発声練習のつもりで、僕が10代の頃によく聴いた音楽に合わせて歌ったりします。自分がどういう歌い方をして、どんな声を出していたかを、その当時のものほどよく覚えているから、過去と比べて今がどうなのかと客観的に感じることができる。

 

変なクセがついてないかの確認でもありますが、要は、これが気持ちよく歌えたら絶好調!とか、そんな風に歌ってみる。

 

喉の慣らしによく歌うのは、さだまさし、杉山清貴、たまに尾崎豊あたり。特にさだまさしは僕が10代の頃に一番歌ったヒトかも知れません。

 

昨日もグレープの、いまCDで持っている唯一のアルバム『三年坂』を頭から歌ってました。グレープはキーが高い歌が多いですけど、さだまさしのソロよりは低めで、声を張るのに僕の丁度いい高さなのです。

 

『三年坂』には入ってないけど、好きでよく歌うのが「雲にらくがき」。歌詞は他愛のないラブソングですが、メロディがとてもポップで、良いのですね。

 

「雲にらくがき」/グレープ

 

10代、20代の頃は今よりも声を出すのが楽だった気がします。声を出すのがただただ気持ちよくって、長時間でも歌っていられた。でも不思議なもので、キーだけで言うなら昔よりも今のほうが高い声が出る。昔はよほど無茶な発声をしていたのかしら。よくわかりません。

 

例えば、グレープの「追伸」が、昔はどう頑張ってもサビで声が出なくて歌えなかったけど、近年、『三年坂』に合わせてエイッと歌ったら、なんとか歌えたのです。“風に頼んでも無駄ですか”の部分が。あれは嬉しかったですね。ニワトリを絞めたような声でしたけど、ああ、オレ今日はずいぶん調子が良いのだなと思いました。

 

「追伸」/グレープ

 

 

高い声がちゃんとでるかの確認は、最近は「追伸」でもやったりします(この歌はカナリ無理しなきゃ出ないキーなのですが)。“風に頼んでも無駄ですか”がどの程度の力加減で歌えるか。喉を傷めた後なんかは、“あ、苦しい、今は無理しちゃイカン”といった具合に。

 

高い声を出そうとして力むと、喉が狭まって出にくくなるらしいので、力を入れすぎずスッと歌ったほうが出ると聞きます。さだまさしは“喉で歌うとすぐ声が潰れるから、背中で歌え”と言ってますね。背中から声を出すイメージ、喉は共鳴板として使うだけで背筋を意識しろ、って意味かと解釈してます。

 

昔は出なかったキーが今は出たり、逆に昔は出来たのに今出来なくなっていることもあって。なんとか出来なくなったことを戻せないかと頑張ってみるのです。あの頃のように、と願いながら。

 

僕が大好きな佐野元春の歌は、発声練習ではあまり歌いません。ファンですから、さんざん聴き込んで歌い倒してきたけど、声の資質が根本的に違うようで、歌ってもあまり気持ちよく喉が鳴らない。

 

元春なら、しいて歌うなら「バイバイ・ハンディラブ」を歌うかな。山下達郎もダメ。あの凄い発声を真似ようとするとコチラの喉が負けます。

 

さだまさし、杉山清貴あたりをシコタマ歌った後は、たとえその時に声が枯れても翌日歌う時には声を出すのが楽になってます。喉筋を鍛えるイメージ?喉の間口を広げるような感じです。そろそろ本調子ですよ。良かった良かった。

 

 

マシス