某附属研究会2本目は,2年生の「三角形と四角形」です。前時に「三角形」と「四角形」の言葉や約束を学習した上で,8つの図形の「仲間分け」をする課題でした。よくある「仲間分け」の授業ですが,子どもたちの本当に「素直」な意見が聞けて面白かったのです。
示されていた8つの図形のうち,三角形2つと四角形2つに関しては問題なく仲間分けされました。おそらく前時は,動物を囲むなどして構成した図形から定義されていたのだと思われます。
次に右の2つの図形が「どちらにも入らない」としてあっさりまとめられました。理由を聞いてみると,「あは,上が丸いから角になっていない。」「うは線が切れて角が切れているからだめ」というのです。どちらも「角」の話になっています。本当は「直線」「閉じる」という言葉が出てきてほしいところでしょうが声の大きい児童の声は角に目をつけたものでした。この段階ではこれで特に問題は感じられません。
ここから子どもたちの「ミスコンセプション」が出てきます。いは「鼓」のような形です。直線にになっていないので当然四角形には含まれないはずです。ところが半数近くの子どもたちは自信満々に「四角形だ。」というのです。理由は,「ちゃんと角が4つあるから」というのです。これが子ども独特の「とらえ方」です。2つのミスコンセプションがあります。一つは四角形の定義に「角」は出てきません。ところが名称が「四角形」なので,子どもからは,
「四角形は,4つの角のある形」
という説明が何度も登場するのです。いわゆる「外延的理解」と「内包的理解」の問題と言えるでしょう。
もう一つは,「角」自体を「とがっている形」ととらえていることです。いの角は「頂点」が見える上に「とがっている」ので角だと認識するのです。子どもらしいとらえ方で,これも「外延的理解」になっています。
さらに面白いのは,きは正方形に近いのですが,一つの角が丸くなっています。丸いものは角とは認めません。ところが角と認めないために,「この図形には角が3つあるから三角形だ。」というのです。私はこのようなミスコンセプションは初めて見ました。それも結構な人数がそう思っているのです。きを三角形だと考えるのは大人では想像もつかないでしょう。
授業はその後,教科書で定義を確認するなどして,強引に「直線」「囲む」などの方に持って行きました。その途中でも,
「直線じゃないとだめなら,これもまっすぐじゃないからだめ。」
と「お」の一般四角形の上の辺が「斜め」になっていることを指摘する児童まで出てきました。
最後に,三角形か四角形が「微妙」な曲がりをしている図形が出てきました。子どもたちは「曲がってるよ。」というので確かめさせるのですが,直線がどうかを確かめるので,大人であれば左のように定規を当てて確かめると思うのですが,子どもたちは点と点をつないで確かめるのです。これも私にとっては意外でした。
この1時間に,たくさんの子どもたちの素直な意見(大人から見ればそれは「ミスコンセプション」)が聞かれました。見ている方は気が楽ですが,授業者にとっては冷や汗ものだったでしょう。翻って,このような「ミスコンセプション」はどの教室でも起こっているのだけれど,この日の子どもたちのように「表出」してくれないので,埋没していき,分かっている児童の発言だけで何事もなく進んでいくように見えているのが現実なのかもしれません。
授業のあり方について改めて考えさせられた場面で,とても参考になりました。素直な子どもたちには本当に感謝したいと思いました。



「四角形は,4つの角のある形」
という説明が何度も登場するのです。いわゆる「外延的理解」と「内包的理解」の問題と言えるでしょう。
もう一つは,「角」自体を「とがっている形」ととらえていることです。いの角は「頂点」が見える上に「とがっている」ので角だと認識するのです。子どもらしいとらえ方で,これも「外延的理解」になっています。
さらに面白いのは,きは正方形に近いのですが,一つの角が丸くなっています。丸いものは角とは認めません。ところが角と認めないために,「この図形には角が3つあるから三角形だ。」というのです。私はこのようなミスコンセプションは初めて見ました。それも結構な人数がそう思っているのです。きを三角形だと考えるのは大人では想像もつかないでしょう。
授業はその後,教科書で定義を確認するなどして,強引に「直線」「囲む」などの方に持って行きました。その途中でも,
「直線じゃないとだめなら,これもまっすぐじゃないからだめ。」
と「お」の一般四角形の上の辺が「斜め」になっていることを指摘する児童まで出てきました。

この1時間に,たくさんの子どもたちの素直な意見(大人から見ればそれは「ミスコンセプション」)が聞かれました。見ている方は気が楽ですが,授業者にとっては冷や汗ものだったでしょう。翻って,このような「ミスコンセプション」はどの教室でも起こっているのだけれど,この日の子どもたちのように「表出」してくれないので,埋没していき,分かっている児童の発言だけで何事もなく進んでいくように見えているのが現実なのかもしれません。
授業のあり方について改めて考えさせられた場面で,とても参考になりました。素直な子どもたちには本当に感謝したいと思いました。