お別れは 
突然やってきて
すぐに済んでしまった



RCの「ヒッピーに捧ぐ」の歌詞そのまんまの、

おおやさんとのサヨナラでした。

昨年の婆ちゃんの時も悲しかったけど、今回は突然過ぎて、気持ちが全く追いついていない。

おおやさんとの別れだなんて、気持ちの準備があるわけがない

おおやさんが焼かれちゃう

おおやさんが灰になっちゃう


お顔を見ても信じられない

ウソだとしか思えない


お別れ会でお別れは出来たのか

出来てない

何も納得していない


サヨナラとかありがとうとか言っちゃうと、もう駄目だって思っちゃって、ずっと堪えてた。


ギターを棺に入れてあげたかった。ギターが無理ならギターの写真でも、と、ちょっと思った。

写真にメッセージを書ける人に書いてもらって、一緒にお棺にいれてもらったら

あちらでもギターが弾けるんじゃないか、って


でも、それも生きている人間の自己満足。しゃら臭いだろ、と思って、考えを消した。



おおやさんは誰にでも話しかけてくださった。


おおやさんとの会話に年齢の垣根はなかった。

僕みたいな風変わりなやつも相手をしてくれて

そして、誰の音楽もちゃんと聴いていて、好き嫌いを正しく喋った。


みんな、自分の(とても大事な)味方をなくしたような気持ちに違いない。


人間ってのは手前勝手でわがままなもの


特に音楽をやるものは、少なからず皆エゴイストの資質を備えていて、自分の音楽にこだわりがあればこそ、周囲との意見の衝突はままあることなのだけど


おおやさんの人柄のすごさは、おおやさんの音楽上のエゴが周囲の誰かを傷つけたり、不快にさせたりしたことが(僕の知る限り)皆無だったということ。



雨の中、たくさんの人が集まっていた

息子さんが

父は“友達なんてたいしていない”と言ってたけど、こんなに集まってくださって、お父さんが皆さんに愛されていたことがわかりました

このような意の挨拶をされて、思わず涙腺が決壊した

みんなおおやさんが大好きだったのだよ、と頭の中で呟いたら、堪えようがなかった。




おおやさんのギターが、息子さんから石神君に託されたそうです



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今夜の掛川駅連絡道では、おおやさんのギターをみんなで回して弾くのでしょう



マシス





CDを聴いても、YouTubeを観ても、おおやさんのカッコ良さはこれが全てじゃないと感じてしまう。こんなもんじゃなかったと歯がゆくなる。



それでも僕はおおやさんのCDを聴く。

一曲選ぶなら「ぎんなん」がいい。



YouTubeなら2013年11月の「アクティ森の音楽祭」だ。


洋一君、映像の元がもし残っていたら、DVDに焼いて欲しいよ







マシス