新年に落語を楽しむのは、なんか相応というか似合います。根拠はわからないけど、とにかくおめでたい感じがします。年明け前に古本屋で見つけた本を、ずっと読んでいました。これがなんと、落語の演目をストーリーの主軸において、落語家が謎を解決する、といったミステリー小説でした。
 

 

愛川晶という作家は、僕は初めて読みました。後書きで《ずっと女子高生探偵の話を書いていた》とあったけど、そちらともかく、この本はかなりの落語愛に溢れた本です。二冊読み終えて、あたかも良い人情噺を聞いたような、良ーい気持ちになりました。ちょっと泣いちゃったりして。

落語家が名探偵、と聞くと、僕が大好きな北村薫の【円紫さんと私】シリーズが頭に浮かびます。が、そちらはあくまで《私》という一般人の目線で起こる事件を、落語家の《春桜亭円紫》さんが解決するのですが、こちらはまさに落語家が主人公。
 
落語家の日常から起こる事件、そして事件に絡める落語の演目の新解釈を毎度考えるなんて、よくもこんな大変な作業をやったものだと感心します。本当に好きでないと出来ない仕事ですよ。ぜひ続きを読みたい。
 
 

  
たまたま今日、掛川図書館へ出かけたのですが、こちらは落語のCDが大変充実しているのです。じっと棚に目をやり、演者と演目を眺めるだけで楽しい。壮観です。
 
 

 
この日は何も借りずに帰りました。

 
僕は特別に落語通でもマニアでもありません。まだ生の高座を観たこともないし、知ってる噺も少ないです。でも、子供の頃から、それこそマンガを手に取るのと同じような感覚で落語本を読んだり、落語CDを買って聴いたりして、少しずつ覚えていきました。
 
以前も日記に書きましたが、僕が好きだったのは新潮文庫から出ていた【六代目三遊亭圓生】の本。おそらくはレコードの「圓生百席」から起こした内容だと思われます。感覚としては短編小説を読むように楽しんでいました。
 
最初に手に入れた落語CDも圓生ですし、いまだに圓生が一番好き。圓生の芸を基準に他の落語家さんも聴いているフシがあります。談志や志ん朝も好きですけどね。
 
 
僕自身が落語から受けている影響も、あると思います。粋、なんて言葉は日常生活でも意識しますし、落語の符牒の《膝替わり》《露払い》なんて、自分が歌う際にも気にしてしまうくらいです。
 

音楽でいうと、僕はとにかくオリジナル至上主義で、スタンダード曲を演奏する歌手より自作自演の歌手を好む傾向があります。が、落語を聞くのに関してはまったく逆!。オリジナルの創作落語よりも、だんぜん古典、いわゆるスタンダードが好きなのです。ジャズで、スタンダード曲を様々な演者がステージで取り上げるように、古典と呼ばれる噺をいろいろな演者の語りで聴いてみたい、と思う。
(でもジャズはオリジナル曲をやる人の方が好きなのです。ややこしいですね)
 
 

娘が小さい頃、寝る前の読み聞かせ代わりに「お血脈」「あたま山」「そば清」といった落語の演目を話してあげたことがあります。とても《一席語る》なんてレベルじゃなくて、あらすじをザックリと喋っただけ。それでも娘がウケてくれると、嬉しかったですよ。
 
「あたま山」って話、荒唐無稽な内容ですが、僕はやたらと好きなのです。自分の頭の上に木が生えて、それを引っこ抜いたら池ができて、最終的にその池に自分が身投げしちゃう(!?)って、何だそりゃ!?ですよ。スケールのデカさを通り越して、異次元にまでイッちゃってる。いやー、好きだなぁ。
 
作れるものなら、いつか「頭山」みたいな歌を作ってみたいですね。聴き終えた後に《えー、?何それ?!》ってニヤッとしちゃうような歌、作れないものかしら
 
 
マシス