテージの世界へ踏み込まれることが困ると言っているのだ。ついでにGT選手権をナンバー付き車両に制限するのは止めた方がいいな。ここは公道ではなく、サーキットなのだから」
「そうだよな、カプチーノはノスタルジックとは呼べないな」
津野田は急に熱が冷めた感じがした。インジェクションターボカーでは速さがあってもサンドロやジョージやマレンスキーの世界には踏み込めない。アランの2000GTを陰から見守ることにするか。
そう、あの2000GTをアランに紹介したのは津野田だが、レストアとチューニングはアランの熱意と、コータや純や外部の南野の成果だ。ああ、それにエンジンはソアラの1JZに換装しているから、NAではあるが電子制御だ。津野田はサーキットのスタッフで自分だけが門外漢の気分に襲われていた。
「津野田さんよぉ、この前話したワンオフのスポーツカーの件、覚えているかい?」
宮本が興奮気味にやってきた。
「ええ、それが何か?」津野田は作業しながら答える。
「オレ、その中の一人らしい人のブログ見つけちゃってさ、ちょっとメッセージ入れてみたのよ。そしたら何とノスタルジックサーキットに興味持ったみたいでさ、今度の軽走行日に来るらしいよ」
今度といえば今日ではないか。
「そういうことは、もっと早く教えて下さいよ」
津野田は手を止めて、口を尖らせる。
「あ、何か不味かったかな?」
「いいえ大丈夫ですが、心の準備もあるじゃないですか」
津野田は興味を抱いていて、失礼があったらいけないと懸念したのだ。
「ごめん、オレも忙しくてさ」
宮本は軽く頭を下げた。
車載仕様の2トントラックで二人の男たちが現れた。荷台に濃い紫色の小型スポーツカーを積んでいる。駐車場にトラックを停めてスポーツカーを降ろすと、津野田に挨拶した。
「こんにちは、嘉納といいます」
二人とも70代と見受けられる元気な老人たちだ。
「はい、お話は伺ってますよ。ようこそいらっしゃいました」
津野田は笑顔で迎える。
「ご迷惑掛けるかと思いますが、よろしくお願いします」
迷惑などとはとんでもなかった。紫の軽スポーツカーを駆る嘉納は、数周ほどコースを確かめるように流した後、他の走行車たちを縫うようにハイペースで快走してみせた。
「いや、速いですね、驚きました」
ピットに戻った嘉納に津野田は椅子を勧める。
「年甲斐もなくはしゃいでしまいまして。御覧の通り公道を走れる車じゃないので、今日は久しぶりに楽しませて頂きましたよ」
嘉納は満足そうに笑う。
「いや、どうも、どうも、メールした宮本です。お会い出来て光栄です」
宮本が割り込んで握手を求めた。
「凄い車ですよね、よかったら製作秘話とか聞かせてもらえませんか?」
嘉納はかい詰まんで話し始めた。連れの男は木田といい、二人とも以前ヤマハ発動機の開発部署に居て、持ち込まれた軽スポーツカーの企画書を目にした。長らくそれは胸にしまい込んでいたが、定年を迎えて他の仲間たちも加えて、幻の企画書の小型スポーツカーを形にしてみようじゃないかとなったらしい。
「エンジンはトヨタ経由でダイハツのコペン用ターボを購入したのですが、コペンはFFで、サスペンションもストラットと基本的に乗用車仕様だったので他の部品は使えませんでした。それでシャシーは図面起こして鉄工所に依頼しまして、後はあちらこちら解体屋を回って使えるパーツを集めました。ボディーは自分らでモックアップを作りまして、FRPで製作しましてね。あまりパワーを上げてもバランスを取るのが難しいので70馬力程度に抑えてますが、まあ結構満足いく仕上がりになりました」
相当軽量に作られているのだろう。津野田のカプチーノよりも速いかもしれない。そうしているうちに紫の車の周りに何人か集まって来て、興味深そうに見つめている。
「可愛いけど、ちょっと近寄り難い感じもあるわね。何と言う車なんですか?」
カヨが尋ねる。
「正式な名前なんてないけど、一昔前に走らせていた頃は、ロンディン・ヴィオラと呼ばれてましたね」
