前時に少し考えた,「五玉の繰り上がり」の計算について考えます。子どもたちに発表させると,
イメージ 1「五玉を入れて一玉を1つのける」
といいました。多くの児童がそれで納得しています。しかし一人の児童が,
「どうして5を入れるのかが分からない。」
と言います。その子は決してできない子ではありません。またそれで計算ができていることも分かっています。ところが,キツネに包まれたような表情なのです。
 足し算は「必然の行為」です。これまで何度もやってきた「4を足す」という行為は常に必然として行われてきました。ところがここに来て「急に5を足した?どうして5が出てくるの?」となってしまったようです。このようなタイプの子どもは時々見受けられます。「5を足して1を引く」というのは,アイデアです。ひらめいた者だけに見えるのです。
 数学の証明も「ひらめき」です。順々に考えて常に流れに乗ってできるものではありません。「どうして補助線を引くの?」というのは,何もないところからその発想が「ひらめく」からできる行為で,それと全く同じ思考状況になっていると思われます。
イメージ 2 その児童は,十分に納得しないまま,「方法」は受け入れられました。しかしまだしこりが残っているようです。そんな状態のまま,いくつか練習をしたあと次の問題に進みました。
イメージ 3 同じ+4ですが,今度は五玉が入っている状態になっています。またまた入れられない状況になりました。もちろん何人かの児童は見抜いています。ノートに書かせ,それを「展覧」することでアイデアを広げます。最初の児童は,
「五玉をのける。一玉をのける。そして左の一玉を一つ入れる。」
と言いました。みんなに伝わるわけではありません。次の児童が,
「6をのけて10を入れたらいい。」
と言いました。何人かは理解が進みましたが,まだ不十分です。そこで少人数学習にしました。その中で,始めから納得していない児童の所に行くと,
「何で10を入れるのかが分からない。入れすぎじゃないの。」
と言いました。それを聞き,
「そうだねえ。いくつ入れ過ぎちゃってるかな。」
「4入れるから6入れすぎて…,あっ,そういうことか。」
と,自分でイメージができた瞬間が見られました。「入れすぎ」という言葉が一つのヒントになったようです。授業ではその子が,
「4を足すけど足せないので,10を足します。でも本当は4だから6足しすぎてるので6を引きます。」
と見事に説明して,みんなに納得されました。