先日,某テレビ番組を見ていました。その番組は,政治問題から教育問題など,今話題になっている社会問題について,専門家が議論する番組です。その中で,
「生成AIなどの普及によって,人間の能力が低下しないか。」
ということが話題になりました。その話題に対し,ある政治家の方(某政党の党首)が興味深い話をされました。その内容は,
「電卓が登場したことで,計算の能力は必要性が弱くなりました。それと同じで,AIができたことによって,人間の考える力,というものの必要性が弱くなっていくのではないかと思われます。一方で,AIは自分から何かを始めてくれるわけではないので,第一歩を踏み出す意欲,のようなものがこれからは必要になってくるのではないか。」
といったものです。
昭和までは,計算力は大きなウエイトを占めていました。江戸時代は「算数=算盤」と言ってもよい時代でした。昭和になるとそこまではいきませんが,「計算力」というのは教師も保護者も重要視していました。
平成になり,私が教員になる時代になると,学習児童要領の中に「電卓」が登場し,適宜使うような文言が入りました。それに付随して「見積もる」ことの大切さが大きく述べられるようになりました。電卓の押し間違いなどに気づく必要があるからでしょう。
しかし現実の学校教育の中では,まだまだ「計算至上主義」のような考えが払拭できたとは言えません。指導書に「電卓マーク」があるにもかかわらず,かたくなに使わせようとしない先生は周りにたくさんいます。もちろんそれは善意の「計算くらいはできるようになってほしい」という思いからきているのですが。
一方「考える力の必要性」に関しては,私はまだまだ低下するようなことはないように感じます。仕事の世界での一大プロジェクトのような場面ばかりならいざ知らず,日常生活ではあらゆる場面で細かな「考える力」が要求されるはずで,実際の人生の中ではそのような場面の方が重大な位置づけになるような気がするからです。
一方,昨今のニュースなどの中に,AIに頼りすぎたことによる弊害の事件も見受けられます。AIに書かれたことを鵜呑みにして行動してしまったばかりに,思いがけない悲劇が生まれています。AIはたくさんある答えの1つなので,いくつかの中から選ぶ力が必要になります。
そのようなことでふと頭をよぎったのが「判断力」という文言です。かなり前から子どもたちに必要な力として「思考力・判断力・表現力」という3つの言葉が叫ばれています。しかし「算数科」ではこの中の「判断力」という言葉をあまり使いません。算数科で大切にしている「考える力」は「思考力」で全て言い切られているからでしょう。算数科の「思考」の中には「判断」も入っているのであえて別にしない,ということもあるようです。
しかしこれからの算数科では,思考力の中の「判断力」ということをクローズアップするる研究手法もありなのかもしれません。具体的には,1人学びではありえない,集団学習の中で生まれた「多様な発想」を自分の観点で決める・選ぶことと言えるでしょうか。そう考えるとすでにそのような研究はたくさんあるような気もしてきました。
最後に「一歩を踏み出す意欲」というのは,いつの時代も大切にされなければならないことでしょう。「数学的な考え方の具体化」の著者片桐先生は,「数学的な態度」という言葉を用いて,考えるを進めるときの「反射神経」のようなものだと述べられていました。その力をのばすことは,これまでもそしてこれからも算数教育では忘れてはならないでしょう。