僕がギターを覚えたての頃、コード(和音)の押さえ方を一つずつ覚えて、ポロンと音が鳴った時はまるで歌に色が付いたような錯覚を覚えたものでした。

そうか、コードを次々と替えて鳴らせば、これだけで歌の伴奏になるんだ、と気付いた。僕にとってこれは結構な事件だったのです。

コードというものを知って、下手なりに新しい押さえ方を一つ一つと覚えていくのは楽しかった。わからないなりに勝手にコードの意味を想像したりして。そうやって空想する時間も、中学生だった当時はたっぷりありました。

例えばの話、歌が舞台の役者だとしたら、ギター伴奏は背景セットや照明だな、と妄想してました。コードが次々と替わるにつれて、背景がどんどん変わり、役者(歌)はどんどん物語を進行していく、といった感じに。


そんな空想に馳せていたおかげで、当時はギターコードを鳴らす度に“ああ、照明が赤になった”とか、“すごい、maj7になるだけで青から水色になる”といった具合に、音に色を思い浮かべるのがクセになってました。

メジャーコードは原色、マイナーコードはくすんだ色、テンションコードは淡い中間色、同じコードでも前後に来るコードによって色合いが違うじゃん、といった感じ。まぁ他愛のない音遊びなのですが、その遊びは堪らなく楽しかったです。



僕がギターのコード(和音)の押さえ方で、僕が一番最初に覚えたのがEm(イーマイナー)。このEmの響きが楽曲を支配すると(ホ単調の曲のことです)、なんともいえぬ哀愁感を醸し出してきます。


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押え方は二か所を押すだけ。とても簡単ですが、Emをギターのボディに叩き付けるように弾くと、ギターが僕の腕の中でドォウンと、本当にお腹に響くように鳴って、これがたいへん気持ちがいい。ただ鳴らすだけで気持ち良いので、初心者の頃はただアホのようにEmをガンガン鳴らして恍惚としてました。



Emが支配している歌をパッと思いつくまま挙げますと、レベッカの「フレンズ」、オフコース「さよなら」「YES-YES-YES」、CHAGE&ASKA「万里の河」、ユーミン「リフレインが叫んでる」、原田真二「雨のハイウェイ」、洋楽ならボン・ジョヴィの「LIVING ON PLAYER」とか、もう数限りなくある。どれもこれも哀愁感漂う名曲です。



僕の勝手な印象ですが、これらの歌の良さは《Emだからこそ》ってのがあって、キーが変わると魅力が半減する気すらします。DmでもF#mでもGmでも違うのです。


イーグルスの有名曲「ホテル・カリフォルニア」は、元々はEmで作曲されたけど、ドン・ヘンリーの歌のキーに合わなくてBmに変えられたという逸話があります。作者のドン・フェルダーはそれによって“キラー・イーマイナー”の魔法の響きが失われた、と自叙伝で愚痴ってました。そういうことって、あるのです。


僕にとってのEmの色のイメージは、限りなく黒に近い茶色。ザッハトルテのチョコのコーティングのように艶やかで、しっとりとしている。珈琲の色にも近い。コールタールのべたつくような黒のイメージもあるかな。セピア色の風景によく似合う音です。



こんなにEmに思い入れがあるわりには、僕は人前で歌うようになってからホ単調の歌は一曲も作っていません(鼻歌で歌を作っていると、コードは狙ったキーになかなかならない)。いつかEmを思いっきりかき鳴らしながら歌える歌を作ってみたいですが、それはギターを持って作曲しないと難しそうですね






マシス



追記


ちなみに今は音を聴いて色と直結するような感覚は殆どありません。一時、どんな歌を聴いてもコード進行で好き嫌いを判断してしまう自分の音楽の聴き方に疑問を持って、あえてコードを考えないようにしていたら、徐々に色彩感覚も薄れてきました。


昔に比べて、意識しないとコードを拾えないってのはちょっと不便ではあるのですが、音楽を頭でっかちじゃなく楽しめるようになれたので、これは正解だと思っています。