「あらがう」という歌を、ずいぶんしばらく前に作りました。まだ人前で歌ったことはありません。
完成するまでとても時間がかかったので、ようやく出来あがった時は、僕の中でもうぜんぜん新曲な感じがしなくなってました。むしろ宿題からようやく解放されたような気持ちに近かったので、作った後はほったらかしてたのです。
新しく作った歌ってすぐ人前で歌いたくなるものですけど、そんな風に、歌ってない歌は結構ある。大抵は屁でもない歌なので、忘れるままになっています。
ふと先日、久しぶりに「あらがう」を思い出して、確認のように歌ってみたら、時間を置いて客観的になったせいか、作った時の苦労も忘れて、自分の歌じゃないみたい。急に浮上してきた。
(後日、「シジフォス」とタイトル改名)

「シジフォス(あらがう)」
慣れないことを 慣らされている
優しい言葉は 優しくほつれる
さまよう胸に 逆巻く夢を
押しては求めて
引いても求めて、励めど
波に漂う、漂う 、漂う
小舟は 岸辺を 離れてゆく
シジフォス
できないことを わきまえている
明日は明日で そつなく振る舞う
争うことを たしなめて なお
争うことさえ 必要なことと、惑うよ
惑い、抗う、あらがう
漂いながら
流されながら
あらがう 、あらがう
血迷いながら
狼狽えながら
あらがう 、あらがう 、
やるべきことを積み上げてゆく
シジフォス
2010
~2015/03/02 0:52
~2018/01/10 3:37
僕自身は普段、体制や権力に物申すこともなく、大抵は《あらがえない》でいることが多い人間です。
世間に向けて《あんなことを許しちゃダメだ》《おかしいと思うことは声をあげなければダメだ》《その無関心さこそが罪だ》といったアジテートをする人は、お説ごもっともなれど、僕個人としては、往々にしてその言葉の暴力性に辟易させられることが多いです。オラオラ正義だ賛同しろ、って。
事件の犯罪者をネットで言いたい放題叩く様子が、はたから見てとても気持ち悪いように、正義の旗のもとに叫ぶなら、そこに細心の繊細さがないとダメだろう、と、よく思うのです。僕は怒っている人を見るのが心の底から苦手なもので、昨今の怒りをぶちまける風潮はホントなんとかしてほしい。
今日は雨の中、今月に入って二つ目の法事を済ませたところ。再来週に法事がもう一つある。お経ばかり耳につく休日。
マシス
以下、告知
6月20日と30日、浜松POPS倶楽部で歌わせていただきます。
観に来てもらえたら嬉しいです。
どちらか来て。
できたら、両方来て。
2019年6月20日(木)創太 tour2019
【場所】浜松POPS倶楽部
open 19:00 start 19:30
【料金】1500+1drink
【出演者】
Lily
かつら
創太
マシス
【場所】浜松POPS倶楽部
open 14:30 start 15:00
【料金】1500円+1drink
【出演】
ハルノオト
ユンヤオ
マシス

