私のクラスではない教育実習生が,算数で評価授業をするというので,空き時間を利用して参観させてもらいました。私は一切話をしていないので,担任の先生(体育が専門)の指導だけですので,「一般的な授業」ということになるでしょう。
イメージ 1 4年生の「式と計算」で,「式の読み」をする場面です。おはじきが「1+3+5+7+5+3+1」に並んでいます。このおはじきの「数え方」を読み取っていこうとする問題です。
 「4×4+3×3」(担任の先生が考えたという設定)という式が示され,その意味を表す「囲み方」も先生の方から示し,
「こうやって説明します。これが例です。」
と進みました。その上で,「別の4×4+3×3」を探す活動に入りました。「無理矢理感」という言葉も出てきていましたが,子どもたちはいろんな囲み方を考えていました。
イメージ 2 その中で,右のようなものが奨励されていきます。この形は「対称性」がありますので美しく感じます。
 その後,次々と式が示され,子どもたちかいろいろと考え,対称性を持った囲み方が登場してきました。教育実習生の授業としては,及第点でよく頑張っていたと言えるでしょう。おそらく多くの教室で,基本的にはこれと同じような展開が繰り広げられていると思われます。

 ここからはこの授業とは無関係なこととして綴りたいと思います。最近の教科書でよく見られるのが,架空の人物を登場させ,その人物が何か式を書いたり,考え方を絵に描いたりしています。それを見て,
「この人達の考えを説明しましょう。」
と投げかける展開です。
 どうして,架空の人物なのでしょうか。「同じ教室に座っているあの子」の考えなら,もっと子どもたちの動きは鋭くなるのではないでしょうか。なのにそうしている理由の一つは,
「説明に時間をかけたいため。」
でしょう。「学テ」が行われだして,「説明」が必要以上にクローズアップされているような気がします。確かに説明は大切です。しかし,どこの誰かも分からない人物に説明したり,その人の考えを読み取ったりすることに本気になれるでしょうか。
 やっぱりこのような授業は,まず「一人ひとりのアイデア」を子どもから引きだし,それを追究していくように,「思考と表現」が一体化した授業にすべきだと思います。