この土日、豊田町のゆやホールにて、磐田フォーク音楽祭が賑々しく行われたようです。なんと5回目の開催だそうで。今年はラフレシアが土曜日の部に出演したため、連れ合いは朝から緊張しつつお出かけ。僕は娘と留守番してました。

ラフレシアがこんなガチなフォークの場に呼ばれたんだー、と思いつつも、帰宅した連れ合いに話を聞けば、たくさんの方に良かったよーと言っていただけたとかで。ありがたいことです。僕もラフレシアの演る岡林信康を客席で聴いてみたかった。あの歌はとても好きだから、またいつか演ってもらおう。

土曜日のお返しではないけれど、連れ合いより《日曜日は私が家にいるから(お世話になっている知り合いに挨拶してくればいいじゃん)》と言ってもらえたので、お昼から急遽、ゆやホールに出動。


ホールの客席は大変な盛況。昭和フォーク、強し、です。






ホールでの演奏は気持ち良さそうです。僕好みの演者さんもいくつか見つけました。




両日とも20組以上も出演するとかで、出演者もスタッフもタイトな段取りにピリピリと真剣な様子が伝わってきました。いろいろな方たちにユックリご挨拶したかったけど、皆さんマァそれどこじゃなさそう。連れ合いに土曜日の様子も聴いていたので、なんとなく予想してましたけど、いた仕方なし。

ロビーで偶然会えた吉宗バンドの天野さんとだけお喋りして、お邪魔にならないように途中退出しました。観れなかった皆さん失礼シマシタ。

仮に、ですけど、もし僕がこの場で歌うなら何を演奏しようか、と夢想してみました。どうせならあまり誰もやらない人がいい。やはり、友部正人とか、今なら遠藤賢司とか、いいな。浮くだろうな。でも、僕が聴き手だったらその辺が聴いてみたいですもの。誰か取り上げてやって欲しいですよ。


音楽のジャンルの中でも、日本のフォークソング、フォークのコンサートってのはちょっと特殊だと、最近になって思うようになりました。

フォークソングは70年当時、若者の最先端の音楽で、その洗礼を直撃された世代には格別の輝きがあるのでしょう。ポリティカルな内容も四畳半ソングもいっしょくたで、演者と客でシンガロング(大合唱)しながら一体感を産むという、その相互関係まで込みの音楽に(年月を経て)なっていった、と想像します。

シンガロングするためには、当然みんながその歌をよく知ってることが大前提です。だからフォークのコンサートでベタな人気曲を演奏することは、ただ懐古主義ってだけでなく、音楽ジャンルの必然なのだ、と、僕は最近になって思うようになりました。

だからなんだ、と言われると困りますが、僕が常々疑問だった《なぜフォークのコンサートで新しい歌を演奏することが少ないのだろう》という問いの答えを見た気がして、なるほどと膝を打ったのですね。シンガロングこそ肝で、「上を向いて歩こう」だろうが「異邦人」だろうが、シンガロングできればフォークコンサートでオーケーなのです。

僕が自作の歌を歌ったり、友部正人さんの隠れた名曲を披露するよりも、こと《フォークのコンサート》においては、誰もが知っている懐かしいベタな名曲を演奏することの方が正しいのです。どちらもお客さんの喜ぶ演奏をしよう、聴いている方に楽しんでもらおう、という思いは一緒なのですけど、フォークのコンサートに来るお客さんの望む、懐かしい歌を一緒に歌って楽しみたい方に対しては、僕はアプローチが毎回ずれている、そこを改めて認識しました。


だからと言って、僕まで皆の知ってる歌をやるのも、もう違う気がしますね、みんな違ってみんな良い、です。



そんなことを考えながら、ゆやホールからカフェ鈴木へ向かったのです。鈴木でポンのことは後日の日記で。





マシス