嘉納は懐かしむように答えた。
「フム、イタリア語で紫のツバメか。洒落てるじゃないか」
サンドロが感心する。
「そう、私らも小さいのに無類の飛行能力を持つツバメがしっくりきて気に入ってましたよ」
嘉納は視線をガレージに移しながら話を変える。
「ところで、あそこにちょっと気になる物が見えるのですが、入ってもよろしいですか?」
と津野田に許可を得てガレージに入ると、棚に置かれたエンジンを確認して驚きの声を上げた。
「やはり3M!ヤマハの伝説だ。これがあるということは、もしかしたらトヨタ2000GTを整備中なのですかな?」
「いえ、それは」
津野田は経緯を説明する。
「ではそのうちに2000GTに戻す予定ですかね」
津野田はアランを呼んで考えを聞く。
「オレは今のマシンで満足しちゃってるし、今さらオリジナルに拘る気もないっすよ」
その答えに嘉納は目を輝かせる。
「それならば是非ともあのエンジンを譲って頂きたい。ヤマハ時代の仲間たちも暇を持て余してうずうずしているので、ここは一つ年寄り連中の我儘を聞き入れてもらえませんか?」
津野田はアランに再度確認して、36仲間のガレージで基本的に作業することを条件にエンジンを譲った。こうしてノスタルジックサーキットに新しく個性的なメンバーが加わることになった。
5
一条が久しぶりに文佳を連れてサーキットに顔を出した。コータを探すと話を始める。
「以前ここに来た三木という人物はキミの知り合いだろう?」
「知り合いと言うほどでもないですけど、三木さんが何か?」
コータは何だか嫌な予感がした。
「あるツテから聞いた話だけれども、三木が逮捕されたらしい。危険運転の上に大麻の不法所持だ。どうもわざと捕まったふしがあるようだよ」
危険運転はともかく麻薬とは…コータは改めてアランが言っていたことを思い出す。『堅気じゃないですね』
一条は続ける。
「その後、東京の繁華街で放火と思われる火災があって、全焼した飲食店が三木のスナックなんだよ。警察では組織的な犯行とみて捜査しているようだが、私としては三木の命が無事で良かったと思う。何年か刑務所に入れられるだろうけど、出所してまたここに来るようなことがあれば、温かく迎えてあげたいね」
コータは黙って頷いた。
あちこちの峠では異変が起きていた。これまでは黙認されていた感じのドリフト族が一斉に検挙され始めたのだ。さらに高速道路ではフェラーリなど高級外車の集団走行が取り締まりを受けた。コータは走り屋たちのサーキットでの受け入れを検討する時が来たなと感じていた。
嘉納はヤマハ時代の仲間4人と本格的にトヨタ3Mエンジンのレストアを始めた。まずは完全に分解し、洗浄し、磨きをかける。ガスケット類を除いては問題なさそうで、チューニングをどうするかという話になった。
「2200ccへのボアアップキットもあるみたいだが、オリジナル1988ccに価値があると思うな。レースも2リッターのカテゴリーがあるしね。ピストンリングを最新の材質に替えて、ハイカムとか組めば、今の技術なら200馬力近くは出るだろう」
「うん、本体より、ドライサンプをちゃんとやりたいよね。それとレイアウト。フロントミッドシップは当然として、トランスアクスルでFRかな」
「共通イメージ持つのにデッサンがいるよ。シャシーとか早めに発注しないと」
彼らは再びワンオフのオリジナルカーを製作すべく、はつらつとしている。
「今度はさ、例の解体屋引き入れようよ。カロッツェリアで修行したっていうイタリア人、彼を引き入れてチューブラーフレームのアルミボディーなんて作れたら魅力的だよね」
カルロというイタリア人がメンバーに加わった。嘉納たちはデザインは得意じゃない。カロッツェリアの神の手を持つカルロはチームに新風と心強さをもたらした。
「また車作りが出来るなんてボク嬉しいよ。グラッチェ、感謝します」
カルロは褐色の肌に短い白髪の巻き毛、顔には経験のシワが刻まれている。若い頃に単身日本に訪れ、縁あって解体屋の世話になり、独自の車を仕立てて米軍基地のカーマニア将校たちとドラッグレースイベントなどを競った。
