《昔は良かった》と、昔を懐かしむことはよくあります。
例えばYouTubeで懐かしい映像を観たりすると、おおーこれこれ、これにはずいぶん楽しませてもらったな、と懐かしく思います。前日記のエルガイムや原田真二もそうですね。
僕がちょっと気になるのが、その手の動画のコメント欄に、
《今はこういう素晴らしい歌手がいない》
とか
《今の歌手にはこんな深い歌は作れない》
とか書き込む人。よく見ます。この歌手は大好き、とか、この歌は最高!だけでいいのに、なぜか一言、今の歌はろくなのがない俺は面白くない、と余計な愚痴を付け加えたがる。
気持ちはわからなくもないのですけど、公の場に書き込まれた異議申し立てってやつは、例外なく野暮です(エンタメ批評は特に)。読んだ人が気分良くなることはひとつもない。
(実際、SNSに異議申し立てばかりを書く人って、一定数存在します。文句と愚痴はある種のエネルギーなのでしょう)
今の特撮番組に文句たらたらで、そのくせ《最近観てる?》と聞かれると《見るわけない、あんな下らないもの》と言い捨てる。
見もしないで下らないってどうしてわかる!
と主人公は憤ってました。ごもっともな話です。
で、この話で、懐古怪人が悪者扱いなのか、というと、そんな簡単なものでもなくて、結局、こういう人たちは、自分が好きだったものが周りからどんどん無くなって淋しいのだ、というオチ。なるほど。淋しがっているのだと思えば、悪態ついている怪人たちにもちょっとは情が入ります。
渋谷陽一が以前《今の音楽を認めず、昔は良かったと宣う頭の固い音楽ファンが大嫌い》との意の発言をしていて、その時もなるほどと思ったものです。僕も出来るなら、新しい現在進行形の音楽でお気に入りを探すことを諦めたくない。今だってご機嫌だ、といつだって言いたい。でも、だからといって懐古怪人にはそれを強要したくないし、昔は良かったという怪人を嫌いとは言えない。だって僕だって懐古趣味な人間なのだから。
例えば、気に入ったミュージシャンが息の長い活動をすれば、新しいミュージシャンを開拓する以前に、お気に入りの活動を追いかけるだけでいっぱいいっぱいになります。時間は有限なので、どんなに素晴らしい音楽が世にあっても、生きてるうちにそのすべてを聴くことは叶わない。なら、新規開拓を活発化する以上に、既存のお気に入りを充実させたくもなるというもの。当然、懐古主義になりますよ。
時代は変わる、と言いつつも、本質的なところは世の中そんなに変わってないだろう、と僕は思ってます。今に限らず昔から《今時の若者は》って苦言を言いたがる人は必ずいましたし、そういう人こそ昔は《今時の若者》だったんじゃない?って思う。いちいち文句言って、今の世の中を嘆いてもしゃーないって気になります。
以前、エスケリータ68の後藤さんとお喋りした時、ここの日記について、マシスの音楽感想はなかなかだと(おそれおおくも)日記の感想を言ってくれて、僕は《好きなものの感想しか書いてないです。お気に入りって少ないので、偏ってますよ》と答えたら後藤さんが、《お気に入りは、、、増やせば良いんです!》と力強く仰られたのがなぜか忘れられない。
今まで分からなかった音楽がお気に入りになる、それって地味にエネルギーがいることです。お気に入りを増やすエネルギーが欲しい。
小雨ふる土曜日です。寒いので長袖シャツを今日は着てます。午後から車検に出した車をとりに外出予定。
