『イティハーサ』 | Brillānte

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joy miracle wonder and love...

相変わらず 気づき が続いています


さとうみつろうさんのブログを久しぶりにみて


どんな存在であっても その存在の 「御蔭(おかげ)」で

自分が存在している



どんな人であっても その人がいなければ

自分の 「陰」 は できなかった

自分は 「存在」 すらしていなかったんだ



自分も「他人」だ というのもありました
http://ameblo.jp/mitsulow/entry-11457827860.html


家族も 坂東玉三郎も 他人 だけど

「自分」も同じように他人だ


だから、他人の明日がどうでもいいように

自分の明日もどうでもいい


何だか気が楽です


***


暖かくなってきて もう編み物でもないのだと思うのですが

なかなか 動けない

とにかく 家を出てしまえば 後は何とかなるのに


家にいる方が 安心なのか

どこでも たのしいのは 一緒とか

内も外もない と 思うのですが


いろいろ考えて 流れに乗れていない ような気がします


流れに乗れていないと 疲れる

そして、疲れた自分を あぁ今日も動けなかったなあと思う


いい加減、そんなことにも疲れてきました 怒


***


ずっと 何かしていないと と思っていました


価値がある(と思っている)ときだけ 満たされる

でも、価値がなさそうな状態になると 満たされない


「価値がある」は「何かしていると」の条件付きだから

「何かしている」がなくなると 価値がない に戻っていく


結局、根底に ”価値がない” があるから


”それ”は 行動では 埋められない


もう 身体が スペックが そうなっているから


それは 意志の力とか 気の持ちようとか 行動とか


そういうことでは 埋められない



***


同じように、
人を変えたい(何とかしてあげたい)と思っても

その人は そういう身体 スペックだから

「何かしてあげたら」 変わる ということはない


いっとき変わったようにみえても

根底が同じだから

またすぐに戻る


楽にしてあげることはできるけれど

救ってあげることはできない


***


『イティハーサ』を読み終わりました

kindle unlimited で少しずつ

たぶん 前に読んでも まったくわからなかったと思います


善であること 悪であること


「善」が「よい」のだと思っていました

人生の醍醐味は、人生を生きる意味は

「よい」をたくさん感じること



物事が思いどおりにいかないと

期待や理想が大きいと

うまくいかないことが 寂しかったり がっかりだったりするけれど


がっかりも いやな気分も 迷いも 疲れも


すべて わたしである



ようやく そうなんだと 思えるようになりました