「カロッツェリアはみんなアイデンティティーを持ってます。ボクのアイデンティティーはこんな感じね」
と古い写真を見せる。
「シグノラ、イタリア語で貴婦人ね」
「へえ、引き込まれるような美しさだ」
嘉納たちは惚れ惚れとした表情で写真を眺める。
「そんな雰囲気で大丈夫ですか?」
カルロが確認する。
「もちろん!最高だよ」
嘉納は力強くカルロに握手した。
活気溢れる36仲間のガレージに、マレンスキーが数人の客を率いてやってきた。
「彼らはカスタムカーを製作中らしい」
マレンスキーが説明する。ちょうどカルロがフレーム用のパイプをデザイン寸法通りにカットして曲げ加工しているところだ。
「オウ!チューブラーフレームなのか。1950年代を彷彿させる。素晴らしい」
「まるでタイムマシンでバックヤードビルダーに招かれたみたいじゃないか」
客たちは口々に称賛する。
カルロの傍らでは木田たちがエンジンの組み上げをしていて、ガレージは足の踏み場もないほど雑然となっている。津野田は他の作業を行うスペースを見つけるのに苦労する日々で、自分から言い出したこととはいえ別の場所でやってもらえばよかったと後悔を感じていた。
「これでは肝心の車体作りには手狭ではないかね、よかったら私の家の物置小屋を使ってくれてもいいのだよ」
見かねたマレンスキーが提案する。マレンスキーにとってもチューブラーフレーム作りはエンスージアストたちへの格好のショーになる。話はその場で決まり、早速カルロたちは移動の準備を始めた。同時に宿泊もゲストルームを使ってくれとなり、旅館に長期滞在予定にしていた嘉納たちにとっては願ってもない話だった。
「出来のいいカスタムカーはエンスーたちの鼻をくすぐるが、その価値を証明する必要がある。あなた方にそれは可能かな?」
ディナーの席でマレンスキーが嘉納たちに聞いた。
「私らは売るために作っているわけではないのですがね…」
嘉納はそう答えながらマレンスキーの好意に報いたいとも感じた。
「もし私らに依頼して下さるのなら出来る限り誠意を尽くしましょう。価値の証明と言われても難しいが、速さでいいのならお見せ出来ますぞ」
そのチャンスは早々に訪れた。サーキットに走りに来た常連の一人が36仲間のガレージ前に置いたロンディン・ヴィオラを目にして挑戦的な態度で津野田に問い掛ける。
「こいつはロンディン・ヴィオラじゃないか!何故ここにあるんだ?嘉納の爺さんが来てるのか?」
どうやら以前に別のサーキットで嘉納と遭遇して手も足も出なかったらしい。嘉納がやってきて応対する。
「あの時はビートでアンタに花を持たせてやったが、その後ホンダの最高峰NS-Xを手に入れた。大人げないかもしれないが、オレに取ってそこの紫との一戦は消し去りたい汚点なんだよ。ここで会ったが百年目、NS-Xで再戦願おうじゃないか」
嘉納は仕方がないなと応じることにして、マレンスキーにちょうど良い機会だからロンディン・ヴィオラの走りを披露することにした。
バトルはコースを5分ほど閉鎖して、スタンディングスタートの1周勝負で行うことになった。マレンスキーが滞在中の客を連れて観戦している。
「あのホンダNS-XはF1王者が送り出したステイタスだ。日本の規制で馬力が制限された中、フェラーリ348あたりに引けを取らない性能を有した。まあヴァイオレットがどこまでついていけるかな」
NS-Xのドライバーは闘争心剥き出しだが、嘉納はもう走りへの情熱は冷めている。だが、精根込めたロンディン・ヴィオラのドライビングシートに収まるとスイッチが切り替わってしまう。スタート位置に並んでアクセルを煽るとアドレナリンが全身に広がる。
