ネットニュースの記事でチラッと見かけた、坂本龍一の訃報に対しての報道に関する話です。友人もSNSで呟いていたので、思ったことを書きます。


要は、いくつかのニュース番組にて教授の逝去を取り上げた際に「ライディーン」がやたら使われた、ってことらしいです。で、それを観て《「ライディーン」は高橋幸宏作曲だ!》と憤慨された方がいたそうで。YMOなら「ライディーン」でなく坂本龍一作曲の「テクノポリス」をせめて使うべきだろう、という声があがったとか、ライディーンが使われたことの是が非で論争になっている、という記事でした。



僕もFacebookで実際に《坂本龍一が!残念です。戦場のメリークリスマス、ラスト・エンペラー、YMOといえばライディーンだし...》と知り合いが書き込みしてるのを読みましたが、そこで《ライディーンは教授の曲じゃないだろ》と目くじら立てて指摘するのは、僕としてはちょっと違うと思いました。


何が重要かってことでは、《残念です!》の言葉に重きが置かれているってことこそ大事で、教授が亡くなって悼む心こそあれば、YMO=ライディーンって考えている人に対して《そこはテクノポリスだろ!》なんて声を荒らげなくても良いと、個人的には思うのです。そこで《わかってないやつは教授を語るな》って怒っちゃうのは、純粋な哀悼の意までも地に落としてしまう行為だと思う。


何より、そんな論争をされてるのを天国の坂本龍一が見たら、どっちの態度に眉をひそめることか。それを想像すれば、小銭稼ぎライターの煽りにまんまと乗ることなく、寛容な心でいる一択でしょう。追悼番組でライディーンが流れたことも、《YMOといえばライディーン》と書いた人のことも、教授は決して責めることはしないと思いますよ。



「Rain」が好き。どこがいいと説明できません。



マシス