職場の上司が月例ミーティングにて
、“エライ人の本を読んで良いところを徹底的にパクれ”
との訓示を垂れました。
その際、“普段本屋に行くことあるかい?”との上司の問いかけに、多くの同僚が“全く行ってない”と答えていたのは軽い驚きでした。日常的に読書の習慣がない人はいるのは普通のことですけど、本屋と図書館に行くのが楽しみな我が家は少数派なのだな、とヒシヒシ感じました。
上司の言う所の“自分を高める系の啓蒙本”が僕は苦手で、楽しくない本なんて読みたくない。読書が趣味と言っても勉強でないので威張れた話はないワケです。
我が家の読書マスターの連れ合いは、物語と名のつく全ての媒体に愛を捧げているような人で、ノベルス、映画、テレビドラマ、漫画、アニメと、目につく物語に日々感情を揺らしまくってます(あれじゃ時間がいくらあっても足りません)。
僕は20代から30代くらいまではミステリーを主軸に読んでました。犯罪が起こり謎を解く推理モノは、正義の味方が悪者をやっつけるという子供の頃に親しんだヒーロー譚と通じていて、性にあったのです。
シンプルに面白いか面白くないか、本の感想はそれしかないと思います。どう面白いのかを事細かに論じる楽しみもすごく判るし、理屈をコネるのって面白いことだけど、面白さの理由を解読分析しようとすると、読み方の根本的姿勢が変わってきてしまう。基本“あー面白かった”でいいのです。
音楽も然り。その昔、僕は音楽を聴いてもコード進行(和音の並び)ばかり気にしちゃって、コードがカッコいいから良い曲、みたいな変な考え方が身についちゃったことがありました。屁理屈で音楽を決めつけて酔って、アレはよろしくなかった。自分にとって何が良い歌なのか、オレって本来どんな歌が好きだっけ?、と訳が分からなくなってしまったもの。
無防備な耳にフッと引っかかるフレーズの愉しさは、先に理屈ありきでは感じ得ないものです。だから音楽を聴く際、意識してコードを聴き取らないようにしていたら、割とすぐに気にならなくなった。おかげで今は聴き取りに苦労してますが、音楽を聴く楽しみは健在です。
村上春樹の『騎士団長殺し』を読み終えて、今はコレを読んでます

『騎士団長殺し』読み途中なのに、本はドカドカ買ってしまって、これも早く読みたかった一冊。面白そうで楽しみです。
『騎士団長殺し』面白かったですよ。序盤はページをめくる手が遅々として進まなかったけど、どんどん良くなっていって夢中になりました。
おそらく村上春樹は“騎士団長殺し”ってタイトルをまず思いついて、そこから話を膨らましたのだろうと想像します。ちゃんとお話が《騎士団長殺し》になってましたものね。タイトル負けしない面白さでした
マシス