2台は合図と共に路面を蹴るようにダッシュ、パワーに勝るNS-Xが当然の如くリードするが、第1コーナーへの進入ではロンディン・ヴィオラが深いブレーキングで真後ろに付ける。マレンスキーの予想に反してそのまま縺れ合うように第2、第3コーナーを駆け抜けると、第4ヘアピンで小回りの利くロンディン・ヴィオラがインに飛び込んでNS-Xの前に出た。登りの直線で並ばれるが、連続ヘアピンで前を譲らず、下り高速コーナーで一度抜き返されたものの軽さが物を言う最終逆バンクで軽々とNS-Xを引き離し、そのままの勢いでゴールを先に制した。誰もが唖然とする中、ピットに戻った嘉納は仲間たちとパチンと手を合わせ、マレンスキーに一礼して作業場へと悠然と帰って行った。サーキットは暫し戦慄の空気に包まれていた。
6
銀狼のタツたちがノスタルジックサーキットに遠慮がちに訪れると、コータを見つけて声を掛けた。
「百瀬では騒がせたな、一言侘びを入れておく。アンタがサーキットにいつでも来いと言ってくれてたからちょっと挨拶にな」
コータは妙に謙虚だなと思った。アンドリューの一件は知らないのだ。
「今日は何か?」
「いや、最近世間の風当たりか、峠も取締りが厳しくなってきてな、俺たちも走る場を奪われて当惑してる。それでまあサツも居ないサーキットに興味が出てきたのさ。しかし場違いはやっぱり否めねえ。俺たちのスタイルは大勢で走るってよりはガチのバトルだからな。それでどうしたものかアンタに相談できねえかと思ってな」
そういうことかとコータは事情を理解した。走り屋たちへのサーキットの解放は、以前からアランの意見を聞いて考えていたところだ。タツたちの望みを叶えるなら、やはり夜間走行だろう。しかし照明等の設備もなく安全対策面から正式な営業は難しい。
「連絡するから少し時間をもらえないか?」とコータは即答を避けた。
スタッフで検討した結果、営業ではなく夜間の無料開放ならどうかとなった。
「気持ちは分かるからな。だがどんな荒っぽい奴らが来るかも分からんし、コースが荒らされたり最悪事故られたら困るぞ」
サンドロが釘をさす。
「もう一度、銀狼と話してみます」
この件はコータが任されることになった。
タツたちは喜び、厄介事は起こさないように自分たちが仕切ると言い出した。さらに無料ではなく1000円程度の参加料を取り、コースに寄付すると言う。
「うーん、任せっ放しもなんだからオレたちも交代で見るようにするよ」
アランとタケシが協力を申し出て、夜間開放はスタートした。
最初は銀狼のメンバーが夜のノスタルジックサーキットに集っていたが、噂はすぐに広まり、行き場を失なった走り屋たちがどんどん押し寄せた。あまりの混雑でまともに走行するのも難しくなり、ルールが出来ていく。夜間開放は夜の9時から0時までの3時間とし、先着の32台が走行権利を得る。あぶれた者は300円払えばコース内の観戦が許される。走行時間帯の前半は自由走行に充て、後半はバトルタイムとする。バトルは2台のスタンディングスタートからの1周勝負で決着させ、敗けた者は退く勝ち残り形式で、最終勝者は翌日チャンプとして招かれ、その日の最終勝者とチャンプの座を賭けてスペシャルマッチを行う。そして、サーキット利用後はゴミ拾いをした後解散する。といったものだ。
夜の闇と参加車の車重から最終逆バンクコーナーでアクロバティックな走りをする者はなく、自然とパワーのある車がバトルで優位に立ち、チャンプは銀狼のリーダー80スープラのタツの指定席となった。最速伝説が甦っていく中、タツはジェミーロ・ロッソとロータス15の影に落ち着かなかった。
「何だかさ、どうでもいいことなんだろうけど、夜のチャンプの存在感が増してきてる感じがするな」
純がコータに話し掛ける。
「まあバトルをメインにしてるから走り屋たちの情熱を揺さぶるんだろうね」
コータは見守る親鳥のような感覚だ。
「結局あのタツがチャンプなんだろ?思うがままってのがちょっとな。コータお前、一つお灸を据えてきたらどうだい?」
「うーん、GT選手権でやり遂げた感があって、何かこう競い合いは乗り気じゃないんだよ。純、キミがやればいいじゃないか、ジェミーロ・ロッソの大ボスらしいしさ」
コータはタケシの吹聴を思い出して笑った。
