法事の際、和尚さんのお経を聞く機会があります。お念仏は宗派によって違うでしょうし、同じ宗派でも唱える人が違えば印象が違って聞こえます。


お経は聞いていて眠くなるもの、と思ってましたし、今も正直眠くなりますが、ちょっと意識して聞いていると、声の張りとか、抑揚や節回しに和尚様の個性を感じるようになって、お悔やみ中に不謹慎かもしれませんが、上手いものだなぁ、と感心したりもします。


お経の時間を退屈せずに乗り切る方法、とでも言い換えれますが、《真面目にお経を聞く》は結構(僕にとって)有効です。今日は調子いいな、とか、木魚のリズムがここだけ裏だな、とか。音楽を聴くのとは違いますが、歌ってるようにも聞こえるし、お念仏は話術の芸だと思えば、落語と通じるものもある。言ってる内容は分かんなくても、型があることは聞いてると分かってきます。


序盤のお経があって、次の段に入って、次に故人のプロフィールを語って、お焼香中のお経があって、お念仏に返って、最後に挨拶と法話を、、、と、これを毎回毎回、キチンと完成された形でお勤めされる。お通夜、お葬式と、人間の終焉に立ち会うという場での、やり直しの効かない本番一発勝負。檀家や親族の期待を背負った大変なお勤めだなぁと思います。



聞き慣れている、ということが大きいですが、僕は地元の和尚様のお経が一番の贔屓(ファン)です。声量はないのですが、語りの口調が優しくて柔らかく、聞いていて耳に大変心地良いです。


和尚様の息子さんもお坊様で、若々しく溌剌としたお経を唱えてくれる。こちらも良いのですが、若和尚様の上手さはまだ力技というか、どうだ!やぁお見事!って印象。比べて和尚様のお経の方は淡々と語る分、力強さはないけど、なんとも言えぬ味わいがあるのですね。聞いててシミジミとしちゃう。


勝手に僕は、和尚様は金原亭馬生のよう、若和尚様は古今亭志ん朝だと思って聞いています。若和尚様が志ん朝は言い過ぎかな。林家たい平か?とにかく元気で明るい印象。和尚様の馬生も正確にはちょっと印象が違うけど、でも和尚様と若和尚様は親子なので、馬生と志ん朝と思って比べ聞くと、僕的になんとなく収まりがいいのです。


和尚様は元々学校の先生で、80近いのに痩身で姿勢が良くシュッとされてるから、見ていて佇まいに品がある。かたや若和尚様は小柄ながら胸板の厚いガッシリとした体格で、底抜けに明るい性格。どちらも良い男です。


何年前かのお祭りの時、ビール片手の和尚様と膝を突き合わせて喋る機会があって、僕は和尚様のお経が好きですよ、と、上に書いたようなことを酒の席でお伝えしたら、和尚様は笑って《そんな風に聞いてる人がいるなら、心してやらなければいけませんね》と仰ってました。



昨夜は僕の叔父のお通夜があって、今日の午後から葬儀です。束の間の休息中これを書いてます。今週末は叔父を弔ってます。



余談。


一連の和尚様の所作の中で、僕のお気に入りが、故人に御供物を渡す所作。お念仏で言うと、


ノウマクサラヴァ

タタギャター

バローキテー

オン

サンバラー

サンバラー

ウン


を繰り返すところ。和尚様の舞うような指の動きがとても好きです。



余談2。


昔、おふくろの実家の法事に出た時、違うお寺のお経を聞く機会があったのですが、そちらのお経はまんま音楽。お経にメロディがあるし、木魚や鐘は打楽器として賑々しく、言っちゃなんですがマァ楽しそうに演奏されてた。今でもその時のお経のメロディが頭に残ってます。宗派が違うとこうも違うか、と驚きました。





マシス