「集合の考え」を使った文章題です。啓林館の教科書にはちゃんと載せられている問題です。この問題の「理解」のさせ方が難しかったのです。
イメージ 1 いつもと同じように問題は視写します。最初の2行目までを書いたとき,
「みんななら,昼食は何がいいかな。」
と聞きます。「うどん。」などと適当な答えが返ってくるので,そのとき場面の条件である「おにぎりとパン」の配り方のきまりを見せます。「おにぎりだけなら2個」「パンだけなら2個」「両方手をあげたら1個ずつ」というルールです。この確認が終わった後,
「みんなだったらどっちがいいかな。手をあげてみてね。」
と言って,実際にやらせてみました。ところが,両方に手をあげる者が一人もおらず,全員がどちらか一方を選んでいるのです。「まあ,そんなこともあるだろう。」と思いながら,場面確認を終え,問題文を最後まで板書・視写してしまいました。
 もちろんこのままではできません。そこで,電子黒板に,
「おにぎりに手を挙げた人18人,パンに手を挙げた人20人,両方に手を挙げた人8人」
という条件を映し出し,
「ではやってみなさい。」
と突き放したのです。私としては,細心の注意を払った「問題理解」だと思っていました。
イメージ 2 自力解決にはいると,多くの児童が「44個と48個」という答えになっていました。5人程度は「28個と32個」でした。どうやら,「重なり」の意味が見えていないようなのです。その原因は,クラスで手を挙げたときに,そんな児童がいなかったことが大きな影響を与えていたのです。練り上げの流れは,この多くの考えが誤りであることに気づいていける方向にもっていかなくてはなりません。そこで,
「できた人は,少し友達と話をしてみよう。」
とやったのです。ここで数人が正しい意見に流れると考えたのです。ところが逆で,数人いた正解者がまちがった方向に行ってしまったのです。「よくできる」と思われている児童がまちがっていたことも影響しているようです。
イメージ 3 練り上げに入っても,誤りに気づく児童が出てきません。やむなく,電子黒板の「おにぎりだけに手を挙げた…」という部分を見せながら,
「この言葉を見て,おかしなことに気づかないかな。」
という最悪の発問で進めざるを得なくなったのです。
 こうすれば当然,何人かがおかしさに気づきだし,それを全体に広げていく活動に入るのですが,どうも「重い空気」は払拭できません。やはり「指示」で動いていることが影響しているようです。また全体に広げるのも簡単にはいきません。よく聞いていると,
「パンに手を挙げた人の中には両方手を挙げた人も入ってるんだよ。」
というタイプの説明をする児童のものは伝わるのですが,
「18×2+8の+じゃなくて,-にしたらいいんだよ。」
という方法論の方に行った説明は全く伝わりません。そのアイデアはとても尊いのですが,理解できていない児童に対して通用することにはなり得ないのです。その結果,分かった児童の説明を聞いて,何となく分かるようになった,という児童がほとんどになってしまいました。
イメージ 4 その後は,教科書を使って練習していき,何とかできるようにはなっていきましたが,子どもたちの心の中にすっと入り込めた授業とはほど遠い結果となってしまいました。反省のたくさんある授業で,2学期のレギュラー授業の最後がこれでは,と落ち込んでしまいました。次時からの「投げ込み」で挽回しなければなりません。