先週の土曜日に,某附属小学校の研究会に参加してきました。今年度この学校に行くのは3回目です。いつもはバスで行くのですが,今回はすぐに帰らなければならない所用があったため,自家用車で向かいました。2時間弱で到着しました。
1本目の授業は,5年生の「割合」です。場面は「準備運動」と称する復習の時間を除くと,導入が終わった後の次の時間です。私はこの時間の授業を見るのは初めてです。この時期「割合」の研究授業はよく行われますが,小学校最難関時間と言われる「割合導入」か一通り学習した後の「活用」授業が多いものです。直近の研究会もそうでした。
倍関係による数値を比べることで状況判断することを知った後の第2時は,一般的には「第1用法」の定着をはかることが目的となるはずです。(私の授業の5時間目http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/40236658.htmlにあたるでしょう。割合のイメージ定着のために私は4時間かけている。)
「運動クラブは文化クラブの何倍でしょう。」
に対して,電子黒板に左のような線分図が出てきて判断させています。その瞬間,
「えっ。」
と思ったのですが,ものすごくテンポのよい授業で,次の活動にどんどん進んでいってしまいます。
後の研究会で指摘させていただいたのですが,この線分図は「全体と部分」を著すときの1本の線分図になっています。この問題は,全く別の違うもの同士の比較になっています。1本の数直線にしてしまうと,「運動部125人」の中に「文化部75人」がいることになります。
正しい線分図は,右のように2本使うものでしょう。このことが直接影響したとは思えませんが,授業の最後に子どもたちから,
「もとにする量の中に比べる量が入っていないといけないから。」
という言葉が出てきたのですが,これは当てはまらない場合もあるはずです。
授業者曰く,クラスの中に来,もうどんどん学習が進んでいる児童と,全く白紙の児童がいて,その2極をどうするかが授業の課題,だと述べられていました。これはどこの学級でもそうでしょうし,このクラスは特に顕著なのかもしれません。しかし私は,子どもたちのこの様子を見ていて,「よく分かっている」と思われている児童の中にも,本当は本質が分かっていなくて,処理だけができる児童がいっぱいいるのではないか,ということを感じました。表面的に見るほど,2極は開いていないのではないかと思うのです。
その後,電子黒板上に次々と「線分図」が登場し,割合を考えていく「練習」が行われました。この時間は第1用法の定着が大切なのでやっていくことは当然でしょうが,やはり「立ち止まり」が必要な場面は見られました。例えば2つの部分の量が分かっているときの一方の割合を求める問題で,式が逆になることを発表した児童がいました。どの学級でも起こることではないでしょうか。しかしこの場面も,あっさりと訂正されてどんどん進んでいくのです。
私が興味を持ったのは次の活動です。別のクラブ活動の人数が示されていますが,2カ所空欄になっています。この空欄を,「どこかの人数」と「どこかの割合」を1つずつ教えてもらって見つける,という活動です。授業を見ていて,
「何が分かったら求められるんだろうか。」
をずっと考え,研究会で子どもたちがどんなことを聞きに来たのかを質問させてもらいました。
私が思いついたのは左のアイウエのような4つです。(ほかにもあると思います。)しかしこれらが分かっても,アエであれば「第2用法」が,イウであれば「第3用法」を用いなければ解決できないはずです。
割合を導入した直後の授業で,3つの用法が混在する場面(この日の展開では,元にする量があちこちへ動く場面も設定されていた)を作るというのは,明らかに行き過ぎで,これではついてこられない児童がほとんどになるのが実際のところではないでしょうか。申し訳ないのですが,研究会ではそのことを指摘させていただきました。
難しい内容を研究授業でやると,「附属小学校だから」という色眼鏡で見られることがあります。私はそうは思っていません。それよりも,「先取り学習」の児童のとらえ方の方を見直すべきではないでしょうか。割合のイメージは,そんなに簡単なものではありません。せっかく存在する「分かっている者」と「分かりたい者」を生かす「言語活動」(この言葉が古く思えてくるのはおかしい感覚でしょう。)をどう仕組むかという授業構成(デザインという言葉は使いたくない)を考えたいものです。
テンポがよく気持ちのよい授業をされる先生http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/40176940.htmlと先生と息がぴったりの子どもたちの集団に感謝したいと思います。
1本目の授業は,5年生の「割合」です。場面は「準備運動」と称する復習の時間を除くと,導入が終わった後の次の時間です。私はこの時間の授業を見るのは初めてです。この時期「割合」の研究授業はよく行われますが,小学校最難関時間と言われる「割合導入」か一通り学習した後の「活用」授業が多いものです。直近の研究会もそうでした。
倍関係による数値を比べることで状況判断することを知った後の第2時は,一般的には「第1用法」の定着をはかることが目的となるはずです。(私の授業の5時間目http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/40236658.htmlにあたるでしょう。割合のイメージ定着のために私は4時間かけている。)
この日の授業も教科書と同様の素材(啓林館)で入りました。5年生の運動クラブと文化クラブの人数を示して「いろいろな割合」を考えていく活動から入っていきました。式を考えていくためのてだてとして「線分図」を重点的に使っていました。その中で,

