高知研修3日目は,高知市内から110kmほど離れた「幡多」の地にやってきました。ここでも毎年熱い議論が繰り広げられます。この日1本目の授業は2年生の「かけ算導入」です。この7月だけで3回目に見る場面です。
導入は,私もよくやる「フラッシュカード」を一瞬だけ見せて,総数を問う問題です。最初に見せたものは3個の束が3つ見える図です。子どもたちは何とか数を見つけようとがんばっています。この時今日の問題として,
「いくつあるのかな。」
と板書しました。しかしこの板書が後の研究会で指摘されたのです。子どもたちからは「3つずつ3つ」「1つが3つで,2つで6つ,3つで9つ」など,かけ算の仕組みに近い表現が出てきましたが,ここでは深く取り上げませんでした。
その後「4,2,3の塊が見える図」「ひとかたまりの9」を見せて同様に見つけさせていきました。ひとまとまりの9を見て「周りの6と中の3」や「ひとかたまりの9だけで9+0」などはとても素晴らしい反応です。しかしここで疑問を感じました。この図の提示順は,普通に考えれば全く逆になると思うのです。塊でとらえられないもの,塊だけれど数の違うもの,そして同じ数ずつの塊,と進めるのが普通でしょう。しかし授業者は,
「最初にひとかたまりの9を見せても表現は生まれてこない。」
という発想で展開したということです。なるほどそれもありか,と思わされました。
最後の5つの塊が4つあるものを見せました。それを表現させて終了のはずだったのですが,授業者は欲張って,「5×10の長方形状に並んだアレー図」を見せて考えさせたところまで進めて終了しました。これに対し参観者から,
「蛇足だ。あのようなきれいに並んだものを見せると塊の意識が薄れる。もう一つ,画竜点睛という言葉がある。あんなアレー図ではなく,「塊」という言葉をきちんと教えることが出来ていない。」
と厳しい発言がありました。確かに子どもの「塊」意識は薄いように感じました。その周辺の言葉はいろいろ出てくるのですが。そしてそうなった理由として,
「課題が『いくつありますか。』だからだめなんだ。3つが3つと同じ言葉になってしまう。課題は『なんこありますか』だ。それなら,3個が3つ,と1つ分といくつ分を区別して話ができる。今日はそこがあやふやなまま進んだのが原因だ。」
なんと恐ろしいことか。「いくつ」と「何個」でこれだけ結果が変わるのです。これが算数教育の世界なんだと改めて感じずにはいられませんでした。そんなことを教えてくださった先生方と,最初の小さな声でしか話せなかった16名の子どもたちの成長がわずか45分で感じ取れるように思えた素晴らしい子どもたちに感謝したいと思います。

にほんブログ村 教育ブログ 算数・数学科教育へ(文字をクリック)

「いくつあるのかな。」
と板書しました。しかしこの板書が後の研究会で指摘されたのです。子どもたちからは「3つずつ3つ」「1つが3つで,2つで6つ,3つで9つ」など,かけ算の仕組みに近い表現が出てきましたが,ここでは深く取り上げませんでした。

「最初にひとかたまりの9を見せても表現は生まれてこない。」
という発想で展開したということです。なるほどそれもありか,と思わされました。

「蛇足だ。あのようなきれいに並んだものを見せると塊の意識が薄れる。もう一つ,画竜点睛という言葉がある。あんなアレー図ではなく,「塊」という言葉をきちんと教えることが出来ていない。」
と厳しい発言がありました。確かに子どもの「塊」意識は薄いように感じました。その周辺の言葉はいろいろ出てくるのですが。そしてそうなった理由として,
「課題が『いくつありますか。』だからだめなんだ。3つが3つと同じ言葉になってしまう。課題は『なんこありますか』だ。それなら,3個が3つ,と1つ分といくつ分を区別して話ができる。今日はそこがあやふやなまま進んだのが原因だ。」
なんと恐ろしいことか。「いくつ」と「何個」でこれだけ結果が変わるのです。これが算数教育の世界なんだと改めて感じずにはいられませんでした。そんなことを教えてくださった先生方と,最初の小さな声でしか話せなかった16名の子どもたちの成長がわずか45分で感じ取れるように思えた素晴らしい子どもたちに感謝したいと思います。

にほんブログ村 教育ブログ 算数・数学科教育へ(文字をクリック)