私がロンドンに留学中に体験した、というか、巻き込まれた話をしようと思う。
当時私はロンドン郊外にある小さな町の、小高い丘の上にある寮に住んでいた。
その寮は、町の駅から車で15分ほど山道を登ったところにある。そのため町へ出るには、寮と町中にある学校を一日に数回往復するバスか、タクシーを使う必要があった。自転車や歩きでは、かなりの時間がかかるので、そう簡単に町へ遊びに出かけることはできない。
緑に囲まれた静かな寮の環境は勉強するにはうってつけだが、学校が終わって寮に戻ると、本当にすることがない。
テレビやビリヤードがおいてあるコモンルームのような場所や、バーも一応あるのだが、一か月もすればさすがに皆飽きてしまった。
必然、学校が終わって寮に戻ると、誰彼の部屋に集まって夜を過ごすことになる。
私も毎晩、だいたい同じ面子と過ごしていた。
寮は丘の上に建っているため、街灯もなく、夜は暗い。しかもかなり古い建物で、真偽は定かではないが、もとは修道院だったらしい。故に、いわゆる怪談話には事欠かない。
曰く、ろうそくを持った尼僧が毎夜寮を徘徊する、夜中目を覚ますと老婆が窓から部屋をのぞいていた、誰もいない廊下から夜な夜な誰かの話す声が聞こえる…など、様々な話があった。
怪談好きとしては、面白く話を聞いていたが、やはり自分の住んでいる寮の話なので、あまり気持ちのいいものではなかった。
そもそも、イギリスという国自体が、怪談話の宝庫なのだ。ロンドン塔での数々の幽霊目撃談から、有名な劇場に出る幽霊たち、どこの町にも必ずゴーストツアーという街歩きツアーがあるほど、イギリスは怪談にあふれている。
閑話休題。
その夜もいつも通り、私の部屋でいつもの面子と、たわいもない話をしながら過ごしていた。
なんの話からそうなったかは忘れたが、N子とS子が、これまたたわいもないことで、軽い口論になり、N子が部屋を出て行ってしまった。
もちろん、N子は本当に怒っていたわけではない。N子独特の冗談で、よくあることだったため、皆の反応も、またいつものあれか程度だった。
数分でまた部屋に戻ってくるだろうと思っていたら、なかなか戻ってこない。
S子が、「今日は冗談じゃなくて、本当に怒ってたのかな。」と心配し始めたタイミングで、皆で彼女の部屋まで行ってみることにした。
彼女の部屋のドアをノックする。反応はない。
もしかすると部屋にいないのでは?と思ったので、念のため、ドアに耳をつけて、皆で中の様子をうかがってみた。
すると部屋の中から、確かに音が聞こえた。椅子の軋む音や、バサッと雑誌をめくる音まで聞こえる。
なんで居留守を、と皆が疑問に思った。
S子はN子がよほど怒っているのかと泣きそうになっている。皆が部屋の前に来ていることを分かっていながら、無視していることをアピールするような行動。私を含めその場にいる全員が、そこまでしなければならないほど、N子が怒っている理由が分からない。全くN子らしくない。
私の部屋に戻ると、S子は半泣きになりながら短い手紙を書き、それをN子のドアの隙間に差し込んだ。
それから30分ほどして、やっぱりモヤモヤするので、今度は私一人で、N子の部屋を訪ねた。
ドアをノックすると、「はぁ~い、どうぞ~」といつものN子の明るい声が返ってきた。
ドアを開けると、
「なにをそんなに怒ってたん?S子泣いとったで。」
とN子に伝えた。
N子はやや間をあけて、
「…それなんだけど、あの手紙なに?私なにも怒ってないよ。」
「いや、だからさっきわざとノック無視したやろ?雑誌めくる音とか、わざとやってたやろ。」
「…なんのこと?無視なんかしてないよ。いつ部屋に来たの?」
「あんたが部屋戻って20分ぐらいやけど。」
「えっ?その頃は妹に電話するのに、下の公衆電話行ってたし。」
「しょうもない嘘つきなや。」
「嘘じゃないって。部屋戻ったら、携帯に妹から留守電入ってて、泣いてて内容も聞き取りにくかったから、かけ直すのに一階の公衆電話使ってたんだよ。留守電のメッセージ聞く?」
「…ほんなら、なんであんたの部屋から音聞こえたんよ。」
「知らないよ!怖いこと言わないでよ!」
「そっちこそ怖いこといいなや!」
結局お互い釈然としないままになったが、私もN子も少し怖かったので、その日N子は私の部屋で寝ることになった。
この時はまだ、私たちはお互いが嘘をついているのだと思っていた。
(後編へ続く)