に対して,電子黒板に左のような線分図が出てきて判断させています。その瞬間,
「えっ。」
と思ったのですが,ものすごくテンポのよい授業で,次の活動にどんどん進んでいってしまいます。
後の研究会で指摘させていただいたのですが,この線分図は「全体と部分」を著すときの1本の線分図になっています。この問題は,全く別の違うもの同士の比較になっています。1本の数直線にしてしまうと,「運動部125人」の中に「文化部75人」がいることになります。

「もとにする量の中に比べる量が入っていないといけないから。」
という言葉が出てきたのですが,これは当てはまらない場合もあるはずです。
授業者曰く,クラスの中に来,もうどんどん学習が進んでいる児童と,全く白紙の児童がいて,その2極をどうするかが授業の課題,だと述べられていました。これはどこの学級でもそうでしょうし,このクラスは特に顕著なのかもしれません。しかし私は,子どもたちのこの様子を見ていて,「よく分かっている」と思われている児童の中にも,本当は本質が分かっていなくて,処理だけができる児童がいっぱいいるのではないか,ということを感じました。表面的に見るほど,2極は開いていないのではないかと思うのです。
その後,電子黒板上に次々と「線分図」が登場し,割合を考えていく「練習」が行われました。この時間は第1用法の定着が大切なのでやっていくことは当然でしょうが,やはり「立ち止まり」が必要な場面は見られました。例えば2つの部分の量が分かっているときの一方の割合を求める問題で,式が逆になることを発表した児童がいました。どの学級でも起こることではないでしょうか。しかしこの場面も,あっさりと訂正されてどんどん進んでいくのです。

「何が分かったら求められるんだろうか。」
をずっと考え,研究会で子どもたちがどんなことを聞きに来たのかを質問させてもらいました。
私が思いついたのは左のアイウエのような4つです。(ほかにもあると思います。)しかしこれらが分かっても,アエであれば「第2用法」が,イウであれば「第3用法」を用いなければ解決できないはずです。
割合を導入した直後の授業で,3つの用法が混在する場面(この日の展開では,元にする量があちこちへ動く場面も設定されていた)を作るというのは,明らかに行き過ぎで,これではついてこられない児童がほとんどになるのが実際のところではないでしょうか。申し訳ないのですが,研究会ではそのことを指摘させていただきました。
難しい内容を研究授業でやると,「附属小学校だから」という色眼鏡で見られることがあります。私はそうは思っていません。それよりも,「先取り学習」の児童のとらえ方の方を見直すべきではないでしょうか。割合のイメージは,そんなに簡単なものではありません。せっかく存在する「分かっている者」と「分かりたい者」を生かす「言語活動」(この言葉が古く思えてくるのはおかしい感覚でしょう。)をどう仕組むかという授業構成(デザインという言葉は使いたくない)を考えたいものです。
テンポがよく気持ちのよい授業をされる先生http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/40176940.htmlと先生と息がぴったりの子どもたちの集団に感謝したいと思います。