パスティーシュとは《模倣》の意の言葉のようですが、近年では二次創作の通称としても使われているようです。
調べると、一口にパスティーシュ、と言っても、パロディ(風刺、批判が込められている)、エピゴーネン(猿真似、パクり)、オマージュ(元作品に敬意、元ネタのエッセンスを血肉としている)と、内訳はいろいろあるようで。僕にはパロディ、エピゴーネン、オマージュの三つの方が、言葉としてはパスティーシュより馴染みがあります。
特にエピゴーネンって言葉は、悪い意味でよく聞きますね。あいつはしょせん誰それのエピゴーネンだ、みたいに。小説でもマンガでも《これ、○○じゃん》って思うのはありますし、誰とは言わないけど音楽でもあります。
他の優れた作品から影響を受ける、ってのはごく自然なことで、一概に似てることが悪というのではないだろう、とは思いたい。そこにはやはりオマージュ精神があるかないか、ということです。影響をちゃんと自分の血肉として作品に昇華し、作品から先人へのリスペクトと独自の新しさを感じさせる、そこまでのものを出せるか。パクりとの違いはそこしかないと思う。
パスティーシュの話を枕にさせてもらいましたが、日曜日に買ってきた本を読み終えた、という話をしたかったのです。大好きな作家、島田荘司の文庫新刊『新しい十五匹のネズミのフライ』(なんてすっとんきょうなタイトルでしょう!)。
パスティーシュ物といえばシャーロック・ホームズ。この本は日本の最高のミステリー作家、島田荘司が書いたホームズ物のパスティーシュ本で、もちろん面白くないわけがない。

表紙絵も最高ですね。僕はホームズのファンなので、余計に贔屓に思っちゃうところもありますが、これ、ホームズ・パロディとして本当によく出来ています。パスティーシュうんぬんを置いても、抜群に面白い読物で、聖典(コナン・ドイルのオリジナル作品をファンはこう呼ぶ)を読んだことのある人には一層楽しめる仕掛けが至るところに施されてます。
ありがちなホームズ物のパスティーシュって、聖典のキャラクターの格好よさをそのまま拝借して、要は、コナン・ドイル亡き今、読むことの永遠に叶わないホームズの新作!といった体裁の内容がマァほとんどで。それは確かにファンが読みたいと願ってやまないホームズ物ではあるのです。
が、シャーロック・ホームズ物の研究者としても名高い島田荘司はやることが一味違う。聖典の弱点(論理的に間違ってる部分)をしっかり指摘して、かつ本当はこうだったんでしょ、と仮説を挙げた形になってる。そこまで重箱の隅をつつかなくても、もうやめてあげてー、と言いたくなるほど、ホームズ物語の矛盾点を理詰めで消していってる。当然それは聖典への愛溢れるゆえの仕事で、決して聖典を馬鹿にしてるわけではないのです。そこは目くじら立ててはいけません(立てる人もいるかも)。
なので、本作のホームズはぶっちゃけあまり格好よくない。そこが難と言えば難。快刀乱麻で謎を解くシャーロック・ホームズの万能感、無敵感が薄れてしまって、ホームズが何かしでかすたびに読者が心配になる(そこは愛嬌ある)。その代わり、ワトソンの描写には聖典よりはるかに突っ込んで書かれていて、サブタイトルの《ワトソンの冒険》の通り、知ではホームズに及ばないまでも、その人間味たっぷりの言動行動で事件に向かうワトソンの姿に魅せられます。
(本書を読み終えて、ふと島田荘司の大作『龍牙亭事件』を思い出しました。あれも御手洗潔がほとんど出てこなくて、いつもワトソン役に徹していた石岡君がメインの物語でしたっけ)
超人なホームズを求めてるファンには本書は違和感あるかもしれませんが、文体は素晴らしくコナン・ドイルの世界を写していて浸れますし、何よりも、タイトルの《新しい十五匹のネズミのフライ》、という不思議な言葉の謎を追ってクライマックスに向かうストーリーには、読み手はドキドキさせらっぱなし。ページを捲る手が止まらないこと間違いなしです。
余談ですが、本書を書店で購入した際、レジで《カバーはお付けしますか?》と聞かれ、《お願いします》と答えると、店員さん3秒ほど間をおいて再び、《ドラえもんでも、いいですか?》と聞いてきました。
ドラえもん?と思って店員さんの手元を見たら、本当にドラえもん柄のカバーで↓思わず《ドラえもんで!》と答えてました

ちなみに、この本↓も連休中に読んだもの。皆川博子の『写楽』。これも文庫新刊です。帯の《幻の長編》に惹かれて衝動買い。

そういえば、島田荘司も謎の絵師《写楽》の正体を追った小説を書いてます。どちらも面白いですよ。
前日記に書いた通り、腰を痛めてまして、朝から晩まで家で音楽を聴きながら本を読んでいます。食料品とか生活品の買い出し以外はおとなしくしてて、腰の養生には良い休みです。だいぶよくなりました。でも、こんなペースで読んでたら本が足りなくなるばかり。また買い出しのついでに本屋に寄らねば。
マシス
蛇足余談追記。エピゴーネンの話。
誰とは言わないと書きましたが、さだまさしの某エッセイのエピソードの一つを、オリジナルソングとして、まるで自分のことのように歌詞にして歌ってる方がいます。全部ではなくて、終盤の泣かせるところの内容が丸パクりなのです。いや、歌にするのは別にいい。歌う前に一言《さだまさしのエッセイからインスパイアされました》とあれば、なかなか素敵な試みをするなと思えたでしょう。それを断らずに、僕のおばあちゃんのエピソードを歌にしました、って歌っちゃうのは、さだまさしファンとしては、すこーし覚めてしまいます。聞けばわかっちゃうのにね。
でも、その歌を聴いて客席で涙する方もいたりして、歌に罪はないのかなーとも思う。感動してる人に水をさすようなことを言うのは野暮なのでしょう。蛇足余談。