今年の祭典もなんとか終わりました。心よりホッとしています。地味に足や腰の痛いこと。そして声が嗄れてます。

にぎやかなお酒の席では話し声が大きくなるせいか、気をつけていてもすぐ声を潰してしまう(喉が弱い)。お酒を飲んだらその後、二~三日は歌は歌えなくなります。たまにステージでお酒を片手に歌うツワモノがいますが、そういう方の強靭な喉がホントうらやましいです。

今年のシガラミだったお宮当番も、とりあえず終わりました。甘酒も作った。片付けも済んだ。あとは反省会して会計報告するだけ。終わった終わった。

祭典最終日夜に会所で食べるカレーの美味いことよ。


ここだけの話、僕は子供の頃は祭りが嫌いで、《なんでこんな疲れることに駆り出されるのだろう。せっかくの休みに》と思っていたクチでした。

祭りに限らず、拘束時間が苦手で、興味ないスポーツ観戦とか、なんとなくテレビ番組を一時間、とか、なんとなく親戚と雑談、とか、《付き合いを強制される》ってことへの順応力が、昔からイマイチ欠けていたという自覚、あります。

だからといって、別に一人の世界に閉じ籠もって他をシャットアウトしたいってワケでもなくって、付き合う以上はせっかくだから楽しんでその場に居よう、と楽観はします。それが楽しかったり、楽しくなかったり、いろいろあるけど、そういうのは仕方ないわなと思う。

それでも、社会人になり、祭り青年会にも入り、《付き合いの強制》に身を投じるようになると、人見知りは相変わらずですが、拘束時間への耐性もちょっとずつ着いてきて、祭りの自分なりの楽しみ方も出来てきました。

例えば、山車の豪華さ、美しさとか、躍動感と迫力溢れる練り(モッシュ)に飛び込む楽しさには(僕は)共感しない、けど、地元の子供たちがお祭りではしゃぐ姿とか、祭り青年団の若い衆がワイワイ楽しそうにしているのをハタから見るのは好きです。

要は、自分が祭りでどう楽しむっていうより、普段から僕に良くしてくれている地元の人たちがお祭りで喜ぶ姿を見ているのが好きなのです。この人たちが喜ぶためなら精一杯協力しましょう頑張ろうって思える。僕のお祭りの三日間のモチベーションはその一点に尽きます。

だから、僕は自分の地元以外のお祭りはいまだに興味が薄いです(無いとは言わないけど)。そこに自分の好きな人がいるかどうかが肝心だから。コレって、何にでも当てはまると思いますね。全て、人ありき。


お祭り最中も、終わった今日も、眠くて眠くて仕方ありません。悲しいことにこの三日間でカナリ太ったと思う。まずいです。




マシス