以前も書きましたが、成功のための指南書とか、人生論の類の本が僕はどうも苦手です。


こういう本はよく売れるとみえて、本屋に行けば店頭に平積みされてますけど、まず僕は手に取ることはありません。


私はハッピーだからそんな本必要ない、ってわけではなく、僕だって悩みながら人生やってますけど、その手の本に救いを求めようとはあんまり思わない。あらゆる宗教も同様です。


読書は純粋な娯楽だから、と、これまでは読まない言い訳をしてましたが、あらためて考えてみると、ひょっとして、オレは他人の考えを認められない、度量が狭い人間なのでは?と自分が疑わしい気分にもなってきます。そうなると意味が変わってきて不本意なのですが、実はそういうことなのかもしれません。


格言とか、堅苦しいですよね。ことわざ、ってのは昔から大好きなんですけど、格言っていうと野暮な気がする。粋じゃない。せっかく良いこと言ってんなら、もっと言い回しを考えろよ、センス良く伝えろよ、といったところでしょうか。


話がそれますが、ことわざって、ちょっと落語っぽい。ものすごく短い小話って気がしますね。俳句が最小言語のポエムのように、ことわざも同じようなエッセンスを感じます。粋ですよ。



良い言葉、ってのは結局、当たり前のことを言ってるだけで、説得力のあるなしは言い回しやら語る際の演出に拠るところが大きいんじゃないか、と思ったりします。そうなると、上手い話し方が出来る人こそ、良いことを言える理屈です。


その理屈だと、良い演奏のできる人は、何を歌おうが伝わる、って話にも繋がるのか。いや、逆です。音楽を伝えられてこそ良い演奏だ。



僕自身が心の底から“本当にそうだよね!”と膝を打つ言葉ってなかなか出会えないものです。音楽でも、何でも同じですけどね。



良い言葉で人生が変わった、ってのは人それぞれで、その言葉で僕の人生が変わらなくても誰かの人生を変えてるなら、それは大したものです。


僕はどんな偉い人のどんな良い格言よりも、元春や達郎のカセットに合わせて熱唱する方がはるかに勇気づけられたクチです。



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作詞家で元スーパーカーのギタリストいしわたり淳治が、著書で《“俺はブームに関係なく○○が好きで、ずっと応援してきた”とか周りに主張する奴がイタい》といったことを書いてまして、ああ、その通りだ、と心底思いました。これは僕、やりかねない、言ってるかもしれないと身につまされたのです。誰かの意見がグサッときたってのは、まさにこれ。思い返すと結構恥ずかしい。猛反省です。



そこでふと思ったのは、これ、自分のことだ!と思える文章はやはり響くのですね。僕も俗人です。なるほどと膝を打ちました







マシス