3年ぶりに「日数教」に行ってきました。論文発表(実践研究)が中心の会ですが,今回は「ビデオ授業研究会」が計画されていました。過去にもそのような企画があったようです。私は初めての経験になるので期待と不安がありながら参加しました。
授業はあらかじめ行われています。それを録画し,「30分間に編集」したものが見せられました。私は,「1分でも授業をみていない場合は発言しない。」http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/27662958.htmlという考えを持っているのでやや戸惑いましたが,プロの編集なので「まあいいか。」と思いながら見せていただきました。30分間はフルにしっかり見ています。
1本目は3年生の「かけ算の筆算」です。前時に「31×20」のような「何十」をかける計算をしっかりやっているようです。それを受けて「31×23」が本時の問題です。
前時との違いをしっかり確認した後,「自力解決」し,練り上げで左のような「図」が出てきて考え方を説明していきます。それを「式」で説明すると下のようなものになります。これはいわゆる「分配法則」になっているので,筆算そのものの考え方でもあります。図・式と表現は違いますが,考え方としてはこの方法だけが表舞台に出たという結果になりました。
私はこの場面を2つの側面でとらえています。一つ目は「筆算とは無関係に計算方法を楽しめる児童」をねらう授業です。http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/38495874.htmlそのため数字も「25×24」と,特殊なものになっています。この違いは「どんな子どもを育てたいか。」による違いです。その点を質問すると,「筆算ができる児童を育てたい。」と明確な回答が返ってきたので,私の指導とは大きな隔たりがあるのは当然です。
一方,筆算をめざす上でも私とは違いがあります。私はこの「分配法則」は計算の原理だと思いますが,「技能」ととらえた場合はそれ以前の「かけられる数」も分解した考え方を,「低位な児童」のためにも押さえる必要があると思っています。
そのためには,右のような「図」がどうしても必要だと思います。また子どもからも出てこないのは「集約」が強いからかもしれません。このような「部分・部分積」は,計算のきまりの点からも一部見せておきたいような気がしました。
公立校の先生で,「筆算ができる児童」を育てようとするのは多くの先生方に共感されるでしょう。その点をぶれずに追求された授業で,お手本になる授業と見ることができるでしょう。画面に映った子どもたちも元気いっぱいで,清々しい印象を受けました。ありがとうございました。
授業はあらかじめ行われています。それを録画し,「30分間に編集」したものが見せられました。私は,「1分でも授業をみていない場合は発言しない。」http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/27662958.htmlという考えを持っているのでやや戸惑いましたが,プロの編集なので「まあいいか。」と思いながら見せていただきました。30分間はフルにしっかり見ています。
1本目は3年生の「かけ算の筆算」です。前時に「31×20」のような「何十」をかける計算をしっかりやっているようです。それを受けて「31×23」が本時の問題です。

私はこの場面を2つの側面でとらえています。一つ目は「筆算とは無関係に計算方法を楽しめる児童」をねらう授業です。http://blogs.yahoo.co.jp/tamusi22/38495874.htmlそのため数字も「25×24」と,特殊なものになっています。この違いは「どんな子どもを育てたいか。」による違いです。その点を質問すると,「筆算ができる児童を育てたい。」と明確な回答が返ってきたので,私の指導とは大きな隔たりがあるのは当然です。
一方,筆算をめざす上でも私とは違いがあります。私はこの「分配法則」は計算の原理だと思いますが,「技能」ととらえた場合はそれ以前の「かけられる数」も分解した考え方を,「低位な児童」のためにも押さえる必要があると思っています。

公立校の先生で,「筆算ができる児童」を育てようとするのは多くの先生方に共感されるでしょう。その点をぶれずに追求された授業で,お手本になる授業と見ることができるでしょう。画面に映った子どもたちも元気いっぱいで,清々しい印象を受けました。ありがとうございました。