「ちぇ、からかうなよ。やってもいいがマシンがね。ランダーには間違っても傷なんて付けたくないしさ」
一方のアンドリューはアメリカに居た。映画監督のフィリップに次回作について話し合うためだ。
「私としてはキミの主役でニンジャシリーズを撮りたいんだがね」
日本の神秘的スーパーマン忍者は、昔実在したということでアメリカでは憧れるファンが多い。今も存在していると信じる若者もいる。それだけに内容は無くてもアクションだけで忍者映画はそこそこ採算が取れるのだ。だが、アンドリューは空々しさが拭えない。
「いやフィリップ、前に撮ったサーキットのドキュメントが結構評判良かったらしいよね。あの路線で進めてみないかい?ボクが失望はさせないからさ」
フィリップはカーアクションシリーズでは成功を得ていないだけに二の足を踏む。
「ドキュメンタリーは重みが違うって。今度はテレビ番組じゃなくて、本格的にスクリーンで披露しようよ」
アンドリューの熱意にフィリップも気持ちを傾けた。
「分かったよ。その代わりに少し演出を加えさせてくれ。八百長という訳ではない、ダブル主演として実際に速いキミのライバルを日本に送り込む。やはりアメリカ人にはマッスルスポーツがないとな」
銀狼のタツが再び北関東最速、いや今度は関東最速と言われ出して、純の思惑に答えるかの如く夜のノスタルジックサーキットに牙を剥く者たちが動き出す。それはコータが薄々感じていた隠れた本物たちの一角だ。まず遠征してきた茨城や埼玉からの挑戦者たちはタツが退けた。それが更なる大物に火を点ける。
「まったくこんな田舎に出向く事になるとはさ、アタシャほんとは勘弁願いたいのよ」
女性言葉を使うが、口髭を生やした中年の男性だ。黒縁の眼鏡をかけている。
「まあそう言うなよ伸之介、温泉に休養に来たと思えばいいじゃないか」
助手席の男が宥める。
「何言ってるの、温泉と言えばアタシたちの箱根に勝るところなんてないわよ」
赤いポルシェ928のステアリングを握る伸之介が口を尖らせる。二人は関東最大の走り屋の聖地、箱根で名を馳せるコンビだ。ターンパイクで不敗を誇る卓越したドライビングの進藤伸之助と彼のマネージャー兼ナビゲーター役の天城、普段は箱根の別荘を居にしているが関東最速の呼び名を許す訳には行かないとノスタルジックサーキットにやって来た。
「ま、付き合ってくれて感謝するわ。アタシ一人で一捻りすれば済む話なのにね」
「地図も読めない方向音痴を放っておけないだろうが。カーナビくらい付ければいいのにな」
「ああいうのはどうも気が散るし、車の雰囲気を壊すから嫌なのよ」
二人は夕暮れ時のサーキットに着くと、最終走行時間で軽くコースの下見をする。
「田舎のくせに狭いわね。箱根の七曲りを思えばどうこうないけど」
ポルシェ928は1978年にポルシェが911に代わる新しいフラグシップモデルとして送り出したGTカーだ。快適さを考慮したFRで、水冷4.5リッターのV8エンジンをフロントミッドシップに積み、さらに理想的な重量配分とするためにトランスミッションを後輪側に備えるトランスアクスルを採用、さらにコーナーリングの安定を図る四輪操舵の元となるバイザッハ・アクスルなどの画期的システムが使われている。日本ではATが多いが、進藤の928は5速MTだ。スポーツカーとして唯一カーオブザイヤーを獲得した初期928のオリジナル外観に拘り、エンジンは231馬力から320馬力へとチューニングを施している。
二人はそのままサーキットに残り、夜の開放を待った。そしてその日の勝ち残りバトルを軽々と制した。
「今日のお相手は外車か。どうもそういうのは鼻持ちならねえな」
80スープラのタツがゆっくりと王座防衛戦のスタートラインに車をつけた。
「ああ、これだから田舎は嫌だわ。車と言えばドイツ車、最高の技術でニュルブルクリンク最速の座を保持し続け、アウトバーンを安全に快適に飛ばすポルシェに勝るものなどないじゃない。そんなギラギラの国産なんて都会じゃ恥ずかしくて乗れたもんじゃないわよ」
