ローテーションでは準夜勤の週でしたが、上司に相談されて(生産計画の都合で)今週も昼勤務をしていました。
夜勤に比べて日勤はあれこれと仕事が多いので、やだなーと思うのですが、朝起きて夜眠るって普通の生活が二週続くと、ちょっと身体が軽くなった気がします。人間らしい生活とはよく言ったものです。
昨日の木曜日の仕事が、実は正念場でして、わざわざ僕が昼勤務になったのは、その仕事を朝から取り組むためでした。
先々週、準夜勤の時にも計画が組まれていて、トライしたのですけど。ちょこちょこトラブルが発生して、その時は満足いく作業ができなかった。時間が全然足りなかったのです。
上司より(これは朝から手をつけないと話にならん)と相談されて、今週は昼勤務をやってるのです。
僕以外の昼勤務の人に頑張ってもらいましょうよ、とも言いたかったけど、今回はまずまず良い仕事が出来たので、ヤレヤレです。
《お前にしか出来ない》って仕事を任されるのは、能力を認めてもらって嬉しい反面、企業としては非効率的です。
かけがえない人材とは言っても、企業の人材は替えがなくてはいけません。
この仕事はこの人がいなくては出来ない、ってのは、その人が倒れたら仕事が止まってしまうワケですから。
職人の仕事を素人でもこなせるシステムを、です。トヨタ生産方式ですね。
で、ここから別の話
【問】
自分の音楽は誰かにとって《かけがえない》モノだろうか
【答え】
替えはある
皆さん、僕の歌を知らなくても何の不便もなく生活できています。
自分を無価値だなんて言うワケではありません。歌もふくめて大衆娯楽はそういうモノなのです。
村上春樹も似たことを言ってました。自分の小説はかけがえが“ある”ものだと
小説を書く行為は自分にとってかけがえない作業だけど(僕にとっての音楽もそうです)
自分の小説がなくても文壇は新しい小説が生まれ続けて、世の中は何の不都合もなく回ると
音楽も本も、それで腹がふくれるようなモノじゃないけど、感動は腹にたまるものばかりじゃないのです。
かけがえのあるものを“かけがえない”と感じるのは、ある種の幻想みたいなもので、
そんな吹けば飛ぶような儚い感情を、いかに誰かと共有できるか。世界中のありとあらゆるモノ作りの人達がそこで格闘しているのです。
僕なんかの歌を、聴きたい、と誰かにもし思ってもらえたら、どんなに幸せなことでしょう
村上春樹の話の続きですが
ただし、外国小説の翻訳作業をしている時だけは《自分はこの著者にとってかけがえない存在》だと実感できるそうです。
他の誰が訳そうが、自分のようにこの文章を訳せる人はいない、と
誰かの為に力を尽くす行為は、その人ならではの価値が浮き彫りになる
その話を聞いてふと、ラフレシアに歌をあげたことは僕にとって、村上春樹の翻訳作業にあたるのかな、と、ちょっと思いました。
会社の食堂の窓から外を見たら、桟のところに雀が留まってた。
良い天気です
マシス