ひまわり祭にて、大塚さんのステージを見守る図

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《いいねぇ~》

《いいでしょ~!》

そんな会話が聞こえてきそうな写真です(特に右の二人から)。


僕も今回(遅ればせながら)、大塚さんと健太郎君のCDを購入させて頂きました。

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『アルデバラン』/大塚友紀


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『二階の弾き語り』/鈴木健太郎


手渡される際、大塚さんは《ああ、マジック持ってないー》と言ってくれました(サインを書いてくださろうとするお気遣いです)。

僕も油性マジックは手元になくて、サインは貰い損ねました残念。


このお二人はソロ活動と平行して【G2】というユニットでも活動されてます。

二人一緒に歌う姿は、僕は一回しか観たことありませんが、これまた何とも素敵なステージだったのを記憶してます。


二人の歌を聴いていると、実に効率良く聴き手に歌を届けてるなーって、いつも思う。

過不足なく伝えてる、聴き手と送り手との熱量の誤差が少ないと言うのか


歌を作っていて、作者としては渾身の出来のつもりでも、想いが空回りしていて、実際は聴き手に届ききらない、そんなもどかしいことってあります。


歌の完成度とは、歌詞の内容やらメロディーの凝りよう等の、作り手(歌い手)が歌に込めた想いの量で決まるのではなくて、

《作った歌に備えた(はずの)機能が正しく作動しているかどうか》、この一点だと思うのです

大塚さんと健太郎君の歌は、その点、やたら上手く機能してるように感じてしまうのですね。

何よりも、歌詞の内容を耳と頭で追わなくても、ボーッと聴いているだけで良い歌だなーと思わせてくれるのがいい。

耳に心地良い歌がすべてではないけど、聴き流して心地良い歌は、ある種の正義です。
(もちろん耳障りな音楽には耳障りゆえの正義がある)


聴く人を決して身構えさせない。

流して聴いていても、耳をくすぐる言葉がちゃんと頭に残って、歌そのものが流されてしまうことが決してない。

それは、良いことを歌うよ!面白い歌詞でしょ?ねぇねぇ良いこと歌ってるでしょ~って気負った音楽に、決して負けてないのです


頑固な二人にエールを



マシス