進藤が言い返す。
「あ、箱根ターンパイクのローテル・レーヴェ、関東最速とも言われる走り屋だ」
ギャラリーの一人が思い出したように叫んだ。
重量級ワイドボディーの2台のバトル、地響きのような轟音と共にスタートが切られた。銀狼のタツがややリードするが、制動力に勝る928が第1コーナー争いでインに鼻先を突っ込んで制した。その後の狭いコース幅ではワイド同士の追い抜きが至難の業であるが、それ以前の話で進藤がジリジリとタツを引き離していく。ゴールしてみれば車3台分の差を付けたローテル・レーヴェ、ドイツ語で赤いライオンの圧勝であった。
「さて、1週間ほどのんびりして帰ろうかしら」
進藤は暫くチャンプを保持して返還する予定でいた。旅館で寛ぎ、夜のサーキットへ毎晩出向く。タツは3日ほど奪還を図ったが、敵う事はなかった。そして予定の7日目を迎える。
7
その日は大小出来事が重なった。
久留巳がサーキットにやってくると、津野田を介して嘉納のところへ相談に行った。
「はじめまして。ここで凄い事をやってると聞いて、僕も体験させてもらえないかと思いまして」
嘉納は久留巳のバークレーT60を見て答える。
「乗ってる車を見ればその人となりも知れる。キミはどうやら我々と同じ空気を好むようだね。ただ私らは仕事でやっている訳ではないから、ここで作業しても給料など出せないし、完成までには結構な時間を費やす。年金暮らしだからこその趣味みたいなものなのだよ」
「はい、承知の上です。それで会社を辞めて退職金を手にしてきました」
久留巳の決意は固そうだ。
「そこまで言うなら私らも手が多いほうが助かるし、喜んで受け入れるよ。ちなみにこれまでは何をやってたの?」
「レース用タイヤの開発です。テストドライブもこなせます」
それを聞いて嘉納は目を輝かせた。
「タイヤのプロか。しかもドライビングもかなりの腕前のようだ。ちょうど欲しかった人材だよ」
油塗れの手で久留巳の両手を握る。久留巳は苦笑いしながらも強く握り返し、何度も頭を下げて嬉しさをアピールした。
午後になると大掛かりな集団が訪れた。1台のバンから映画監督のフィリップが降りてジョージを見つけて話し掛けた。
「ミスター梅木、以前は世話になりながら騒がせて申し訳なかったね。水に流してくれたまえ」
ジョージは笑顔で握手する。確かにちょっとした騒動だったが、その結果大変な大金が舞い込んできた。彼にとってフィリップは福の神みたいなものだ。
「今日はどういう用件でいらっしゃったのかな?」
「アンドリューから聞いてないかい?」
アンドリューはここしばらく見ていないし、クーパー倶楽部とは縁も薄い。「いいえ」とジョージは答えた。
「そうか、事前に話は通っていると思ったのだが、実はね…」
説明を始めようとした矢先にコータが現れた。
「あ、監督、お話は伺ってますよ。ようこそいらっしゃいました」
フィリップは安心してスタッフに準備を始めさせる。サーキットの要所に照明器具やカメラが備えられていった。
「最終コーナーは特に照明を増やしておいてね。重要なポイントなの」
グラマラスなブロンドの美女がスタッフに指図して、少し離れたところからフィリップに大声で確認する。
「パパ、早速走らせてもらってもいいのかしら」
彼女はマーガレット。フィリップの娘で、車好きのフィリップの影響でレースを嗜んでいる。今回映画に出てみないかと言われて、喜び勇んで父親に従って来日した。
トレーラーから白いエキサイティングな車を降ろした。コルベットスティングレー、1964年式のC2タイプ。アメリカンスピリットの象徴として今なお絶大な人気を誇るシボレーのクラシック・マッスルスポーツで、一度見たら忘れない個性的スタイルにビッグブロックV8の427キュービック、すなわち7リッターエンジンを積むモンスターだ。
「どうぞ!」
とコータが答えた。
