前の日記の文末で、ソングライティングの天才について、個人的に思うことを少し書かせてもらいました。


ただただ、僕の勝手な考えですので、もし意に添わない文章に感じられたらご容赦願いたいのですが


けっして、椎名林檎と降谷健志のみが天才、って意味で書いたのではもちろんなくて、《作品から産みの苦しみを感じさせない》って意味で、汲めど尽きぬ才能の持ち主の現役筆頭だと言いたかったわけです。


そう考えると、ユーミンは80年代までは大天才でした。誰も思いつかない着想を次から次へと音楽として具現化し、その音楽を大衆の生活レベルまで浸透させた、唯一無二の存在です。



ユーミンの天才としての息切れは、叩き上げの職人の作品の美しさに転化したと言えなくもない


奥田民生が以前、《普通は20から30も(楽曲を)作れば、自分の中の才能の貯金はなくなる。音楽への初期衝動、ときめきによる自然に湧くアイデアが尽きた後は、音楽を作るために意識して自分を持っていかないと作れない》、という意味の発言をしてました。


うーん、確かに。


自然に音楽が湧く派と、意識して音楽を作る派、作り手の資質はこの二つで分類するなら、自然組が天才と言えそうですが


天才ユーミンは、実はずっと意識組だったのでは?と僕は想像するのです。それが自然組のように見えるほど質と量がずば抜けていたってことだったのでは。


で、ある時から意識組だというのが隠せなくなってきた、ってことなのかと。


そう思うと、あいつは意識組、こいつは自然組と簡単に分類しきれませんね。両方の素養を兼ね備えていてこそ、長く良い作品が作り続ける秘訣と言えそうです。



かと思えば、作品に駄作凡作がある、いわゆるムラッ気があっても、天才肌の音楽家はいます。


僕の大好きな佐野元春はその典型だと思う。


元春はもちろん職人的な技術も達者ですけど、身体の中に音楽が常に暴走していて、それをコントロール出来たりできなかったりで、良い時も悪い時もあるっていう、


時々僕には元春に狂気が見えます。音楽才能に人生捧げちゃってる、いや振り回されてますよ多分アレは


山下達郎は間違いなく意識組でしょうね。決して作る工程で音楽に酔ったりしない。


すみからすみまで、自分の音楽を作るためのマニュアルを熟知している、職人のような作り手だと歌や発言から想像できます。こういう人はだから、好不調の波があっても大きく崩れたりしない。


浜田省吾はどうみても天才じゃない。常に作品から作り手の苦しみが滲んでますね。苦しみが臭わない無敵感って『愛の世代の前に』くらいか(僕個人で好きなアルバムは他にあります)。すごく頑張ってあれだけのクオリティの作品を作り続けてる。ホントに頑張ってるって思います


中島みゆきは1%の自然発想を99%のテクニックで膨らめて作っていそう。あの安定感には叩き上げの技術者の匂いがプンプンします。


桑田佳祐は自分が夢中になれるアイデアを絶えず探して、自分が音楽作りに飽きないよう努力しているフシがあります。作品を重ねるごとの日本語歌詞へのこだわり、洗練度は大変なものです。それが初期の日本語文法デタラメ歌詞の破壊力に勝ってるとは言い切れないけど、どちらも素晴らしいと心から思います。


ミスチルの桜井君は鼻歌一発で名曲をツルッと産んじゃうような勢いを楽曲に感じますが。で、作業工程では頭が冷めている感じ。どちらかといえば職人気質でしょうね。バンプの藤原君もやはり、身を削りながらも確信犯で歌作りしてる。


COCCOや鬼束ちひろは天才肌で、好不調の波を自分でコントロールできない人。


七尾旅人は発想から音への具現化への道筋が天才肌で、何が出てくるか読めない、アンダーグラウンドの匂いプンプンしてます。常に暴走寸前て感じ。ここの天才君は僕、ギリで楽しめる。




余談



音楽的に《あのコード進行が斬新だ!》とか、《難しくてとても凡人に思いつけない!》《芸術だ》みたいな作品を作って天才鬼才と呼ばれる方もいますが、


僕は、芸術ってそれほど崇高なものではないと思うのです。芸術家、アーティストという呼び名ってエラソであまり好きではありません。自分では絶対に使いたくないです。


大衆が理解できない作品を作って、ごく一部の人間だけに傑作だと騒がれるような芸術作品は、あまりありがたくない


大衆娯楽を受け手に飽きさせないよう量産できる才能、そんな才能こそ偉いと思うのです。





マシス