生物だから当然① | 酒とご飯と子どもと漫画~ときどき数学~

酒とご飯と子どもと漫画~ときどき数学~

好きだったり、感動したりした、私の人生に必要なもの達です。

(ブログタイトル関係ない内容になりそうですが、シリーズ化しそうなので番号をつけておく)


私は数学が好きです。研究者ではなく単なる受験数学問題好きなだけですが『このような決まりがあるのでこういう話が成り立ちます』にとても納得感を持ちます。数学的帰納法を習った時の感動を今でも思い出します。


だから自分の感情、家族の行動、世の話題などについても『結局この決まりが前提だな』と脳内会議するのが割と日常です。この個人理論、披露する場がなく検証もできない。なので数年後、理論の前提が変わっていないか自分で検証するために書いておこうと思いました。


【〝育児を手伝うっていうな”の話】

テレビなどでもよく見かけます。2人の子供でしょう?ってやつ。お気持ちはものすごくよく理解できます。その上でって話。これ『人間って哺乳類だ』と思うと、むしろうちのパパはよくやってるなと思います。よく『協力』してくれていると。


パッと見、哺乳類で子育てするオスなんていないんですよね。オスは多分、自分の遺伝子を残すことだけを考えてる。そのためにナワバリ争いをして、メスに選んでもらえるようなその種それぞれの努力をして、毎日を過ごしている。


そしてメスは必死に1人であるいは集団を作って子供を育てる。巣を作って、餌をとって、知恵と愛情を与えて子供を独り立ちさせる。それを何回もやる。もうすごいな!


感覚的にほんの数十年前まで人間もこんな感じだったと思う。社会の構造が変わって、夫婦で子育てしようとなってるけど、遺伝子が数十年でそれに対応する進化をするとは思えない。

そう考えるとパパたちがふっと言ってしまう『手伝うよ』は仕方ないと思う。脳でわかってても本能的はついて来れないんだろう。そして本来、育児は女性が回せちゃうって考えると世のママたちが『なんでそんなことにも気づかないの?』とパパたちにイラっとするのもとても理解できます。


人間は生物の一つ。しかもあの哺乳類。

そりゃ一緒に子育てするメンタルに本質的にはならないわ。


うちの場合、ラッキーなことにオスに協力する気があるという。世間的にはすごく子育てしてるオスだとも思う。けれどやはり子育ては私がやってるの自覚してる。パパはわかりやすいところをつまんでいるだけ。パパが縄張りを守ってくれていることに感謝しながら、ずっとずっと私が責任者だと思って子育てに望んでいる。

だから『明日は俺が旗振りに行くよ』と言ってたとしても、私はスタンバっておく。『お迎えは俺が行くよ』と言っても私はスタンバっておく。それで『ごめん、やっぱりいけない』と言われても実は当てにしてないから腹も立たない。

『いいの?ありがとう!』のターンが面倒なので、なんなら最初から行く気を見せないでほしいくらいです。