フィリップの狙いは夜のバトルだった。一切の演出無く、真剣勝負をドキュメントとしてフィルムに収める。普段は暗闇のノスタルジックサーキットが幻想的な灯りに照らし出される中、マーガレットのスティングレーが参戦し見事に勝ち抜いていく。これまで国産車がメインだったところへ進藤のポルシェ928に続き、アメリカンスポーツの登場で俄かに国際色を帯びてきた。330馬力を超えるじゃじゃ馬をレース経験豊かなマーガレットは苦も無く乗りこなし、最終勝者となってチャンプの座を賭けて進藤のローテル・レーヴェに挑むことになった。
賑わう雰囲気にサーキットスタッフの面々も観戦に顔を出す。これまで敵無しの余裕でいた進藤伸之介も緊張の面持ちだ。綺麗なスタートを切った2台のFRスーパースポーツカー、進藤のポルシェ928が第1コーナーを死守する。マーガレットのホワイトコルベットは後ろから牽制をかけるが歴戦の強者ローテル・レーヴェは応じない。そう、ここでの追い抜きは至難の業なのだ。そのままのもつれ合いでさしかかった最終コーナーに異変が待っていた。インベタで慎重に逆バンクを曲がるポルシェ928に対して、マーガレットは大きくアウト側から進入し、複合コーナーの奥のアペックスに向けて直線的ラインを取ろうとした。アンドリューの得意とする理想ラインだ。だがアンドリューが超軽量のロータス11を持ってして為し得たこと、1300kgのスティングレーのタイヤは悲鳴を上げ、コースアウトに向けて流れ出す。マーガレットは一度勇気を持ってアクセルで後輪をパワースライドさせるとブレーキを踏んで車の流れるのを止めた。インベタを回る928にアウトから被せる体勢だ。コーナーの出口に先に鼻先を向けているマーガレットは慎重にアクセルを開ける。逆バンクがエスケープゾーンに押し出そうとするのとパワースライドとの凌ぎ合い、外側のタイヤがはみ出しかけながらもコルベットスティングレーは見事にホームストレートに向けての登り直線に抜け、アクセルを全開してポルシェ928をかわして見せた。
「驚いたな、とんだ食わせ者だ」
純が感心する。マーガレットはフィリップのドキュメントを繰り返し見てノスタルジックサーキットの特徴を把握した上で、最終コーナーに勝負を持ち込むために照明を用意させて周到な準備を立てたのだ。新チャンプ、美しき女王の誕生である。
翌晩のサーキットはさらに賑わいを増した。進藤は予定を返上してリベンジに挑もうとし、タツも刺激を受けて勝ち抜きに名を連ねる。そこへ無謀としか思えない挑戦者が加わった。嘉納のロンディン・ヴィオラだ。
嘉納は小回りの効くロンディン・ヴィオラを巧みに操り、相手に先行されてもコーナーで抜き去る見事なドライビングでバトルを勝ち抜いていく。フィリップはその走りに忍者の雰囲気を感じてカメラで追わせた。進藤とタツも順調に勝ち上がる。嘉納は彼らを2台とも相手にするのはしんどいと感じたが、準決勝でポルシェ928と80スープラの潰し合いとなって、またも進藤のポルシェ928がタツを退けた。
バトルの決勝はロンディン・ヴィオラとポルシェ928の対戦となった。嘉納にとって、進藤伸之助はこれまでの相手とは格が違う。ここで秘策を使うことになりそうだ。
案の定ポルシェ928は圧倒的な加速に加えてコーナーへの深いブレーキングで嘉納に付け入る隙を与えない。嘉納はロンディン・ヴィオラをスリップストリームに滑り込ませようとするが、車間を空けられていく。唯一の対抗策はコーナーリング速度で上回れることだ。しかしこれまでと同じ曲がり方では差を詰めるのは難しいことがすぐに判明した。嘉納は右手1本でステアリングを握ると、左手をサイドブレーキに移す。第4ヘアピンコーナーで素早くサイドブレーキを引くと後輪が流れ出す。ジムカーナーのテクニック、スピンターンだ。ノスタルジックサーキットの連続ヘアピンはまさに峠道、馬力のある車ならアクセルワークでパワースライドによるドリフトが可能だが、ロンディン・ヴィオラの70馬力では登りに対して不足気味なのだ。そこで逆に後輪をロックさせることによるスピンターンならコントロールが効く。ただしロックさせ過ぎると本当にスピンしてしまうので、サイドブレーキはタイミングよく一瞬だけ引くのがコツだ。
