僕が高校三年の時、利き腕を骨折して一か月ほど入院したことがあります。腕が折れている他は元気なものでしたけど、一応は手術をした後の入院患者、病室で遊び騒ぐにわけにもいかず、ベッドでただ安静にじっと退屈をひと月シイられておりました。

 

一ヶ月の入院中に何をしていたか?公然と学校も休めてせっかく暇だから、とウォークマンとカセットを持ち込んで、昼も夜も音楽を聴き倒していたのです。部活の後輩達がお見舞いと称して持ってきたカセットテープもありがたく聴いたりしてました。

 

後輩の中には、カセットに当時の最新シングルを選って入れてきてくれたコもいれば、中島みゆきのアルバム『生きていてもいいですか』と『はじめまして』をくれたコもいた。入院患者に『生きていてもいいですか』かァ、と笑われそうですが、冗談抜きでこの入院をきっかけに大好きになったアルバムです。「キツネ狩りの歌」や「エレーン」は強烈でしたね。

 

そのうちに、同室で隣のベッドだったお兄さんと世間話をするようになり、お互いに退屈してたこともあってか、ずいぶんと仲良くしてもらいました。もう名前も覚えてないけど、元気しているでしょうか。

 

そのお兄さんが退院する時に、《これやるわ》とマンガをゴソッと置いて行ってくれたのです。ずーっと僕がお兄さんの私物入れより借りて読みふけっていた本で、持って帰るのも荷物だから、といってくれたのですけど、今思えばずいぶんと気前の良いことでした。

 

もらったのは、佐藤宏之著「気分はグルービー」全13巻。高校生がバンドを組んで音楽に明け暮れるという青春コメディで、その後の「NANA」や「BECK」に先駆けた“バンドをテーマとしたマンガ”のはしりだったと思います。

入院していた一か月の間、このマンガを何度も読み返したことか。ハマったんです。今思い返すと、ずいぶん陳腐な表現だったり、ファンタジーな無理設定もあったけど、仲間を探してバンドを組むこと、せーので音を合わせること、オリジナルソングを作ること、コンテストへの挑戦、自主開催フェス、他のバンドとの交流、嫉妬せめぎ合い、音楽業界の胡散臭さ、バンド内の恋愛から解散危機などなど、いわゆるバンドあるあるが満載のマンガで、ホント面白かったです。

 

で、今、なんで急に「気分はグルービー」の話をしだしたか、と言いますと、先日youtubeでNOBODYの動画を聴いていた時、《この歌詞の雰囲気って、俺、何かで知っているぞ?おお、「気分はグルービー」の作中歌とソックリじゃんか!》と、急に記憶が蘇ったからなのです。

 

 

NOBODYの歌詞って、全てではないけれど、70~80年代のロックの歌詞のステロタイプというか、あの時代のロック特有の描写がたくさんあります。ハイウェイを夜中に走ったり、一晩中踊ったり、海辺で肩を抱き寄せたり、雨が二人を濡らしたりと、まぁ、そういうヤツです。「気分はグルービー」もモロその時代の作品なので、良い歌、と提示してる歌詞が、その手のセンスなのですね。

 

で、こういうセンスって、一概に古臭いとか恥ずかしいとか言いきれなくて、この手の歌が好きだという音楽ファン層って、今でも結構な人数いると思のです。アマチュアのオリジナルソングとか、ホントに今でもこういう歌詞を聞きますから。きっともう、歌ってそういうものだと意識下に強力に刷り込まれているトコあるのでしょう。日本語ロックの根底に根差したセンスともいえるのです。

 

 

僕だって、自分では作りませんが、この手の描写でいくつか好きな歌はあります。聴いてグッと思ってしまう気持ちは否定できないのです。

 

「気分はグルービー」で忘れられないシーンがあります。主人公のケンジがバンドリーダーの大将に《お前、歌詞を書け》と命じられて、初の作詞に悪戦苦闘するのです。で、書いてきた会心の歌詞は他のメンバーに《駄目だ、こんな絵日記ソング》とコキ下ろされます。

 

で、もっと後の巻になってケンジが歌詞を書いた時には、《いいんじゃないか》《よく書けてらぁ。えらいえらい》とメンバーに褒められるまでになってる。つまりケンジの作詞が上手くなったってことでしょうけど、肝心の歌詞を読み比べても、何の成長の跡もないのです。笑っちゃうくらい両方とも同レベルのセンスの歌詞で、そこはもう、書いている作者のセンスの限界って話で、仕方ないことなのですけどね。

 

このマンガ、今は手元にないです。すでに絶版だと思いますが、時々読んでみたくなります。

 

 

 

 

マシス