「BLUE JIANT」の最新刊の発売日を1日間違えて、本屋に出かけてしまった粗忽者は僕です。9巻の発売日は今日、9月9日でした。何を勘違いしたのか堂々と8日に本屋に行ってしまった。

出かけたついでに本屋の新刊棚を見ていたら、懐かしい名前を見つけ、つい手に取ってパラパラ

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作詞家、売野雅男の自伝本です。帯のコメント勢が豪華で目を引きます。ちらっと読むつもりが、その場で全部立ち読みしてしまった。本屋さんスミマセン。


売野雅男と聞いてもピンとこない人は、作詞した歌を挙げれば“ああ!”と思うでしょう。ちょっと思い出すだけでも、

【中森明菜】
「少女A」
「1/2の神話」
「禁句」
「十戒」

【チェッカーズ】
「涙のリクエスト」
「星屑のステージ」
「ジュリアに傷心」
「SONG FOR USA」

【稲垣潤一】
「夏のクラクション」

「PS抱きしめたい」
「思い出のビーチクラブ」


などなど、これくらいはすぐに頭に浮かびます。80年代の歌謡曲をリアルタイムで聴いた人なら、売野雅男の作品に接したことないって人はまずいないでしょう。

伊藤銀次も以前に自身のブログで売野雅男のことを書いてましたが、アルバム『BABY BLUE』を手がけた頃は、作詞家としてはまだ駆け出しの頃だったようですね。


僕の知る売野雅男って作詞家は、かなり特殊な言葉使いをする作り手さんで、その“売野節”とも言えるアクの強い歌詞は、売野雅男の発明と言える言い回しがたくさん出てきます。

ぶっちゃけて言えば、僕は若い頃、売野雅男の作る詞は苦手でした。歌を聴いただけで、“ゲッ、これ売野だろー”と判ってしまうくらい個性的な歌詞で、これほどに個性丸出しな歌は他の作詞家さんじゃ有り得ない。

 

でも、ここまで突き抜けていると、これはこれでたいしたものだと思うようになってきました。


例えば、語尾に“~さ”をつけるとか。“~さ”は売野雅男の常套手段で、ホントによく出てくるのです。


夜明けの引き潮さ/紫の砂浜
(PS抱きしめたい/稲垣潤一)

君の名を書きかけて/折れたチョークさ
(背番号のないエース/ラフ&レディ)

 

チョークさ、って言われてもねー。この“さ”の置き方を見つけるだけで、ああ売野っぽい、と僕は思ってしまいます。

 

あとは、歌詞カードの漢字の遊び。当て字で、女を(ひと)と読ませるとかはありがちだけど、(さよなら)と歌わせてるところが歌詞カードだと(別離)って書いてあったり、回避(さけ)られぬ、とか、何故(どう)して、みたいに、その字に替える必要あるか?って言葉まで替えていたりします。

 

他は、語尾を濁す時の(なんとかなんです...)の(...)の点々。売野雅男の歌詞カードを見ていると、まぁ点々が多い。どれだけ言いよどんでんだか。僕がこういう語尾に点々を付ける文章が苦手だってのもあって、余計に目につくのですけど(語尾に...をやたら付けた文章って、その人のナルシズムをばら撒いてるように見えちゃうのです)。

 

 

しかし、なんだかんだ苦手と言いながら、売野雅男の作った歌はよく覚えてますね。それって実はすごいことですよね。「PS抱きしめたい」とか、悔しいけどグッとくる歌も多いのです。

 

↑動画の3分50秒からの、“サヨナラで終わる悲しい手紙は/君の名前が空白のまま”のフレーズなんて、やるなぁって思う。

 

 

で、結局「BLUE JIANT」の9巻はまだ買ってないです。今から出勤前に本屋に寄れば帰るかしら。なんだか面倒くさいな。明日静岡で杉真理を観る前に買っていこうかな

 

 

マシス