嘉納は第4から第7までの連続ヘアピンでロンディン・ヴィオラとポルシェ928の差を詰めると、下り勾配の第8高速コーナーでポルシェのすぐ後ろにつきスリップストリームを利用して引っ張ってもらう。最終複合逆バンクコーナー、ノスタルジックサーキットの名物であり最大の難所は撮影の照明で視界がいい。セオリー通りにインベタで旋回するポルシェ928の直後でサイドブレーキを巧みに操りながら軽いドリフト体勢でアウトからロンディン・ヴィオラを被せる嘉納は余裕を持ちながら易々とポルシェを追い越した。登りのホームストレートは本来ならパワーに勝る車が断然有利だが、脱出速度とアクセル全開のタイミングでロンディン・ヴィオラがポルシェ928を引き離し、バトルを制した。まさに千両役者である。
チャンプの座を賭けたスペシャルバトル、白いコルベットC2スティングレイのマーガレットに挑む嘉納は同じ戦法を録画ビデオのように披露する。スタートでコルベットに後塵を拝するが、連続ヘアピンを巧みなサイドブレーキターンのドリフトで追随し、下りの高速第8コーナーでスリップストリームに入ると最終逆バンク複合コーナーで重さに耐えるマーガレットを嘲るかのように苦も無く抜き去りゴールラインを先に駆け抜けた。全てをフィルムに収めたフィリップは、思わぬ収穫にほくそ笑んだ。これぞ筋書きの無いドラマだ。
8
目論見が狂ったのはアンドリューだ。ドキュメント映画を盛り上げるためにフィリップは秘かにシナリオを描いた。それはマーガレットを先に暴れさせてノスタルジックサーキットに旋風を巻き起こし、不動のチャンプとしたところでアンドリューを登場させ、そこで筋書きのない真剣バトルをやらせるというものだ。勝者が映画の主役となるように後にドラマティックな編集をする。
アンドリューはマーガレットが当然1週間くらいはチャンプを保持すると思った。その間は監督の娘に美味しい思いをさせて、最後に自分が捩じ伏せる。その自信は十分にあったのだ。ところがの出来事である。
マーガレットが敗れ去った翌晩、アンドリューはロータス15を夜のノスタルジックサーキットに久しぶりにコースインさせた。だがそこにはもう彼を引き立てる助演のツワモノたちはいなかった。マーガレットも進藤もアンドリューに相まみえることなくロンディン・ヴィオラに翻弄されたショックでバトルを降りた。タツも自分の器を知り、チャンプを諦めて運営に徹した。参加者には失礼かもしれないが、残りはアンドリューにとって雑魚である。難なく、成長した走りを披露するまでもなく、アンドリューのロータス15はその日の最終勝者となった。しかし…
嘉納はチャンプとなった翌日、昼間は車作りの作業に没頭し、夜はマレンスキーの館で寛いでいた。
「嘉納さん、サーキットに出向かないんですか?」
久留巳が不思議そうに聞く。
「この人はね、いつもこうさ。一度走りを満喫したら体力も気力も消耗するから休息するのさ。我々はロートルだからね」
と木田が答える。嘉納は満足そうに風呂上りの缶ビールを味わっていた。
ロンディン・ヴィオラの現れないサーキット、集まった観衆は肩透かしに合いながらも口々に囁く。
「これが伝説の走り屋ロンディン・ヴィオラさ。どこからともなく現れてはサーキットを席巻し、消えていく。幻と言われる所以さ」
アンドリューはその後チャンプを維持し、タツの記録を抜いて最多勝利を更新した。その走りは実に見事であり、不敗の王者であり、本当に速いのだが、人々の記憶により強く残ったのは一晩限りの不敗王者、ロンディン・ヴィオラであった。
「何故だ?何故ボクはいつも主役になれないんだ?」
アンドリューはまたも虚しさを感じていた。
久留巳の尽力もあり、トヨタヤマハの3Mエンジンを搭載したスポーツカーは予定よりも早く完成した。関係者はみんな満足し、美しいスタイルに陶酔する…
終わり






