僕の思う様式美の意味が、一般的な意味で正しいものか定かではありません。もし見当違いな解釈をしていたらご容赦ください。
(後から補足しようとしたらエライ長文になってしまいました。失礼)
僕は様式とは“型がある芸”のことだと思っています。能、歌舞伎、日舞のように、シッカリ決まった枠の中で、演者はどれだけ個性を出せるか、観るものを感動させられるかが肝だと。
音楽においても、基本、僕は様式美は嫌いじゃない。むしろ好きです。
音楽の様式美、型といえば、例えばジャズなら最初にテーマがあって、ソロを回して、最後テーマに戻って終わる、みたいな構成がソレと言えるでしょう。J-POPならAメロ→Bメロ→サビの構成も一つの様式ですね。
僕は昔のSPレコードのような“三分間のグッドミュージック”が一番良いと信じている人間ですが、あの夢のような三分間こそ、僕がもっとも愛する様式美の一つだと思っています。
例えばバート・バカラックの数々の名曲、キャロル・キング、初期のビートルズやモータウンのヒット曲とか、どれも三分間の中に宇宙がある。あの楽曲のチャーミングなたたずまいに堪らなく憧れるのです。
一聴して忘れられないキャッチーなメロディーは、実はAメロとBメロくらいしかなかったりして、歌詞はシンプルで極めて短い。印象的なリフレインを何度も繰り返し聴かせて耳に焼き付かせる構成がいい。
メロディに安定した美しさがあると、聴くものは安心します。メロディー先行で歌を作る音楽家の作品は、自然と様式に向かう傾向にあるみたいですね。
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日本だと、ユーミンしかり山下達郎しかり。布袋寅泰のBOφWY時代の楽曲なんて様式美の極致なんじゃないかしら。フォークと違って歌詞が前に出すぎてない。メロディの良さ、楽曲トータルの良さを伝えることが第一の姿勢を感じることができる。
余談ですが、山下達郎もBOφWYもステージで特別な演出をしません。レコードの音を忠実に再現することが客を興奮させ、納得させる。これも様式美です。
短い歌、ってのは、それだけでおさまりがいい。ダラダラと長い歌に必然性があることもありますが(「ヘイ・ジュード」や「ホテル・カリフォルニア」みたいに)、短い歌で聴き手をシッカリ説得して満足させられるものなら、長い歌より短い歌が絶対にエライと思う。
残念ながら、“三分間の様式美”この手の表現はマンネリズムに陥りやすく、長くキャリアを積んでいく中、コンスタンスに良い歌を創り続けて、なおかつマンネリを回避していくのは至難の業です。スピッツの草野君とか大変だと思う。あれはすごい才能ですよ。
そこで新機軸を打ち出していく手としては、ミスチルみたいに歌詞を重層化させていくか、もしくは枠を壊して曲構成を奇抜に凝り出すか。そうなると三分間の表現では収まらなくなる。
ミスチルのデビュー曲「君といた夏」は、僕の好きな歌の要素てんこ盛りでお気に入りなのですけど、創造者はいつまでも「君といた夏」に留まってはいられない。
様式はそうやって更新され、一曲に込められる情報量がどんどんインフレしていくのです。それは音楽の進化かもしれませんが、短い歌特有の愛嬌、歌本来のかわいらしさみたいなものは必然的に薄れていきます。
様式は自由度の低い音楽、なのかもしれません。様式にこだわらない音楽こそ音楽の未来、なのかもしれません。
時代が進むに連れて音楽は一曲の長さがどんどん長くなり、今では五分、六分のシングルも珍しくない。ラジオでDJにかけてもらうために曲の長さを三分に抑えるなんて、遠い昔の話なのでしょう。
私事ですが、1994年に僕がユニット【あすとら】でやりたかったことは、まさに“三分間の様式美”でした。あすとらは確信犯で様式を狙ってました。マシスになって歌詞がずいぶん長くなりましたが、短い歌が今でも一番だと思ってます。
やるんなら僕はいつだって様式をやりたいと夢想します。普通と呼ばれるのはつまらないけど、型破りを目指そうとしているワケではない。
一人で弾き語りをやっているとやはり歌詞の情報量が増えがちです。自分の拙曲は大作でなくていい。愛嬌がある可愛らしい歌であってほしい。
オアシスはかつてビートルズが輝いていた数年を永遠にしようとしたバンドでした。あの三分間に永遠に息吹を注ぎつづけることが出来るなら、どんなに良いでしょうね
マシス
